たしかに正しいけど、その通りだけど。

ブログじゃないという体でまとまった文章を置いておきたい場所

くまみこのはなし2

2.

 

 東北の夜でも、この季節になれば熱帯夜近くの気温となる。

 就寝時には薄手のタオルケットを掛けるくらいで十分な日も多い。

 今日は特に蒸し暑い夜だった。

 時刻は午後10時半過ぎ。しばらく前から、部屋の外に佇んでいる影があった。

 それはヒトの形をしているようだが、その立つ廊下には窓がなく詳細な姿を伺い知ることはできない。

 それは戸にぴたりと張り付き、中の様子を窺っているように見えた。

 戸の中ほどには木で作られた「まちちゃんのおへや」と書かれたプレートが掛けられている。

 それはじっと息をひそめるようにしてそこに微動だにせずいたが、やがて音もなく戸を引き、室内に滑り込んだ。

 それは中に入ってすぐの所で一度動きを止めた。

 深く、大きめな寝息が、規則正しく続いている。

 その様子を確認したのか、それはふたたび動きはじめた。徐々に室内を進むにつれ、部屋の窓から入り込んだわずかな月明かりに照らされて、ほの白いその姿がおぼろげに浮かび上がる。

 その印象は、ちぐはぐな幽霊画のように奇妙だ。

 漆黒の頭髪のように見える部分は闇に透けて境界がはっきりしないが、それの上半分にまとわり、縞状に流れている。ごく薄い襦袢が体に張り付くようにまとわれている。

 奇妙なそれは部屋の中央で眠りにつく少女にだんだんと近づく。そして傍らに寄ると小さく屈んだように見えた。座っているのかもしれない。

 それは、またその場所でしばらく動きを停めたまま、少女の顔に目を向けた。

 まるですぐ先の獲物を茂みの中から吟味する獣のような雰囲気だった。

 少女はそれに背を向けるように、横向きで膝を曲げ、安らかに寝息を立てている。

 それからそれは、一度足先に顔を向け、じりじりとまた上方にねめつけていく。

 染みひとつない小さな足。丸いくるぶし。控えめな内くるぶし。緩くたわんだラインのふくらはぎの、その曲線の頂点よりわずかに手前までズボンタイプのパジャマの裾が隠している。装飾の少ない、そのゆったりとした裾が、少女の細い脚を強調している。パジャマのトップスは長めで、裾がふとももの中腹辺りでふわりと広がりを見せている。わずかに襞を湛えたその裾が少女の可憐さを印象付ける。

 ほとんど乱れていないタオルケットが股下の浅いところまでを覆い隠している。その端から腰骨の一番高いところを越え緩やかに下る稜線は、その下の華奢な腰回りを容易に想像させる。

 それから脇腹、腋下を通り肩峰の尖りをにらみ、二の腕に差しかかると、再びその柔肌が夜気に晒されていた。袖は短めで、やはり縁に目立つ装飾はなくシンプルだ。どこまでも滑らかであろうことが、見た目でよくわかる、そんな肌理を惜しげもなく露わにした両腕は柔らかい角度で曲がり、わずかにもつれ合う。

 そしてその手。それはタオルケットの端を緩く掴んでいた。その様子はどこまでもあどけなく誘うような形をしている。ふくふくとした手は目に入れるだに儚く、その透けるように薄い肌が稀少で高価な紗を思わせる――

 この日のそれは、観察にたっぷりと時間をかけていた。

 それからわずかに震えながら身を屈め、顔を少女の耳元に近付ける。

 黒く細い束がはらりと重力に従い流れ落ちて少女の顔に掛かったが、それは間髪を入れずに何やらぼそぼそと繰り返しつぶやいた。少女は顔に掛かるものを払う素振りも見せず、もちろん目覚めもしない。

 それからそれはすうっと体を起こすと、タオルケットの端に手をかけ、大胆にめくり上げた。

 タオルケットと少女の間に蓄えられていたわずかな熱が逃げていく。

 それは慈しむようにして少女の顎を撫でる。少女は身じろぎひとつしない。それからゆっくりと自らを焦らすかのようにして少女の背中に寄り添い、横たわった。少女との体格差が如実に表れている。少女はそのまま背後から、包み隠すように抱きすくめられた。

 先程までの息を殺さんばかりの慎重さなどは微塵も感じさせない行為。それを少女は安らかに受け入れ続ける。

 やがてそれは少女の体の感触を存分に味わいながら自らを慰めはじめた――

 

 

 

つづく*1

*1:書き忘れてましたけどこういう感じの雰囲気ありなやつです

くまみこのはなし

 コミケからひと月が経過したので、少しずつ二次創作物を供養していこうと思います。思いつきです。紙代をいただいた方は悪しからず。

 

 

 

『熊出村の呪い』

 

1.

