たしかに正しいけど、その通りだけど。

ブログじゃないという体でまとまった文章を置いておきたい場所

くまみこのはなし18

18.

 

 隣町の病院に負傷したまちを運び込んだ。すぐさま緊急手術となった彼女の処置をまんじりともせずに待つ時間、オレは川の深みに嵌まるように自分の世界に浸り込んでいった。

 ナツの最期の様子や置いてきてしまった山村さんの表情が脳裡に代わる代わる浮かんでは消えを繰り返す。そうして外界の情報を遮断していた。それ以外のことを考えることすら罪のように思えた。そんな最中、にわかに院内が騒がしくなったのを感じた。

 それでも努めて悲しみに暮れていたが、走り去った医療関係者の口からかすかに「熊出村」と聞こえた気がして、意識を浮上させる。辺りを見回すと、たくさんのスタッフが慌ただしく動き回り、事態は緊迫していた。

 何か事故でもあったのだろうか。もしや、洞窟内の惨状がもう明るみに出てしまったのか。

 そんな風に思い至り、この場を離れたい気持ちが湧き起こったが、まちのことを放っておけるはずがない、と腹を括りこの場に待機することに決めた。

 握った拳に汗がにじむ。やや下に目を落としながら辺りで交わされる会話に耳を傾けていると、徐々に信じがたい単語を耳にしていく。

 「地滑り」、「土石流」、「生き埋め」――視界が定まらない。膝の上の手が震えている。

 そんなはずはない。そう思ってはみるものの、次々と漏れ聞こえる情報が信じたくない結論へと収束させていく。

「ははは……」

 思わず、笑いがこぼれた。

 そんなオレを気に留めるような人はいない。感情のコントロールを失い、声を殺して笑った。腹を抱えて笑った。それでも気は収まらず、最後には自分の脚を殴りつけながら泣いていた。

 夜が明け、まちは一命を取り留めた。

 脚を引きずりながら病院のエントランスを抜け、外に出る。

 晴れ上がった空、鋭い朝日が泣き腫らした眼に差し込む。瞳孔が痛む。

 なんとか車に辿り着くと、そこに乗り込んだ。シートを完全に倒して右腕で両目を覆う。全身に重くのしかかる倦怠感を感じたと思ったらまもなく、オレは糸が切れたように意識を失った。

 

   *  *  *

 

 あの夜、前日から降り続いていた雨により緩んだ山肌が崩れ、大規模な地滑りが発生した。

 洞窟のあった部分がえぐり取られるように崩落し、下を流れる谷間の川を埋めた。

 なおも雨は降り続き、しばらくすると堰き止められていた川が一気に土石流となって流れ、川に沿った集落を押し流していった――結局、数か所の地滑りで死者行方不明者含め数十人に及ぶ大惨事となった。

 生き残った村人たちは、ある者は近隣の一時避難所へ、またある者は遠い親戚の家に身を寄せるなどし、散り散りになっていった。一夜にして「熊出村」が名実ともに消滅することとなった。

 あれからオレは大学時代の先輩を頼り、村を離れた。一緒に身を寄せたまちと、あの日、夜勤で難を逃れた幼馴染のひー子がそこに寝ている。

 結局、オレとナツだけで呪わしい宿命を断ち切ることはできなかった。軟着陸させるにはそれはあまりに深く、手に余った。

 このままオレがこの記憶を、その呪縛を墓場まで持って行けば、果たしてそれで済むだろうか。

 これからの人生、まちがどこかであの夜のことを思い出すことがあるかもしれない。

 そんないつ決壊するとも知れぬ澱を宿したままに生き続けていく。それでも、熊出村の顛末を知る者が口を噤み、また、かの一族が途絶えればあるいは解放されることになるだろうか。

 オレは悩んでいる。

 いつか彼女が望むとき、その身に背負った事実に向き合うこと。その選択肢を奪ってしまうのはいけないことではないか。オレが黙してしまえばその事実の多くは追うことができなくなる。

 そう。それこそクマ井に再び近づくなどしない限りは――

 手を尽くし、しかるべきときにまちが彼女自身の手でそれを清算することができるようにしなければならない。

 眠るまちとひー子の顔を見る。寄り添い、生きていくしかない生き残りのオレたち。

 しかるべきときを待とう。

 そのときが来るまでは、ふたりを庇護していかねばならない。自分で引き起こしたことには、きちんと決まりをつけなければならない。

 ナツを想う。巻き込んでしまった山村さんを想う。この想いが揮発してしまうことは恐ろしい。

 そのときまでにオレは遺そう。

 忌まわしい、『熊出村の呪い』を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   最愛の亡きクマと、村に喰い殺された稀人、山村女史に捧ぐ

 

 

 

 

 

おわり

くまみこのはなし17

17.

 

 一定のリズムで打ち鳴らされる柏手。

 その洞窟の形状から、拡声器のように反響が集落の方まで響くようになっているのだろう。

 まちは前に出ると祭壇の前で祝詞を唱えはじめた。

 柏手の調子とそれに合わせた祝詞に従い、熊の毛皮を上半身に被った男たちが舞い踊る。彼らはそのまま練り歩き、怯えた様子の山村を囲んで周回する。

 やがてその輪は小さくなっていき、熊男ふたりで両側から彼女の体を布団に押さえつけた。

「……! っ、んん……ぐ――」

 彼女は少し抵抗を見せるが、痛みからか体を強ばらせると、諦めたように大人しくなった。

 電球の光がちらちらと揺れる。狭い洞窟内に熱気が満ちはじめる。

 姫の体勢が整うと、もう一人の誘導役の熊男に導かれたナツが四足でその周りを何周か練り歩き、ややあって彼女を正面に捉える。生贄の生娘に出会った山神を表現しているのだろう。彼女押さえていた熊男たちがその膝を引き上げると柏手がそこで一度止み、同時に彼女からぐぐもった叫び声が上がった。山村はまだ下着を着けているため秘部が直接晒されてはいない。

