無気力に細切れに17
向日葵が死んで二日が経ち、各自少しずつ折り合いをつけ始めていた。世界は何事もなかったかのように回っている。正午を過ぎ、急に空が暗くなってきた。予報では午後から雨が降るようだ。
昨日から綾乃は自室にこもっていた。何もする気が起きない。必要最低限の行動しか取る気がしなかった。
やがて湿った風が吹き始め、薄ら寒い空気が夏らしい雰囲気を押し出した。雷鳴が遠く聞こえる。カーテンの閉め切られた室内は外界から隔絶されていた。綾乃はより一層暗くなったが構わずベッドの上に蹲る。
彼女はただただぼうっとしているのではなかった。つい数日前の平穏な日々に想いを馳せていた。
向日葵が亡くなった日の数日前、生徒会室に彼女と櫻子を呼び出していたことを思い出した。わざわざ場所を生徒会室にするなど、生徒会関連の用事であると誤解させるような小賢しい行為だった。
実際はいつもの京子とお近づきになろうというような思惑があったのだが、結局はあの箱の件を櫻子に提案され、それは別ルートで達せられた。
浅薄な目的のために向日葵や櫻子を煩わせてしまった。そんな自分の浮かれた行動が、改めて考えると恥ずべきものに思え、綾乃は後悔していた。
「歳納京子は……きっと平気。だって強いもの」
口をついて出た友人の名前。疲弊した心には彼女の天真爛漫な振る舞いが鮮烈に思い起こされる。
「……あの人は、いつも眩しい」
綾乃は自身の少し内向的な性格をよく把握していた。少しずつ改善していこうともしていた。副会長にも立候補した。そして京子は綾乃の理想とする長所をたくさん持っていた。
明るくて社交的。前向きで行動力がある。成績が優秀だが気取らない。
隣の芝生は青いもので、持ち得ぬ長所は短所を覆い隠す。しかしその長所は紛れもない真実で、綾乃はそのことを純粋に捉えていた。
「……千歳。千歳は大丈夫かしら」
次に思い浮かんだのは一番の親友の名前だった。
綾乃は彼女の柔らかく包み込むような雰囲気を思い出し、安堵感を覚えた。今は京子のような鮮烈な刺激を伴うイメージよりもこちらの方が得難いもののように感じた。それと同時にその雰囲気には儚さがつきまとう。向日葵は彼女にとっても大切な後輩だったはずだ。綾乃が受けているショックと同程度のものが彼女を襲っていることは想像に難くなかった。
普段だって何もなくとも連絡は取る。自分だったら連絡があれば嬉しい。など幾重にも足場を踏み固めながら、綾乃はようやく他者との繋がりを欲した。
震える手でゆっくりと携帯を操作する。
永遠かと思うほど長い五回の呼び出し音で電話は繋がった。
「もしもし……千歳?」
「あの……杉浦さん、ですよね」
耳元から聞こえたのは綾乃が待ち構えていたあの柔らかい声とは程遠い、別人のものだった。混乱した綾乃は唐突に涙をこぼした。少し遅れて嗚咽も漏れる。
「う、うぅ……っ! 千歳……千歳ぇ……」
「あ! えーと、私です! 妹の千鶴です!」
電話口からでもただならぬ気配を感じた千鶴は咄嗟にきちんと自己紹介を挟んだが、綾乃が落ち着くまでにはしばらくかかった。
「姉さんはちょっと、朝から出かけてしまっていて……携帯、家に置きっぱなしなんです」
「……そうなの。ごめんなさい、みっともないところを」
「いえ、しょうがないですよ……あんな……」
千鶴は咄嗟に言いかけた言葉を飲み込んだ。さっきのように泣かれたのでは堪らない。
「そう、姉さんも、なんだか少し様子がおかしくて……やっぱり、私にはあんまり心配かけたくないからか、なんともないって言うんですけど」
ついつい「姉さん『も』」と本音が出てしまっていたが、綾乃は逆に気持ちを持ち直した。
綾乃の勝手な想定どおり、千歳も少なからぬ傷を負っていて、誰かの助けを必要としているのだと解釈したのだ。
「そう……まあ留守ならしかたないわよね。千歳が帰ったらいつでも連絡してきていいからって伝えてもらえる?」
「はい。伝えておきます。わざわざありがとうございました」
なんとか危なっかしい通話が終わった。
千鶴はひとつ大きく息を吐く。さっきは夢中だったが、あのしっかりした綾乃があれほど取り乱していたことに、かなり驚いていた。
しかし、それはすぐに姉の心配へと変わる。では千歳はどうなのか。千鶴の胸はざわついていた。どうも昨日今日と千歳の行動が不自然に見えた。綾乃のように不安で情緒不安定になったり、鬱々と引きこもりがちになったりするのが普通ではないのか。今朝などは特に、いつになく行動的な様子が見受けられたのだ――
重要なシーンですね。綾ちとですよ。千鶴はそれどころではないようですが……。
まあ綾ちとというか、千歳が好きなだけでしょう。私はそう理解しています。姉妹百合やんね。