 

――東北のどこか、山奥。

 その村では、山の神の使いとして熊を神聖なものとし、祀っていた。

 全国的にも珍しい信仰。しかしその村では、他の地域にはない特別な事情により、その信仰は篤く、篤く村人に根付いていた。村人はその特別な事情を村外不出の秘事とし、この情報化社会においてまで、粛々とそれを守り続けてきた。

 そんな閉鎖的な山村、『熊出村』に未だ残る、忌まわしい秘密とは――

 

   *  *  *

 

「はいどーもー! ボクはしゃべるクマYouTuber、クマ井のナッちゃんでーす! 今日はまた、ここ熊出村を散策しながら村の魅力についてのんびり語っていきたいと思いまーす!」

 緑眩しい夏の山の中で、画面越しには本物にしか見えない熊がヒトのように二本足で立ち上がり、日本語を話しておどけていた。

 そのまま意気揚々と未舗装の山道を進み、雑談風のひとり言を話す熊。少し急な斜面を登り切ると、木々が開け、熊はアスファルトの車道に躍り出た。音声や字幕がなければまるで動物絡みのハプニング映像だ。

 そんなことはお構いなしに、熊は快活に話し続ける。強い陽射しを受け、その整った毛並みの体毛がきらりと光った。やがて熊は何かに気付いた様子で立ち止まり、声を上げた。

「おーっと、クマ出没注意の標識がありましたねー。じゃあさっそく行ってみましょう! ――ミュージック、スタート!」

 ごきげんなミュージックが流れはじめる。そして熊は画面外に消えると、しばらくしてから「はい、ひょっこりクマーン!」と言いながら、標識からひょっこりと顔を出した。十分な間を置いて、画面は暗転した。

 それから動画は山を歩く熊を映し、脇道に逸れ、沢に入る熊を映した。熊は例の動作で魚を獲ろうとするが、あえなく失敗に終わったりする。

 しばらくの間、代わり映えしない山林の景色の中で活動する熊を捉えた画が続いたが、最後は木材のふんだんに使用された屋内に画面が切り替わり、その中央に立つ熊がくるりと振り返って小首を傾げ「モキュ?」と鳴く決め台詞により、動画は締め括られた。

 

   *  *  *

 

「どうかな?」

「どうって、いつものナツじゃない?」

 ナツの問い掛けに、私はクッションの上に腹ばいになりながら先程まで映像が映っていた板状のパソコン(?)を揺らす。磨かれた床板のひやりとした感触が心地好い。

 ここ、熊出神社は表向き無人神社を謳っているにもかかわらず、拝殿内部は傷んだ様子もなく、清潔で、がらんとだだっ広い。

 それもそのはずで、私が多くの時間をここで過ごし、毎日のように清掃をしているためだ。

 休日はもちろん、平日も放課となればそのまま神社まで帰ってきて、部屋着よろしく巫女装束に着替え、日が暮れるまでそこにいる。そんなものだから、奥の本殿には快適に過ごすためにかなりの資材があるし、ナツのための無線LANも完備されている。

「リアルに存在している感じを売りにするべきだと思うんだ。だからいつもの感じでいいんだよ! それがシュールというか」

「うーん……でもこれ、これをいったいどうするの? いろんなとこに置いてもらうのかしら」

 ナツのやっていることがいまいち理解できない。動くポスターみたいなものをいっぱい配置することで、親近感を持ってもらおうということか。

――これもやっぱり都会っ子は使いこなしているのよね。苦手だからって逃げてちゃダメね。

 そうやって自分を鼓舞してみようとするが、そもそも触ると良くないことが起こるので機械全般が怖いのだった。苦手というより怖いのだ。

 そんな私の葛藤など露知らず、それでもナツは説明を試みてくれる。

「この動画は、動画投稿サイトにアップロードするんだよ! この映像が、全世界に公開されるんだ!」

「もー、ナツったら全世界だなんて大げさね!」

「確かに全国の人にすら観てもらえないことには、だもんね」

 そんなナツの優しさはわかるだけに、私は理解が及ばないことを曖昧にぼかして、ナツの胸元の毛をそろりと撫でた。機嫌を損ねないでほしいという気持ちの表れだった。

 そんなある意味繊細な会話をしていると、それを打ち破るような勢いで入口の簾が捲られた。

「おーおー、やってるな!」

「あ、よしお」

 テンションも高く部屋に入ってきた従兄の雨宿良夫にナツが振り向き、そっぽを向かれた形となる。

――よしおくん、空気を読んで!

