たしかに正しいけど、その通りだけど。

ブログじゃないという体でまとまった文章を置いておきたい場所

くまみこのはなし18

18.

 

 隣町の病院に負傷したまちを運び込んだ。すぐさま緊急手術となった彼女の処置をまんじりともせずに待つ時間、オレは川の深みに嵌まるように自分の世界に浸り込んでいった。

 ナツの最期の様子や置いてきてしまった山村さんの表情が脳裡に代わる代わる浮かんでは消えを繰り返す。そうして外界の情報を遮断していた。それ以外のことを考えることすら罪のように思えた。そんな最中、にわかに院内が騒がしくなったのを感じた。

 それでも努めて悲しみに暮れていたが、走り去った医療関係者の口からかすかに「熊出村」と聞こえた気がして、意識を浮上させる。辺りを見回すと、たくさんのスタッフが慌ただしく動き回り、事態は緊迫していた。

 何か事故でもあったのだろうか。もしや、洞窟内の惨状がもう明るみに出てしまったのか。

 そんな風に思い至り、この場を離れたい気持ちが湧き起こったが、まちのことを放っておけるはずがない、と腹を括りこの場に待機することに決めた。

 握った拳に汗がにじむ。やや下に目を落としながら辺りで交わされる会話に耳を傾けていると、徐々に信じがたい単語を耳にしていく。

 「地滑り」、「土石流」、「生き埋め」――視界が定まらない。膝の上の手が震えている。

 そんなはずはない。そう思ってはみるものの、次々と漏れ聞こえる情報が信じたくない結論へと収束させていく。

「ははは……」

 思わず、笑いがこぼれた。

 そんなオレを気に留めるような人はいない。感情のコントロールを失い、声を殺して笑った。腹を抱えて笑った。それでも気は収まらず、最後には自分の脚を殴りつけながら泣いていた。

 夜が明け、まちは一命を取り留めた。

 脚を引きずりながら病院のエントランスを抜け、外に出る。

 晴れ上がった空、鋭い朝日が泣き腫らした眼に差し込む。瞳孔が痛む。

 なんとか車に辿り着くと、そこに乗り込んだ。シートを完全に倒して右腕で両目を覆う。全身に重くのしかかる倦怠感を感じたと思ったらまもなく、オレは糸が切れたように意識を失った。

 

   *  *  *

 

 あの夜、前日から降り続いていた雨により緩んだ山肌が崩れ、大規模な地滑りが発生した。

 洞窟のあった部分がえぐり取られるように崩落し、下を流れる谷間の川を埋めた。

 なおも雨は降り続き、しばらくすると堰き止められていた川が一気に土石流となって流れ、川に沿った集落を押し流していった――結局、数か所の地滑りで死者行方不明者含め数十人に及ぶ大惨事となった。

 生き残った村人たちは、ある者は近隣の一時避難所へ、またある者は遠い親戚の家に身を寄せるなどし、散り散りになっていった。一夜にして「熊出村」が名実ともに消滅することとなった。

 あれからオレは大学時代の先輩を頼り、村を離れた。一緒に身を寄せたまちと、あの日、夜勤で難を逃れた幼馴染のひー子がそこに寝ている。

 結局、オレとナツだけで呪わしい宿命を断ち切ることはできなかった。軟着陸させるにはそれはあまりに深く、手に余った。

 このままオレがこの記憶を、その呪縛を墓場まで持って行けば、果たしてそれで済むだろうか。

 これからの人生、まちがどこかであの夜のことを思い出すことがあるかもしれない。

 そんないつ決壊するとも知れぬ澱を宿したままに生き続けていく。それでも、熊出村の顛末を知る者が口を噤み、また、かの一族が途絶えればあるいは解放されることになるだろうか。

 オレは悩んでいる。

 いつか彼女が望むとき、その身に背負った事実に向き合うこと。その選択肢を奪ってしまうのはいけないことではないか。オレが黙してしまえばその事実の多くは追うことができなくなる。

 そう。それこそクマ井に再び近づくなどしない限りは――

 手を尽くし、しかるべきときにまちが彼女自身の手でそれを清算することができるようにしなければならない。

 眠るまちとひー子の顔を見る。寄り添い、生きていくしかない生き残りのオレたち。

 しかるべきときを待とう。

 そのときが来るまでは、ふたりを庇護していかねばならない。自分で引き起こしたことには、きちんと決まりをつけなければならない。

 ナツを想う。巻き込んでしまった山村さんを想う。この想いが揮発してしまうことは恐ろしい。

 そのときまでにオレは遺そう。

 忌まわしい、『熊出村の呪い』を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   最愛の亡きクマと、村に喰い殺された稀人、山村女史に捧ぐ

 

 

 

 

 

おわり


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