作品の価値について
特に大それたことを言うつもりもないですし、できもしないのですが、メモ程度に書き散らかしておきます。
価値という単語がTTじみていてあれですが、特に狭い意味があるわけではありません。良い悪いのベクトルのお話です。
作品の価値を大きくふたつに分けて見てみると、単純に作品そのものの価値というもののほかに、個人がその作品に対して見出した価値というものも考えられます。
このふたつを一緒くたにして考えると、こんがらがって最悪死にます。それは、自分のことを考えるときでも、他人が話す作品の価値らしき事柄についても同様です。
作品そのものの価値というものは、ある程度一般化された、多数の個人がその作品に価値を見出すであろうという期待により成り立つ価値であって、作品の「良さ」とでも表現できましょう。秀作とか良作とか名作とか、そんなことを言える作品なのかもしれません。ちなみに私は対義語として「悪い」と表現します。
一方で個人がその作品に対して見出した価値というものは、単に個人の嗜好に合致するかなどの低いハードルを超えると容易に成り立つ価値であって、作品の「好さ」とでも表現できましょう。情動により自動的に判断されるので、かなり個人個人でばらばらな作品が挙がってきそうです。ちなみに私は対義語として「ダメ」と表現します*1。
こうまとめると、ちょっと考えてみれば自明なのですが、前者のつもりで後者を語ると地獄だぞってことですね。そして、前者の考えはとってもハードルが高く、通常は後者の考えを自覚的に採用していくのが現実的な気がしてきます。
作品の良し悪しを考えるには、適当な十分広い範囲の集団で定積分したときに個人的な嗜好がキャンセルされることを前提として、少なくともそういった嗜好に大きな影響を受けないのであろう要素を吟味していかねばなりません。盤石な理由をまず探さねばなりません。面倒ですね。面倒じゃない部分*2で言えちゃうことも多いんですが。
対して個人的な感想にすぎない作品の好いダメは自分のことなので自分の心に嘘を吐かない限りは、それが正しいので簡単です。胸を張って叫べます。正しさが必ず先に来るので、理由は後付けでよろしい。(可能なら理由は付けるべき)
ちなみに個人的には良い・好い/悪い・ダメと対立させると、前者はハードル*3が低くて後者が高いです。*4そのために、この4つを言いやすさで並べると、
好い<ダメ≦良い≪悪い
こんな感じになるかと思います。良いぐらいまでならわりとカジュアルに言えますね。悪いは相当悪くないと難しい……。
ただ、個人的に良い・悪いは、多くの人がそのように考えるであろうという自分の脳内で想定されるコモンセンス的なものを下敷きにしている都合上、無責任で自分勝手な感を拭えないとかいう矛盾に苛まれてしまうので、専ら好い・ダメを使っているというのが実情です。
ごちゃごちゃ言ってるけど何が結局言いたいのかって、大抵は後者で作品語ることになるんだからそれを自覚しろ。って、あの、その。