 私は口をとがらせ、無神経な彼をにらんだが、まったく動じていない。

 そんなよしおくんの態度は、それでいて人見知りな私にとっては心地好く、素の自分を出せる数少ない相手のひとりであった。そうではあるのだが、その底抜けの明るさと社交性は自分には無いもので、その眩しさに劣等感をちくちくと刺激されることもある。それが少々の悪態となって表に出てしまうことは仕方がないことではないか。

 そんな呪詛吐く巫女の世話役として、業務中のはずの日中にも度々この神社を訪れるよしおくん。しかし今は私の世話役としてではなく、役場の職務として来ているらしい。

「どれどれ、オレにも見せてくれよー」

「編集はやっぱり一筋縄ではいかなくてさ……技術的にもそうだけど、やっぱりセンスが――」

「そうだよなー。でもプロに頼むような予算はないぞ!」

「わかってるよー。ボクも興味はあったことだったし」

 さっそく仕事の話が始まった。

 機械の話でさらに仕事の話ともなれば、はたで聞いていてもちんぷんかんぷんである。

 ふたりが楽しそうに知らない話をしているので、私はまた口をとがらせ、余所を向いて膝を抱えた。ナツはそんな私のそんなわざとらしいかまってちゃんな態度を認めるとそれでも呆れずに会話を切って、「だからまちの力も借りたいんだ!」と私も話に加えてくれる。

 うれしいけれど、同時に、そんな風な態度をとってしまう自分を恥ずかしくも思う。

「な、なによ……! どうせ私に手伝えることなんて何もないわ」

「そんなことないよまち! これはね、かわいらしさに敏感な女子にしか頼めないんだ!」

「そうそう! 『ナッちゃん』といつも一緒にいるまちだからこそ、その魅力の発信に一役買えると思うなー」

「ほんとに?」

 言葉には素直に同調できなかったが、よしおくんにもそこまで真っ直ぐ言われてしまうとすげない態度を取り続けるのも難しかった。ナツがさらに諸手を上げてたたみかけてくる。

「ホントホント! ねえまち、ボクのチャームポイントってどこだと思う?」

「え? そ、そうね……」

 尋ねられた私は遠慮がちな風を装いながらも、眼光鋭く流すようにナツの体躯を見やった。

 魅惑の毛並みの背中。マズルとその下の弾力に富み濡れ光る口唇。もったりとしたフォルムとその触れることを拒まれてしまうことで生じる稀少価値がさらに私の情動を煽りたてる臀――

「ねえちょっとまち! 会話を放棄しておさわりはやめて!」

「あ? え? うそ、私触ってた?」

 ナツに押し戻されるまで自分の行動に気がつかなかった。どうも考えながらも体が衝動を抑えきれなかったみたいだ。しかしこれほどまでに私を狂わせる、そのボディは全身まるごとチャームポイントであるということにほかならないのではないか。

 そんなことは口に出せなかったが、よしおくんは「うんうん。そうだよな……やっぱりその体そのものの魅力もな――」などと呟いている。どうも私の行動が如実にそれを物語ってしまっていたらしかった。

「えー。でもやっぱり、何か派手なこともしていかないと」

「それはそれで、今の出来ている感じでいいんじゃないか? オレが思ったのは、画の撮り方を含めたことで、こう、陽射しを受けて毛並みのリアルさが艶めかしいような短いシーンを――」

 ナツの魅力を引き立てるようなものを作る。ということで話がまとまったらしかった。

 私でも少しは役に立てたのだろうか――しかし、私のナツへの欲望が反映されてしまうようで少し恥ずかしい気もする。同時に、その魅力を自分だけの秘密にしておきたいような気持ちも、確かにそこにあったのだった。

 

 

つづく

映画を観たよ

 私は最近まともにアニメも観ずにふにゃふにゃしていますが皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

