くまみこのはなし8
8.
「え! まち帰って来ないの?!」
うちに来るなり良夫はボクに「今日、まちはオレのうちに泊まるから」と言い放った。
「いい機会じゃんかー。いろいろな人と関わった方が、まちのためになるって」
「でもさー。今日とても気を張っていたみたいで、家に帰って来てからずっとボクにべったりだったんだよ? いつにも増して……」
そう。過剰に甘えるのはストレスを感じているサインだ。
しかしよしおはボクが反対することなど想定済みのようで、すぐに言い返した。
「それでも実際、ちゃんと自分からうちに来たじゃないかー!」
「それは――」
そうなのだ。よしおから連絡が来た際、ボクがそのまま断ってしまおうとしたところ、近くにいたまちが横から彼のメッセージを見て、すぐに「行く」と宣言したのだった。
成長したと見るべきか。いや、何か……そういえばあのとき――
「許してやれよナツ。なんかふたり、去り際に約束してたろ?」
「……やっぱりよしおもそう思う?」
よしおは気付いていたらしい。あのときのボクは『ナッちゃん』を演じることにいっぱいいっぱいになってしまっていたのだが、今思い返すとそんなことがあった気がする。
「まああの人は大丈夫だよ。むしろ物腰柔らかで、ひー子なんかと比べたらハードルは随分低いんじゃないか? まちもいろんな人と交流した方が――」
よしおがひびきの名前を出したので思い出した。
「そういえばよしお! あの人!」
「そのことを謝りに来たんだ。悪かったよ……強引に決めちゃったのは」
謝意を示すよしおだったが、ボクとしても意見を伝えなければならない。
「会って間もない女性に対してのデリカシーもそうだけどさ! 山村さん、だったっけ? よそ者の女に熱を入れすぎじゃない?」
「ナツおまえ、彼女のことを悪く言うなよな!」
うら若き女性を一日連れ回しただけに飽き足らず、家にまで泊めるとは恐れ入る。
「――まったく、ひびきが知ったら」
「ん? なんて?」
――後で荒れるだろうなあ。などと思っていたが、口に出してしまっていたようだ。
慌ててごまかしたが、まったく悪びれるそぶりのないよしおに呆れていると、急に一瞬、気が遠くなった。
「お、おい! どうしたナツ! しっかりしろ!」
へたり込んだボクに、よしおは慌てて声をかける。
「だ、大丈夫……ちょっとめまいがしただけ」
「水でも持ってくるか?」
精一杯心配してくれるよしおだが、こんなときでもボクのことを助け起こしたりはしない。
ありがたいことだった。
「自分でするよ……」
「いや、しばらく安静にしていた方がいい」
「……そうする」
水を取ってくるから、とよしおは素早く部屋から出ていくと、辺りに静寂が訪れる。
まちも心配だけど、よしおのことも心配だ。村にしか興味がないことが裏目に出ている。
一歩間違えばあの女に籠絡されるんじゃなかろうか。
よしおにはひびきとくっついてほしいんだけど。
そしてあわよくばフチの死後はまちと暮らしてほしい。なんて。
* * *
「やっぱりナツも疲れてたんだな」
心配そうなよしおが甲斐甲斐しくそばに付いている。
体調の悪さ故か、弱気になっているのが自分でもわかった。
「そうかも。日中からちょっと……体調が変で。でも夏バテかも」
「…………薬、ちゃんと飲んでるのか?」
間を空けて、真剣な顔のよしおが尋ねた。
「――のんでるよー」
一瞬詰まってしまったが、できるだけこともなげに答える。
それくらいではよしおを安心させることはできず、話は終わらない。
「最近はゆるキャラ関係で遠出も多くなってるし、飲み忘れたり――」
「してないよ。――何年のんでると思ってるの?」
いじわるを言ってみる。
「そりゃ、そうかもだけど……心配だよ」
「ありがとうよしお。でももしかしたら、ちょっと思ったより早いけど――ガタが来はじめてるのかも。やっぱり最近がんばりすぎたからかな」
最初は軽口のつもりだったが、気持ちの弱りか、どんどんと弱音が紡がれていく。
「冗談でもそういうことは言うな」
「……ごめん」
重苦しい空気が立ち込める。
自分のことのように苦しそうなよしおの姿を見ていられなくなり、少しだけ無理をする。
「よしお優しいからさ、いつもこんな話になっちゃってごめんね! もう大丈夫!」
よし、と起き上がると、彼の持って来てくれた水を一気に飲み干す。
「おいおい、急にそんなに動くなよ」
「平気平気! 病は気からってね!」
足元が少しだけおぼつかないが、なんとか動ける。
体のことは考えないようにして、先程の話に意識を戻そう。
よしおの女性関係――この間、海に行った際、同僚の保田さんとひびきとで両手に花といった事態になったときも確か、考えるのをやめてその場から逃げていたっけ。
「ああ、ボクも役場のあの人みたいに、イメージチェンジしたら弱気にならなくなるかな」
あの大胆な水着姿を思い出す。コスチュームで別人格が出るという彼女。
よしおは何を思い出しているのか少しこわばった顔で「保田さんか」と呟く。まさにグラマラスな眼鏡美女といった風だったが、彼にとってはあまりよい記憶ではないらしい。
でもあの変わりようは、『ナッちゃん』としての自分に未だ違和感が拭えないボクにとっては参考になるかもしれない。無理に演じるのではなく、スイッチを入れるみたいにすれば。
しかしよしおの考えは斜め上を行っていた。
「よし、じゃあナツも脱ぐか」
「いや、脱がないよ!」
「いややっぱりダメだナツ……脱ぐのはオレの前だけにしてくれ……」
「よしおの前でも脱がないよ!」
「残念」
「まったく、ほのかみたいなこと言わないでよね」
そう、ほのかといいスカイプのスリランカ人といい、どうしてそういうことを……。
よしおはようやく安心したのか、少し声を出して笑うと「ふられちゃったかー」とかなんとか言いながら、頭をかいていた。
よしおが安心したことで、ボクも安心した。椅子に深々と腰かける。
もう少し安静にしていなければならなそうだった。
つづく