たしかに正しいけど、その通りだけど。

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ジャンルの闇

 こんばんは。

 特にどうということはないのですが、機会を逃し続けて結局消えていってしまいそうな概念の一部を今回とりあえず仄めかしておくことにします。
 前提となる独自解釈はあんまりないと思うのでまっさらな気持ちで大丈夫なはず。

 

 何かのコンテンツを分類する、ジャンル分けをするときの話です。
 キモとなるのは単純な考えで、

 1 ジャンル自体に符号以上の意義は存在しない
 2 ジャンルの意義も発散している

このふたつです。と思ったら発散とか言い出してるじゃんね。ダメね。

 

 発散だけは簡単に説明しておきましょう。
 自分の考えは当然他人とは違うので、極論、ありとあらゆる捉え方が同時に存在していて良いという――言い換えれば、それぞれがそれぞれにとって正しく見えることはあっても、絶対的に正しいものというものは存在しないのだ――という考えを前提とすると、いろいろなものが結論として「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」ということになって無意味に思えちゃう。そんな現象のことを発散と呼んでいます。

 

 はい。というわけで上述のものを順にメモしていきます。

 

1 ジャンル自体に符号以上の意義は存在しない
 これは発散の前身となる絶対的な正しさは存在しない説をそのままジャンル分けに適用しているだけですね。今気がつきました。
 符号としての意義というのは、自分の嗜好に合ったものが存在する可能性が高いジャンルを追うと便利だね。ってことです。

2 ジャンルの意義も発散している
 これは1の補足ですね。そんな意義も、個々人の嗜好はバラバラですから、あるジャンルに含まれるものが自身の嗜好に合致する確率もまた、バラバラであるということです。
 そうすると、ジャンルそのものに集まった同好の士と思われる人であっても、そのジャンルの広さによっては必ずしも一様の嗜好を持った人たちであるとは言えない。ということになります。
 これが結構曲者で、例えば同じメイドが好きなんだーと言っている人であっても、メイドの在り様が好ましい人もいれば、メイド服のひらひらが好きな人もいるという当たり前のことではあるはずなのに、「このメイドかわいい」という意見に対して「いや、そんな露出が多くひらひらと華美な服とか邪道だろ」なんて言ってみたりしちゃう。そうして「ヴィクトリアンメイド」だとか「ロリータメイド」みたいな細分化がなされると、それぞれを嗜好する者の母数も必然的に少なくなり、衰退していく……みたいなところまで簡単に想像できますね。いやどうなんだ。でもまあそんなことです。


 文化研究みたいに論じるのはそれはそれで別の意義があるのかもしれません。学術的な? と言いますか。
 でも今ここで言っているのは通常嗜好時にジャンルを捉える際に私が弁えていることになりますね。

 

 まあ結論は何かっていうと百合はレズじゃなくねぇんだ線を引くんじゃないふわっとさせておけ。という話でした。それも私が弁えているってだけですけどね(発散)