 

 さて、そんな私が最近していることと言えば標記のことくらいなものですので、そのことについて少し書いておこうかと思います。鑑賞云々も死んじゃいましたしね。

 

 最近、似た題材を扱った作品を続けざまにふたつ観たのでそれについて書くことにします。どちらも例によってホラーです。誰も観ることがないと思いますので簡単なあらすじも書いてしまいます。悪しからず。

 

 

 

●『ベイビー・キャッチャー』(原題:Still/Born)

 夫の昇進を気にマイホームを手に入れた夫婦。妻は双子を身籠り、まさに幸せの絶頂といったふたりだったが――

 冒頭から出産シーンだったかしら。そこで双子のうちのひとりが死産となってしまいます。場面が移って新築(?)の自宅。寝室にはベビーベッドがふたつ置いてあり、そのうちのひとつはその役目を果たすことはないわけです。無理もないことですが、それをきっかけにしてか、妻は産後鬱の症状を呈し始めます。

 上述の似た題材というのが、この「産後鬱」です。どちらも原因は違えど、母親が産後鬱(らしい症状)に陥り、凄惨なことになるという内容です。簡単に言うと。

 この作品での妻は夫が出張で家を空けがちになり、孤独に閉じこもるうちに段々と幻覚などが見えるようになるなどし、それが邦題にあるように子供を盗られる、喪ってしまう恐怖に結びついていき、症状が悪化する――という流れとなっています。
 これがちょっとひとつ、不満な点を生じさせるのですが、双子のうちのひとりが死産。これは確かにガツンとインパクトのある悲しい展開です。でもその他の環境が整っているのですよね。夫はとても優しく家を購入したことで稼がねばならず仕事が忙しい中であっても妻を気遣い、子供の面倒も見ようとするし家事も手伝うし、仕事の忙しさを当たり散らすこともありません。また、赤ちゃんの祖母(妻か夫の親)はその妻と頻繁にビデオ通話で様子を気遣い、育児を手伝いに行こうかという話にもなりかけます。なりかけるだけでしないんですけど……でもビデオ通話でも明らかにおかしい挙動をするのでめちゃくちゃ心配になるはずなんですけど……。さらに孤独と書きましたが、御近所さんに年頃の近い、同じくらいの赤ちゃんのいる所謂ママ友もできて、その人との交流もあったりするんです。結構恵まれていません?
 まあ要するにです。あんな酷い状況になる前に、もっと対処できたのではないか……と。酷い状況になること自体はまあそういうこともあるでしょう。病気なので*1。でも最終的には来る親が遅すぎるのもあれですし、一端入院までしているのに脱走して、凶行に出られると……本当に悲しい気持ちになってしまいます。結末として凄惨な状態を見据えるのであれば、その途中で助かっちゃいけないわけなんで、仕方ない――とは思えないんですよねこれが!

 とても悲しい出来事で産後鬱になった妻が霊的なものに振り回されて最後には死んでしまう。対処がとても困難で虚しさを感じざるを得ない。
 私は少なくともそういったことを表現したいのだと、それのしくじりであると読めてしまったわけなんですけど、そうであるならばもっとその結末に妥当性がなきゃダメだなあと思うのです。手を尽くせてないやん! と歯がゆく、憤りを孕んだ虚しさを感じます。
 これ即ち虚しさを演出できているよという話なのかもしれませんが、だとすればもっと困難さと正面からぶつかってほしいです。例えば親がもっと早く、それこそ出張が決まったところで確実に妻をひとりにしておかないようにしておいてもなお、事が起こってしまった。となればそれはより処置なし感が際立ちますし、手は尽くされているので歯がゆさも軽減され憤りも少ないでしょう。

 ぐだぐだと書いてしまいました*2が、好いところもあります。
 まず、魔女ラマシュトゥという存在を出すのは好ましいですね。ただそれは名前だけで、お話になぞらえた何か儀式的なものをするでなく、単に生贄として別の赤ちゃんを――くらいなことにしかならなかったことは残念です。調査パートもほぼ無かったですしね。
 あとは魔女の録音できていた言葉、妻の「何故うちの子なの?」みたいな問いに「ひとりめが旨かったからだ」的なことを言ったの、あれはよかったですね。この着想から脚本ができたんじゃないかとすら思えますね。
 それと演技は上手です。比べるのもとても失礼なことですが、普段観ているゴミ屑ホラーとは雲泥の差で……へへ。

 まあそんなこんなですが、誰にも頼らず、方策が尽くされず失われていく幸せな日々に絶望する夫に感情移入したい方には、おすすめです!

