わんこと犬のグラデーション
久し振りに気持ち悪いことを書きます。
わんこっていうのは警戒心の少なく人懐こい純粋で打算のない天真爛漫で悪く言えば知性が足りないために悪意のない存在を示すとします。
その要素を満たすキャラクター性を真っ当に考えると、子供っぽさといったところにまとめられて、要するに幼いキャラクターに落ち着きがちということになります。
犬っていうのは従順で献身的で思慮深く慎み深くよく耐え忍び依存的で内省しがちな存在を示すとします。
その要素を満たすキャラクター性を一般的なもので挙げるとメイドや従者、ロボット・アンドロイドといった存在になるのだと思います。あと奴隷とか。
わんことの一番の違いというのが知性に富むというところです。思考が冴えるためにいろいろと献身的なこともできるのだと。
相応の知性を獲得するためには一般的にある程度の年齢まで成長する必要があるだろうと思います。
私の好きなこのふたつのキャラクター性について、私は過去に「害を被ることが少ない」という事実で貫き、それが自身の求める核であろうと結論付けました。
それはそうで正しいものだとは思います。
今回はそういう意義を探る話ではなく、このふたつのキャラクター性を前述のように整理すると、知性の成熟すなわち一般的な成長過程に落とし込めるのだということを、最近明確に意識し始めたというお話です。
ある単一のキャラクターをして、幼いところから想定し、それが成熟していく過程をなぞることで、わんこから犬へのグラデーションを描くことができる。そこに必然性があるかはわかりません*1が、そういうルートもあり得ることでしょう。一体的に理解できるというより、まとめて扱えるということ、それ自体が意義深く思います。
だーっと書きましたがこんな感じです。
これは性癖です。お前やばいぞぉ!(堀さん)って感じ。
*1:わんこが犬に成長しないことも普通でしょうね。