たしかに正しいけど、その通りだけど。

ブログじゃないという体でまとまった文章を置いておきたい場所

くまみこのはなし6

6.

 

 よしおくんの家の車庫に自転車を戻し、丸太橋を渡って自宅を望む。

 ふう、と一息吐いて、玄関の引き戸を開けた。

「ただいま」

 土間におばあちゃんの履物はない。またどこかに遠征していて、帰っていないのだろう。

 居間を抜けて階段を上がり、自室に入る。

 荷物を置き、取って返すように廊下に出ると、ちょうどナツも部屋から出てきたところだった。

「あーまち、おかえり!」

「ただいまナツ。うちにいたのね」

「うん。ちょっとYouTuberとしての作業をね」

 とぼとぼと歩く姿は、少し疲れているように見えた。

 私は何も言わずナツに近づくと、胸元辺りの体毛をもそもそと触る。

 ナツはしばらくなすがままにされていた。いつものようなスキンシップがないことが気になる。

「……大丈夫ナツ? 根を詰めすぎなんじゃない?」

「そうかも。でもまちが帰ってきたからもう元気!」

 具体的に指摘されてナツも明るく振舞いだす。

「そうだ! さっきね、しまむらでナツのファンに会ったわ」

「え? ファン?」

 ナツは瞳を円くして、小首を傾げた。

「そうなの! びっくりよね! わざわざ会いに来たって言うのよ? バイクで遠くから」

「観光客だ! そっか……よしおが知ったらよろこぶだろうなー」

 ナツのテンションが目に見えて回復した。私の報告が功を奏したのを見て、ようやく安心する。

「よしおくんに会ったら、いろいろと質問攻めにされて、ドン引きされないかしら」

「あり得るね……もう会っちゃってるかな?」

 よしおくんという危険人物を村の代表と思ってもらいたくはない。

 安心したところで、そんな軽口も出てきたが、報告をしようと思った純粋な動機を思い出した。

「でもね、ナツ聞いて! あの人、雰囲気からして絶対に都会の人だと思うんだけど――つまり、都会の人もしまむらに行くってこと! やっぱりしまむらの名声は広く轟いているの! 片田舎の象徴なんかじゃないわ!」

「あ、うん。そうだね……」

 完膚なきまでに証明されてしまったその先進性には、さすがのナツも言葉少なに首肯するしかない様子だ。

「でもその人、ボクのファンだっていうなら、ボクに会いに来たりするかなぁ」

しまむらでナツに会う服を見繕っていたのかしらね?」

「いや、しまむらの話はもう大丈夫だからね」

「でもきっとそうよ! だって、憧れの人にはハイセンスでファッショナブルな装いで会いたいものでしょ?」

 静かに頷いてくれるナツ。

 以降も私はナツにそのよろこびを十分に伝え、全身の毛並みを堪能した。

   *  *  *

 

「――ということがあったんだよ!」

『ご苦労様、ナツ!』

 それからしばらくして、ふたりで神社に着くとよしおくんから電話があった。

 彼はかなりの上機嫌で、観光客の人に出会ったことが電話の第一声からして明らかだった。

 すぐにナツに代わってくれということなので、ナツに受話器を渡してから、私は少し冷静になって考える。

 古臭い風習が未だに残る、この村。

 そんな村でずっと育ってきたことを、恥ずかしく思う気持ちがある。

 しかし、その村に魅力を感じ、わざわざ訪れようという人もいる。

 もちろん、そこに暮らすのとただ一時的に訪れるのではまったく違うのではあるが、それでも求められるだけの何かが、この村にあるという事実は確かなようだ。

 今回は『ナツ』の魅力を、よしおくんが広く知らしめたことが直接的な要因かもしれないが、これから彼をはじめ、多くの人の手によってこの村のことが広く紹介され、もっともっと村外からの来訪者が増えるのかもしれない。

 以前、東京の親子が村に少しだけ滞在した際には、相手が同世代の男子だったこともあり、変に意識をしてしまった結果、いざ交流してみようと思ったときには村を離れてしまうようなこともあった。

 都会の高校に通うには、田舎コンプレックスとコミュ障はきちんと克服しなければならない。

 幸い、先程遭遇した人は同世代の男子ではない。そして物腰の柔らかそうな人だった。

 見た目で判断をしてはいけないが、ひびきちゃんと比べたら断然真面目で誠実そうに見えた。

 あのひびきちゃんと親交を深めようとしている私なら、なんとかならないはずがない。

 また、せっかく村を訪れてくれたのだ。おもてなしの気持ちで接するのが当然ではないか。

――そうよまち。私にだって、村のイメージアップに貢献できることがあるの。ああ、でも……。

 村のイメージアップというより、よく考えれば、私が変な態度をとってしまうことは、ナツの顔に泥を塗るような行為ではないだろうか――などと、わざわざ自分を苦しめるような考えが頭をよぎったが、それを断ち切るようにかぶりを振った。