 

 

●『マザー・ドント・クライ』

 こっちのお話は、先に挙げたものと比べてかなりシンプルな感慨です。一応あらすじを書きます。
 家出をしていた娘が戻ってきた。しかし直後に出産。母は娘にその子の父親は誰かを尋ねるが答えようとしない――

 これもほぼ冒頭が出産シーンでしたねそういえば。
 えーと、まず母子家庭です。娘も結果的にシングルです。話の途中で徐々に明かされますが、家出をした後すぐに街まで乗せて行こうかと車で現れた男に強姦されて出来た子供だということです。
 そういったことで、こちらの作品では二進も三進もいかない状況が作られています。その点では安心でした。

 まあさらに、本当に悲しくなるような設定が少しずつ明かされていくのですが……まあ母親(赤ちゃんからすると祖母)もメンタルの人で、そもそも生育環境が悪いんですよね。さらにその母がかかっていた精神科医が……あれ、読み違えだとよくないんですが、普通に母に気があったんですよね? それで放っておいても大丈夫だって言って母を食事に連れ出したわけですよね? 最初は母もゴミ屑なので娘と孫から離したのかな? と思ったのですが、あの精神状態の(虐待の可能性も大いに考えられる)娘よりかはまだ母の方がましなんじゃないかと思っちゃいました。さらに幻覚だと思う存在から「子供を殺せ」と言われていることについて、治療としてそれに従ってみろなんて言っている場面があって、その辺の意図はなんなのだ……? というのが少し腑に落ちません。子供の安全を第一に考えているわけではないという読み取りができてしまって、そうすると医者が母に気があったと考えるのが妥当かなって思ってしまいます。

 あ、そういえば思い出しましたが、赤ちゃんの傍に置いておいて泣き声があるとスピーカーを通じて泣き声がレシーバーから聞こえるシステム。あれ、両方の作品でありましたね。その辺の使い方は『ベイビー・キャッチャー』の方がちゃんとしてたかな、と思います。こっちだとそれが作動していないのに赤ちゃんが泣き喚く幻聴が聞こえる、くらいの使い方しかされていなかったので。

 話を医者に戻すと、最後、母親が死んだのをよそに娘に麻酔を打って赤ちゃんを持ち去って……なんなのでしょう。なんなのだあれ。本当になんなのだろうか。

 あとはそうですね……私の趣味の話で言えば、この作品の心霊的な根拠が、その村であった過去の凄惨な出来事の呪いなのではないか、ということなのですが、それを鵜呑みにした主人公がオカルティックなおこないでの解決を目指したりしたらよかったかな! まあ産後鬱で弱っていく中でそれができるだけのバイタリティが保てないのがちょっとこの題材との相性の悪さを…………だから、前者の作品で例えば夫がそちらに傾倒して調べていってこじれるとかでもよかったんだよなあ(どっちの感想なのだ)

 全体を通して見ると、環境の悪さが目立ち、むべなるかなという感じを強く受けます。「ままならないな」という気持ちを凌駕して、「まあこういう場合もあるだろうね。仕方ないね」といったところにまで気持ちがいってしまいました。
 そこまでいってしまうと、やるせなさみたいなものは逆に想起されないのだと、その日私は知りました。

 

 どうしようもない場合もあるな。ということを知りたい方に、おすすめです!

 

 

 さて。これを書くにあたり他の方の感想も探してみたところ、『ババドック~暗闇の魔物~』なる作品がまた似通った題材であるという情報も目にしました。

 今度はそれにも挑戦してみようと思います。

 

