たしかに正しいけど、その通りだけど。

ブログじゃないという体でまとまった文章を置いておきたい場所

くまみこのはなし15

15.

 

 朝起きると、まちは忽然と姿を消していた。

 昨夜のことは最後の方をよく憶えていないが、体液とともに感情もすっかり排出されたらしい。

 体調は万全とはいかないけれど、今のボクからすれば最上だ。精神的に解放されている。

 さあ、準備を始めよう。今日はクマ生(じんせい)最後の一日だ。

 

   *  *  *

 

 昨日からの雨が降り続いている。

 朝食は食べずに神社に赴くと、拝殿には珍しく正装のフチがいた。

「ナツ。御苦労だったな」

「はい。ありがとうございました」

 先代巫女に頭を下げる。今日の祭儀はこれからフチの指示を受け、様々な儀礼が執り行われる。

 まず禊ということで、本来は滝壺を使うのだが、この天気で水がかなり濁っている。そのため、形だけ一度全身を流し、改めて清水で体を洗い流すこととなった。とても寒い。

 それから食事。豪華で最高の食事を振舞ってもてなす。ということになっているが、こちらは昨晩の御飯を最後の食事としたかったので辞退。趣旨としては誤りではないために認められた。

 続いて神楽を奉納する。ここでついにまちと再会を果たした。その姿が目に入り、少し心が揺らぐ。しかし、まちは表情一つ動かさない。もちろん言葉をかけられることもない。

 さすがフチ。よくできている。準備万端といった風だ。

 この祭儀をはじめとした、いくつかの儀礼には幼い巫女では負担が重すぎるとして、巫女の心に鍵をかける暗示が施されることがある。この場合、指示どおり行動する人形のようになる。

 ほかにも強制的に意識を失わせる暗示や、記憶を曖昧にする暗示、不都合な事実を無視する暗示など様々だが、ボクと違って体をぐちゃぐちゃにされているわけではないので、いずれ寛解していくだろう。

 最後に普通の状態のまちと深く触れ合うことができてよかったと心から思う。心残りは、ない。

 いつもの神楽とは少し違った複雑な舞。精緻にこなすまちの横で、ボクは山神様に強く願う。

――まちをこの村から救ってあげてください。

 

   *  *  *

 

 日中から暗かった空はさらに暗くなり、いよいよ雨脚は強まってきた。

「皆、急なことですまないね」

 熊出神社の拝殿では、前に立ったフチが村人を前に口上を述べている。

 隣には無言のまちが寄り添い立つ。ボクはそれを祭壇の内から見守る。

 村人は皆、静かに先代巫女の言葉に耳を傾けた。ほとんどの村人が集まっている。

 ある者は神妙な面持ちで床に目を落とし、またある者は心配そうな視線をまちに向けていた。

 ボクは深く考えないようにして村人のみんなを眺めている。それぞれとの関わりを思い出さないようにしている。

「クマ井の長の代替わりは、いつも急なもんだ。堪えてほしい。次の長を育てる、その間は長の代理を別の者が務めてくださることとなった」

 フチが側方に目を向け、まちが簾を持ち上げる。その向こう側から黒い姿のクマがぬっと頭を突き出す。ほのかであった。

 ほのかは悠然と中央まで歩み出るとボクにちらりと視線を向ける。ボクは立ち上がるとその場を退き、代わりに彼女が祭壇に直立する。それからゆっくりと村人たちを睥睨した。

「――ムサシアブミ様だ」

「ナツの代わりを務めるのは荷が重いが、最低限の接点となれるよう努めてやろう。次の長が出てくるまでの辛抱だ」

 ほのかの威圧的な言葉に、その場にいた者たちは凍りつく。

 ボクがフランクすぎただけであって、本来クマ井と村人の関係とはこういうものであったのだ。

 先代以前を知っている年寄りたちは恭しく頭を垂れた。若い衆も慌ててそれに続く。

 その間に、フチとまちに促されたほのかがのしのしと退いていく。

「では皆、あとは大いに盛り上がってくれ」

 フチの声を受け、ようやく村人たちは顔を上げた。

 ぞろぞろと食事や酒が配膳されてくる。祭宴というより通夜振舞いか何かのような雰囲気であった。それを見ながらフチに伴ってまちとボクは退出する。そういえばひびきがいない。でもそのほうがいい。

 拝殿を出たところではほのかが待っていたが、特に会話を交わすこともなく歩みを進める。

――さあ、祭儀のメインパートが始まる。

 

 

つづく


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