「わかった。じゃあ待ってるよ」

 ちょうどナツが受話器を置き、こちらを向く。

「まち、これから少し村を案内しながらこっちに向かうってさ。まちはうちにいる?」

「私も行くわ」

「わ、どうしたのまち? どういう風の吹き回し?」

 もちろん行かないと思っていたのか、ナツは少し心配そうに言った。

「大丈夫よ、ナツ。ナツの顔に泥を塗るようなことは絶対にしないわ」

「そんなことは思ってないよー」

「私もいつまでもこのままじゃ、いられないもの」

「へぇ……えらいなーまちは」

 鼻息も荒く答えた私の言葉に、ナツは感嘆の呟きを漏らした。

「じゃ、行きましょナツ。ナツこそ粗相のないようにね!」

 

   *  *  *

 

 熊出神社の拝殿内でナツとふたり、入口をにらみながらまんじりともせず正座で待機している。

 家を出るときは意気揚々としていたが、いざ待つ段になると少しずつ緊張が高まってきた。

 こちらは余裕があまりないが、ありがたいことに、ナツがいつものように雑談を投げかけてきてくれる。

「ここで私服のまちを見るのもなんだか新鮮だな」

「巫女服を着るわけにもいかないんだから、しょうがないじゃない」

「ほめてるんだよー」

 普段着のようにしている巫女服は、表に出していいものではないと散々言われている。

 あまりに普段着すぎてたまに忘れて出歩いてしまうが、さすがに村外の人に会うというのにそれはまずすぎる。

「その服、もしかしてさっき買ってきたの?」

「そうよ! ちょうど今日仕入れられたことは幸運だったわ……今朝の私は冴えてたわね」

 まるで最新鋭の装備を携えて戦地に赴く兵士のような心持ちの私を見て、ナツは小さく笑った。

 つられて私の口にも笑みが乗る。

「どんな人なんだろうな……パリピみたいなのだったらどうしよう」

「ぱ……?」

「ああ、えーと……テンションがやたら高くてちゃらちゃらしたような」

「よしおくんみたいな?」

「え、よしお……いや、もっとこう……説明しづらいなあ」

「大丈夫よ。きっといい人よナツ。丁寧な人だったわ」

 私はとりあえず素直な印象を述べた。

「ふーん……まちが言うなら相当丁寧なんだろうなー」

 ナツの言葉が引っかかったが、いつものようにここで体に訴えてしまうと、ちょうどそこに入って来られるかもしれないので控えることにする。

「……命拾いしたわね」

「怖いこと言うね、まち……ん? 来たんじゃない?」

 ナツの言葉に一気に胸から側頭部にかけて肌を熱いものが駆け巡る。

 数瞬後に、段を昇る複数の足音が聞こえ、簾が持ち上がった。

「……っと、そうか。お参りされますよね」

 よしおくんの声がして、一度持ち上げられた簾がまた元に戻る。

「……フェイントだね」

「や、やめてほしい」

「深呼吸深呼吸」

 息をするのも忘れていた私にナツから声がかかる。失神してしまっては事だ。いつかの失態が思い出される。

『はい、じゃあ上がりましょうか。大丈夫、神様は身内ですからね』

 言葉とともに、今度こそふたりが拝殿内に入ってきた。

「さあ、待望の『ナッちゃん』です!」

「わぁ! ……あ、初めまして! すごい、かなり大きいんですね……」

「こちらこそはじめまして! 今日はわざわざ会いに来てくれてありがとう!」

 『ナッちゃん』の歓迎の意を受け、先程会ったその人がにっこりと微笑んだ。

 それからこちらも一瞥し、同じように微笑んでくれる。

「また、お会いしましたね。まさか巫女さんをされているなんてびっくりしました。こんな偶然ってあるんですね」

「そ、そうですね……!」

 緊張で声が上ずってしまう。まともに目を合わすことができないが、ちらりと伺うと相手も目をばっちり合わせては話さないタイプのようで、少し安心した。

「そちらはさっき話しました、オレのいとこのまちって言います」

 よしおくんの紹介におずおずと会釈をすると、その人は丁寧に頭を下げながら山村と名乗った。

「雨宿さん、その……ナッちゃんは握手とかって、してもらえたりするんですか?」

 名字を呼ばれ、一瞬びくりとしてしまう。そういえばよしおくんも雨宿だった。

「もちろん大丈夫ですよー! ……って、そうか。すみません山村さん――」

 よしおくんも私の反応に気付いたらしく、「こいつも雨宿って名字なんでオレのことはよしおって呼んでくれるとありがたいです」とお願いをした。

「ちょっと呼びづらいかもしれないですけどね。山村さん礼儀正しいから」

「いえ、でも……はい。良夫さん、と、まちさん。あらためて、よろしくお願いします」

 山村さんはそう言って再び頭を下げ、それからナツの方に向いて少し困ったように言った。

「『ナッちゃん』もよろしくお願いします」

「よろしくね!」

 山村さんは感激した様子でナツの手の感触を確かめつつ、手交していた。

「でも……『ナッちゃん』だけ、ちゃん付けでお呼びするのもなんかおかしいですね」

「そんなことないよな? 『ナッちゃん』?」

「そうよね、『ナッちゃん』」

「……」

 山村さんの言葉に同調するように、よしおくんと私はナツに問いかけた。

 ナツはまだ、こういったいつもの空気においての『ナッちゃん』の振舞いに慣れていないのか、黙り込んでしまう。

「『ナッちゃん』さん、では余計おかしいですもんね」

「あははは! 山村さんそれはちょっと、面白すぎますね!」

 山村さんが真面目な顔をしてそんなことを言うので、よしおくんがたまらず笑いだす。私もつられて少し笑ってしまったが、ナツはどんな反応をしてよいかわからず、下を向いている。