 あと最近観たゴミ屑を含めたホラーについてせっかくなのでメモしておきます。

ミスミソウ』『それ ~それがやって来たら…』『黄泉がえる少女』『心霊スパイラル001』『怪奇蒐集者シリーズ』『シスター』『口裂け女 in L.A.』『口裂け女 VS メリーさん』『ホラーの天使』『リアルお医者さまごっこ』『心霊玉手匣 constellation』『デンデラ』『ザ・ヴィレッジ』『フリーキッチン』『ドント・イット』『新感染 ファイナル・エクスプレス』『THAT/ザット』『悪霊館』『奇死伝 パラノーマル・デモニッション』『百合色』『こどもつかい』『埼玉喰種』『うしろの正面』『凸撃!!心霊調査隊 カチコミ』『戦慄ショートショート 恐噺 うしろにいますよ』『投稿 怨霊映像ベストランキング30!』『屍憶 -SHIOKU-』『戦慄の果てに女は嗤う』『呪家2』『マインド・エスケープ』『劇場版 屍囚獄 結ノ篇』『呪家 ノロイエ』『婆の怨霊』『呪怨館』『アンノウンッ』『ヴィジット』『浮遊霊!』『パッセージ 牙剥く森』『スケア・キャンペーン』『グレイトフルデッド』『事故物件 クロユリ荘』『どけっ!』『丑刻ニ参ル』『イット・フォローズ』『ライト/オフ』……

ちょっと、どこまで書いたらいいかわからなくなってきちゃったのでやめましょうか。最近と言いながら去年の5月まで遡っちゃった。にはは(がお。。。)*3

*1:まあ病気じゃなくて少なくともなんらかの心霊現象なんですけど

*2:文句は筆が乗るのんな。

*3:古の鍵っ子並の台詞。

今日の気づき(パクり)

本物であり特別な価値を持つものを見出すことは、即ち偽物でありありふれた価値のないものを見出すことであります。

本物を求めるということは偽物とは一線を画したいということであって、その背景には優越したいという気持ちや偽物を軽蔑する気持ちがあることがまず考えられます。もしくは単に高潔たろうという志に因ることもあり得ましょうが、後者は特殊な条件が付されていなければ納得困難な気がします。

そんな、偽物と自分を切り離したい気持ちは劣等感に対する反応として惹起されることもあるでしょう。もちろん他のルートもあり得ますが、この場合は劣等感の存在を解釈し得ればそれで足りる話です。

人間関係を含む関係性がなければ、比較対象がなければ劣等感は生じづらいでしょう。

関係性での劣等感は直接的な事由で解消不可能であるならば、別の面で対処しなければなりません。そして、その面こそが価値のあるものであると信じなければなりません。

ある面においては劣っているかもしれないが、本当に大切な面においては優れているのだから総合的にみて誇っていいよ。というわけです。

少し話がずれますが、思春期など比較をしたがるタイミングである印象があります。また学校は集団生活で同じことに取り組むなど比較の場面が多いように思います。
そのことは上述の事柄を生じさせやすいと考えられますので、即ち中学高校あたりの舞台設定において上述の事柄は相性がよく、頻出となりそうな気がします。

虐められていた生徒が何かのめり込んでいる趣味などで驚嘆すべき成果を出す、または出したかと思いきや出せてなかった。みたいなのはよくありそうなお話です。

とかく、共感を覚えやすいか、感慨が得られやすいか、という点で有利な印象があるものですから、そりゃあ採用頻度の高い類型なのだなあという気づきでした。

何かの教科書にでも書いてありそうな話ですよね。でも自分の頭の中由来だとこんな程度にしかならないわ。まあとにかくストレスから身を守るんだ。

 

ところでルサンチマンってなんだろう……あんまり響きが好きじゃないな。ストレッチマンみたいで。

ゲームすらしていないとなると、何しているんだ?

 常日頃、思い返すと大体ミラクルニキっていうゲームしてるんですが、これやっちゃうとほかのデイリールーチンゲームできなくなっちゃいますね。

 

 アズレンしていたんですが、最近はフェードアウトしてきています。私にとって日々のルーチンは忙しいときにでもできる程度の分量じゃないと継続が困難で、心が折れてしまいがち。最短で10分くらいで終わらないと(めちゃくちゃ)

 

 そういったことになってしまう原因のひとつに、先日替えたスマホの動作が重いというのがあるのですよね。これが絶望的です。
 というのも、例えばアズレンであれば、ドックの一覧の表示に数秒かかるとか、ホーム画面に戻るのに左上連打してると、処理が遅れて秘書艦を変更しがちであったりなど、かなりのストレスです。操作は快適じゃないと。特に面倒なやつは。

 もっと致命的なのが音ゲーで、ラグるので何もおしまいです。フォトカツ……あとついでにガルパとかも。

 継続できているニキですら少し重さを感じます。例えば目標コーデ画面を開こうとするときなど。2秒くらい画面が固まることがあります。こわいですね。
 それでも圧倒的に軽いし、拘束時間も短いしで……うーん。

