くまみこのはなし5
5.
連休初日、早朝に家を出た私は途中休み休み高速を下り、目的地最寄りのインターチェンジを下りたのが日も傾きはじめた頃になってからであった。
「んー……腰が痛くなっちゃったなー」
自動二輪での旅としては少々厳しい――いや、人によってはミニバイクとかでも日本一周したりするのだからそんなことは言っていられない。
単に私が長距離運転に慣れていないだけのことだ。
少し体をほぐすようにしながら国道を流していると、道の駅の看板が見えてきた。
この辺りで一度休憩をとろう。
『道の駅 よってけ』
――面白い名前だ。
でも中は普通に農産物の直売所があったり軽食が売っていたりと普通の道の駅だった。
確かこの辺りは「田村村」というんじゃなかったか――いや、ここも合併で「田村地区」だったか。なんにせよ『道の駅 たむら』とかじゃいけなかったのだろうか。
しばらく休ませてもらい、これからの行程を確認する。
普通に考えて今日はこちらに泊まる予定なのだが、できれば件の熊出村で宿を探したかった。しかし、ネットで調べてもなかなか情報はない。存在しない可能性が大である。
そうなれば町の方の市街地にある適当なホテルに行ってみるしかないかもしれない。でもとりあえず一度どこかで宿屋の有無を訊いてみようと思っている。
服に関しても、必要最低限しか持ち合わせがない。思ったより寒いので、何か適当に着るものを見繕いたい。こちらに関しては国道沿いに何かあるだろう。あとは――
「あだぁ、『熊出村』行ぐな?」
「え」
不意に腰の辺りを雑に掴まれると、しわがれた大声で話しかけられ、体が硬直した。
腰の曲がった老婆がビニール袋を片手に私の服を掴んでいる。そして私の困惑などお構いなしにまくし立てた。
「熊出村はぁ――呪われておるんじゃて――」
「えーと、の、呪い……?」
「近づいてはならぬ……『ケモノ』に憑かれておるからなぁ!」
「き、気をつけます」
突然の剣幕に、それ以上何も答えることができない。
そのまましばらく目を伏せていると、強い力で掴まれていた服は放され、老婆はじりじりと遠ざかっていった。
辺りを見回してみたが、ほかに人はいない。目的地に着く前に変な面倒事に巻き込まれたかとひやひやしたが、これ以上何も起こらなそうなことを確認すると、再びバイクに跨り、逃げるようにその場を去った。胸に不快感がわだかまるというよりむしろこの旅の趣旨からすればそれはスパイスですらあったのだが。
* * *
国道をしばらく走ると、運よくファストファッションの店舗を見つけることができた。迷わず入店する。
いやしかし、こんな所にもあるのか……このファッションセンターは。うちの近くにもチェーンの別店舗があるのだ。なんだか安心してしまう。
そんな気持ちが少し顔に出てしまっていたのだろうか。商品を物色していると、不意にほかの客と目が合い、わずかに笑いかけられた。
青い制服に赤い紐タイ、黒い髪を左右に結んで前に垂らした大人しそうな少女だった。
地元の学生だろうか。一瞬話しかけてみようかと思ったが、躊躇ったわずかな間に彼女は違う棚へと歩いて行ってしまった。
私は仕方なく本来の目的に意識を戻す。知らない土地で凍えたくはなかった。
無難なデザインの服を手に取ってレジに向かう。こういうのはあまり悩まない性質だ。
最後まで勝手知ったる安心感のある空気に包まれながら退店したところで、先程目の合った少女が自転車を押しているところに遭遇した。
普段あまり社交的な方ではないが、旅先ではそんなわけにはいかないこともある。
少し意を決して、彼女に話しかけてみることにした。
「すみません。ちょっとお伺いしたいんですけど」
「ひ、え、あ……えーと」
急に話しかけたのは悪かったかもしれないが、そんなに怯えるほどだろうか。
こちらの緊張感が急激に引いていく。
「急にごめんなさい。ちょっと、道の確認がしたくて……地元の方ですか?」
「は、はい……」
「すみません。ありがとうございます。県外から来たんですけど、ちょっとこの辺電波が弱くて携帯の電池も心もとなくて……。えーと、熊渡谷の方……熊出村に行きたいんですけど、そこの橋を渡るので合ってますか?」
「え?! うちの村に来るんですか? な、なんで……」
村の名前が出た瞬間、直前までの様子から打って変わって鋭い反応を示した少女だったが、自身でそれに気付いたのか、最後の方は再び消え入りそうな調子となっていった。
――村人か。ちょっと顔見知りになれたことは好都合かもしれないな。
とにかく、怖がらせないように優しく話しかける。
「テレビでゆるキャラのナッちゃんを見て、ちょっと調べたら綺麗な村だなーと思いまして」
「ナツ……な、ナッちゃんのファンの方ですか?」
「ファン……そうですね。あと村の方にも興味が湧きまして」
「えー……そうなんですかー……」
心底驚いたのか、少女は少々失礼な反応を見せたが、流すことにした。「ほ、本当にそんな人いるんだ……」などという声も聞こえるが気にしない。
「そうそう、それで、ここで橋を渡るので間違いないんですよね?」
「あ、はい! あとはほとんど一本道ですけど……」
「わかりました。本当にありがとうございます。」
急に話しかけて申し訳ない、と再度謝りを入れながら、少女に別れを告げた。
駐車場から道に出ようというタイミングで再び少女の方に目を向けると、そのままの格好でまだそこに佇んでいる。
あの極度の人見知りは地域性なのだろうか。そうだとしたら、先が思いやられることだった。
* * *
「はー東京の方から! ご苦労なことで!」
「方面……ではありますけどね、東京は私の地元から見てもかなり都会ですよ」
「いやーーでも、この辺は見てのとおり、信じられないくらいクソ田舎でしょう?」
「の、長閑でいいと思いますけれど……」
村の入口に個人商店を見つけたので飲み物やらを買いつつ話を聞こうかと思ったら、想像以上に話し好きなおばさんに捕まってしまっていた。
さっきからこんな調子で自虐的に攻め立てられている。
田舎に旅行あるあるではあるのだが、かなりのディスり方だ。
それでいて、いくら話していても頻出の「都会の人じゃこんな所に住めない」という話にはならないな、などとぼんやり思っていると、「おばちゃーん」という声とともに、別の客が引き戸を開けて入店してきた。
「ん? あれ、どちらの方?」
「よしおちゃん! この子ね、東京から来たんだって!」
「へぇー! まさか、観光ですか?!」
「え、あ、はい。そうです。あと東京ではなく……」
「おおおお!! いやすごい! どうしてうちの村に?!」
初対面の男性が入ってくるなりハイテンションで矢継ぎ早に問いかけてくるので、面食らってしまう。話し好きのおばちゃんの比ではない。
先程会った少女はやはり、大人しい子だったのだな、などと思いながらも、彼の会話のペースに呑まれ、いつしか「村を案内しますよ!」などという話になっている。
「いいんじゃない? よしおちゃんよりこの村に詳しい人いないからねぇ」
「この村で一番、この村のことが大好きですから!」
勝手に話がまとまっている。
村に詳しいというならこちらとしても願ったり叶ったりではある。
ただこうも強引に若い男性に――しかし人の良さそうなおばさんもこう言っているわけだから信頼できる人なのだろうか。でもそもそもこの人は何か用があってお店に来たんじゃないのか?