「はははは! ――はぁ、笑った笑った。でもこっちも話しづらいんですよねぇ、確かに」

 そう言うと、よしおくんは少し考え込むような仕種を見せたが、すぐに顔を上げて続けた。

「いっそ、普通に『ナツ』って呼んでもらいますか!」

「え、よしおくん!」

「!?」

 よしおくんの発言に、ナツも私も驚いて固まった。

 マスコットのゆるキャラに会いに来た人に対して、その発言は着ぐるみの中を見せるようなものではないのだろうか。

 おそるおそる当の山村さんの顔を伺うと、何事もないような微笑を浮かべていた。

 少し拍子抜けをしながらも、こちらからかける言葉はなかなか出てこない。

 そうこうしているうちに話が進む。

「いいんですか? ナツさんも、それで」

 問いかけられたナツは、助けを求めるように黙ってよしおくんを見つめた。

「ナツがいいならそうしてもらいなよ」

「あ、あの……」

 すげない答えに、ナツがどうしようもない様子で口ごもった。こんなナツを見るのは初めてだ。

「――そっか、ごめんナツ。事前にちゃんと話をしてなかったオレが悪いや」

 おかしな様子のナツに、ようやくよしおくんは事態を把握したらしく、必要な説明を始めた。

 

   *  *  *

 

「――なんだ。じゃあ別にボクに会いに来たってわけじゃないんだね」

「もちろん、ナツさんにお会いできることも楽しみにしていましたけれど」

 事態がすっかり落ち着き、いつもの調子に戻ったナツ。

 一方の私はよしおくんからの細かな説明が途中で追えなくなり、ある程度のところで考えるのを放棄していた。

『山村さんは、ゆるキャラの大会でナッちゃんを見たことをきっかけに、「この熊出村」に興味を持って来てくれたんだ』

『先にナツの名前のことは話してあったんだよね。クマ井ナツが本名なんだって』

『話が盛り上がって、途中で口が滑っ――いや別に設定として明かしていないことだけど、問題ないよな? 「クマ井のナッちゃん」なんだから、自明みたいなもんだよね?』

『ってか、それと関係なくナッちゃんの公式ツイッターアカウントのID、「kumamiko_natu」ってしちゃってるじゃんかさー』

『そんなことより山村さん、すごいんだよ! 知識量が半端なくてさー趣味の域を超えてるっていうか――』

 そんな感じで、よしおくんは立て板に水の如く話しきったが、それ以降の内容は右から左に通り抜けていってしまったのだった。

 私にわかったのは「どうもこの山村さんはよしおくんと同類で無類の村好きらしい」ということだけだ。

 ただ、いくら彼と同類だからといって、彼のような強引さは感じないし、村好きにもいろいろな人がいるのだなあということは、理解できたので良しとしたい。

 そんなことを思っていると、不意に山村さんが話しかけてきた。

「まちさん、巫女さんだって聞いたんだけど、巫女さんってどんなことをするの?」

「えっ、えーと……この神社は無人なので、掃除をしたりしてるだけで……」

「舞ったりしないんですか?」

「えーと……それは……」

「あ、ごめんなさい。ちょっと興味があって……。私、妹がいるんですけど、近くの神社で神楽を舞っていたことがあったんです」

 山村さんの質問に答えあぐねていると、思いがけないことを言われて少し驚く。

「でも、その役はその年限りのもので、毎年地区の女の子が代わる代わる務める行事なんです。そんな行事みたいなものとは違って、まちさんは本格的な巫女さんなのかな? と、ちょっと思ったものだから……」

 丁寧に説明をしてくれる山村さんに、応えられないことがわずかに罪悪感となってちくりと胸を刺し、思わず「ごめんなさい」と口を吐いて出た。

 山村さんは少し驚いたようだったが、それ以上尋ねることはなかった。その代わりに「アイヌ系の神楽、興味あったんだけどな」と呟いた。

 『アイヌ』の単語に、私は思わず伏せていた顔を勢いよく上げた。

 そんな過敏な反応に、山村さんは少しいたずらっぽく話を続ける。

アイヌ民族のこと、まちさんも興味あります?」

 思わず頷いてしまう私。

「じゃああとで、少しお話しましょう」

 そう言って山村さんは妖しく微笑んだ。

 

 

つづく


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