 

 さて、ここで少々ニキの話をいつだか振りにしてみましょう。
 ニキといえばバトルがわかりやすいゲーム性ですが、わかりやすく言えば、じゃんけんみたいなものです。
 じゃんけんみたいなものなのですが、スキルを打つタイミングと評価シーンのずれや効果発動までのラグなど遊びがあるのでちょっとした戦略が必要です。でも究極には運ですね。あとは運がよければ、という状態にどれだけ持って行けるかゲー。

 あとは課金がきつくないのもよろしいです。いくつか種類のある短い周期で開催されるイベント、その中でも一番厳しいランキング報酬を狙うイベントであっても、まあ精々10kで満足いく結果が得られるでしょう。あとは取捨選択で月に数k入れるか入れないか、です。

 とはいえ、入手した服やアクセサリーを組み合わせることで既存のキャラクターを表現してみたり、単純にアイテムをいっぱい集めようとしてみたりなど、スコアーを追う以外にも遊ぶ余地はあります。

 最近は運営が雑でみんな困っちゃっていますけれどね。頑張ってくれたのむ。

 

 さあみんなもはちゃめちゃなコーデでクイッククリアーし散らかそう!

 

 

 しかしまあ任意のタイトルが満足にプレイできない現状、咀嚼すると悲しい状況ですねぇ。ソシャゲだけに。おあとがよろしくないようでし。

ジャンルの闇

 こんばんは。

 特にどうということはないのですが、機会を逃し続けて結局消えていってしまいそうな概念の一部を今回とりあえず仄めかしておくことにします。
 前提となる独自解釈はあんまりないと思うのでまっさらな気持ちで大丈夫なはず。

 

 何かのコンテンツを分類する、ジャンル分けをするときの話です。
 キモとなるのは単純な考えで、

 1 ジャンル自体に符号以上の意義は存在しない
 2 ジャンルの意義も発散している

このふたつです。と思ったら発散とか言い出してるじゃんね。ダメね。

 

 発散だけは簡単に説明しておきましょう。
 自分の考えは当然他人とは違うので、極論、ありとあらゆる捉え方が同時に存在していて良いという――言い換えれば、それぞれがそれぞれにとって正しく見えることはあっても、絶対的に正しいものというものは存在しないのだ――という考えを前提とすると、いろいろなものが結論として「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」ということになって無意味に思えちゃう。そんな現象のことを発散と呼んでいます。

 

 はい。というわけで上述のものを順にメモしていきます。

 

1 ジャンル自体に符号以上の意義は存在しない
 これは発散の前身となる絶対的な正しさは存在しない説をそのままジャンル分けに適用しているだけですね。今気がつきました。
 符号としての意義というのは、自分の嗜好に合ったものが存在する可能性が高いジャンルを追うと便利だね。ってことです。

2 ジャンルの意義も発散している
 これは1の補足ですね。そんな意義も、個々人の嗜好はバラバラですから、あるジャンルに含まれるものが自身の嗜好に合致する確率もまた、バラバラであるということです。
 そうすると、ジャンルそのものに集まった同好の士と思われる人であっても、そのジャンルの広さによっては必ずしも一様の嗜好を持った人たちであるとは言えない。ということになります。
 これが結構曲者で、例えば同じメイドが好きなんだーと言っている人であっても、メイドの在り様が好ましい人もいれば、メイド服のひらひらが好きな人もいるという当たり前のことではあるはずなのに、「このメイドかわいい」という意見に対して「いや、そんな露出が多くひらひらと華美な服とか邪道だろ」なんて言ってみたりしちゃう。そうして「ヴィクトリアンメイド」だとか「ロリータメイド」みたいな細分化がなされると、それぞれを嗜好する者の母数も必然的に少なくなり、衰退していく……みたいなところまで簡単に想像できますね。いやどうなんだ。でもまあそんなことです。


 文化研究みたいに論じるのはそれはそれで別の意義があるのかもしれません。学術的な? と言いますか。
 でも今ここで言っているのは通常嗜好時にジャンルを捉える際に私が弁えていることになりますね。

 

 まあ結論は何かっていうと百合はレズじゃなくねぇんだ線を引くんじゃないふわっとさせておけ。という話でした。それも私が弁えているってだけですけどね(発散)


掲載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標、または登録商標です。