いろいろと考えは巡ったが、具体的に口を吐いて出ることはなかった。
適当な相槌しか打てないままに、背中を押されるようにして表に出る。
去り際におばさんにお礼を言おうと振り向いたが、すぐ後ろにいたはずのその姿が消えていた。よく見れば、店の奥のカウンターにその姿はあったのだが、先程までにこにこしていたはずのその表情は固く、黒電話の受話器を片手にそそくさとダイヤルを回している。
そんな電話まだ現役なのだなあ、とそのときは曖昧に流してしまったのだった。
* * *
連れて行かれたのは村役場の応接室であった。
連れて行かれたとは言っても、私は単車だし彼は軽自動車だしということで気楽に後を付いていっただけではあった。
ちなみに、入口には急ごしらえのような「北島郡吉幾町 熊出出張所」との立て看板が掲出されていたが、途中の案内板や建物内の様々な表現において当然のように「村役場」や「熊出村」が使われている。
『本物』の気配に少しだけ背筋が凍った。
「すみませんねーせっかく来ていただいたのに、観光案内所みたいなものはなくて」
「いえ全然……でも、役場の職員さんだったんですね。業務中にすみません」
「いいんですよ! これもわくわく観光課職員としての業務にほかなりませんからね!」
任せてくれ、と言わんばかりの自信たっぷりな様子だ。
しかし、こんな待遇を受けるとは、やはり観光客は相当珍しいのだろうか。
「ああ、すみません! 申し遅れましたが、私、熊出村わくわく観光課の雨宿良夫と申します!」
「えーと、私は山村と言います」
「おおお! いいお名前ですね!」
「いえいえそんな……でも、名は体を表すといいますか、長閑な山村が好きで――」
それからしばらく、村談義で盛り上がった。
私としてもあまりこの話題で話すことがなかったので、少々調子に乗ってしまったところがあったが、それ以上に雨宿さんは興奮しているようだった。
「じゃあ、村が好きでここに? いや……村なんてその辺にいくらでもありますよね……あれ、どこからいらしたって話でしたっけ?」
先程はぼかしていたが、ここで具体的な地名を伝えてみる。
雨宿りさんはやはりというべきか、強烈に食いついてきた。
「えっ! クマって熊ですよね?! 熊が付く地名なんですか!! それで山村さん?! これは無関係なはずないですよ!」
「あはは、私もそう思います」
とっておきの隠し玉的な気持ちでいたが、あまりに食いつくので可笑しくなってしまった。
熊出村のことを調べているときに、近くを走る鉄道の最寄駅である『熊渡谷(ゆうとだに)』の文字列を見て思いついた取り入り方だったが、さすがに効果抜群であった。
「へー……そうなんですねー……いやあ、本当に奇遇だなあ……!」
面白い偶然に、未だに浸っている様子の雨宿さんだったが、思い出したように両膝を叩くと、「なんでこの村にいらっしゃったかって話でしたね」と話題を戻した。
「はい。その関係での対応は多いと思いますけど、私もゆるキャラの『ナッちゃん』を見まして」
「ああ! いやーさすがに1位を取ると違いますねぇ!」
「おめでとうございました」
一応、お祝いの言葉を述べておく。雨宿さんは「ありがとうございます!」と快活に答え、それから「しかし、ついにナツ目当てで来てくれる人が……」と呟いた。
「『ナツ』、というのはナッちゃんの本名なんですか?」
「え? ――ああ、そうなんです。『クマ井のナッちゃん』。クマ井が名字でナツが名前――って、設定なんですよね」
そう答える雨宿さんに、少し今までとは違う慎重な態度を感じた。
さらに彼は小声で「まあ裏設定なんですけど」と歯切れ悪く話しつつ、後頭部を弄った。
――裏表のない、わかりやすい人だなぁ。
熊出村が閉鎖的な山村であることは間違いないが、殊、彼に関しては私にとってかなり都合のよい存在であるようだ。
私が微笑むと、それに気付いた彼も悪戯がバレた子供のように笑みを浮かべた。
つづく