 そしてナツが誘導に従い、その差し出された陰部に顔を近づけた。柏手が再開され、そのテンポを上げていく。後ろから補助の熊男がナツの腰に張り型の付いた帯を回し、それを固定した。さらに柏手は速く打たれ、ナツが激しく荒ぶった動作を見せる。山村の体が強ばる。

 そしてナツが十分に荒ぶったことを確認した押さえ役の熊男たちが、山村の下着を乱暴に剥ぎ取った。さすがの彼女もこの段にあっては泣き叫び、体を弓なりに反らせて逃れようとする。

 容赦なくナツが覆い被さっていく。すかさず、男が潤滑油を張り型と山村の晒された局部に塗し、張り型をその場所に誘導する。ナツは一声吼えると、ゆっくりと腰を進めていった。

 その光景に良夫は一度目を逸らしたが、脇に立つフチがそれを許さない。

「ちゃんと見とれ! 初めからやり直すぞ!」

 脅された良夫は渋々顔を向けた。そのときふと彼はまちの様子を伺ったが、まるで人形かのようにぴくりとも動かずその光景を静観している。

 山村は良夫の目など気にする余裕がなく腰をくねらせ抵抗するが、男2人とクマ1匹がかりで押さえ込まれては逃れようがなかった。

 黒い張り型がその割れ目に徐々にめり込んでいく。電球の光が柔らかくその硬く滑らかな張り型の表面を照らしている。

 そしてたっぷりと時間をかけ、それがすべて山村の中に収まった。

 押さえていたふたりがさっとその場を離れ、あとはナツがのしかかるようにしてぐいぐいと腰の物を抽挿していく。山村は唸り声を上げ、死に物狂いで口を塞ぐ布に拘束されている手を掛ける。流し続けた涙が鼻汁に変わり、呼吸が困難なのだろう。酸欠で顔色が悪くなっていく。

 山村が苦しむ中、先程儀式の補助をしていた3人の熊男は、壁際に下がり、それぞれに自身の性器を握ると、激しく刺激していた。その暴力的かつ官能的な光景に我慢ができなくなった、というわけではもちろんないだろう。

 やがてひとり、またひとりと熊男たちは達し、出てきた子種を小皿に受けた。最後のひとりが全員分のそれをひとつのぐい呑みほどの大きさの器に集める。

 集め終わったタイミングでナツは最後の一突きをすると再び咆哮し、しばらく痙攣した。

 そして張り型を抜き去ると、すかさず熊男は山村に腰を高く掲げる体勢を取らせ、もう一人が秘所に漏斗を差し入れた。ようやく蹂躙が止んだときには彼女は意識を失っていた。その口を塞いでいた布も外される。かろうじて息はまだあるらしい。

 漏斗に白濁した液体が注ぎ込まれていく。

 熊男は匙を使って最後の一滴まで流し込むと、さっと漏斗を引き抜き、丸めた綿のようなものを膣内に詰めると、長い棒を使って深々と突き入れた。

 その後回復体位を取られてもなお、山村は意識を失ったままだった。

 一方で、山村から離れた後のナツは腰の物を外されると、まちにより前後左右の足を鉄格子に繋がれていく。これで儀礼の第1部が終わり、第2部の役についていくわけだ――

「まち、今までありがとうね。いろいろなことがあったね」

 ナツはまちに対し感慨深げに話しかける。フチは「ナツ、黙れ」とたしなめたが、ナツは鉄格子に寄りかかって座りながら嘯いた。

「ちょっと話すくらいいいじゃない。これが最後なんだから」

 まちはナツの方を見ようともしない。ナツの独白はぽつりぽつりと続いている。

 やがてナツは、そのやり取りに紛れて後ろ手にはらりと紙を落とした。

 良夫がそれに気付く。そして不自然にならないようにしてそちらに近づいていく。

「ナツ……ありがとうな」

 そして泣きながら項垂れた。フチは何かに気付いた様子はない。

 良夫はさっとその紙を拾い、胡坐を組んだ脚の間に置いた。そこには何か軟膏のようなものがべったりと付着しており、活字が打たれていた。

『この毒をボクの爪に塗って』

 それがなんの毒かまでは書いていない。良夫は一瞬逡巡したが、素手でその軟膏状の毒を掬うと、ナツの両手の爪にまんべんなく塗りたくっていく。

 ふと彼が顔を上げると、その一部始終をまちが見ていた。冷や汗が吹き出たが、まちはなんの行動も起こさない。言われたこと以外何もしないことになっているのだ。

 フチはその間、山村が仕込まれる様を見守っている。ここが肝要なのだろう。

 そんなフチの意識が良夫に戻る前に、彼は山村が凄惨な目に遭うところをしっかりと見る。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら。

 

   *  *  *

 

 儀礼の第2部が始まる。

 まちは再び祭壇前に座ると、祈りを捧げはじめた。

 山村は目覚めないままに祭壇の前に据えられている。

 熊男が薬壺を開け、矢を3本取り上げた。そしてその矢尻を順番にそこに浸していく。

 祈り終えたまちは恭しく差し出されたその矢を受け取った。弓矢を携え、舞い踊りながらナツに近づいていくと、そのまま躊躇なく射かかった。

 毒矢はまっすぐ飛ぶと、違わず標的に命中する。痛々しい悲鳴が洞窟内に響き渡った。続けて2本目、3本目と放たれた弓は、腹部に2本、肩口に1本深々と突き刺さった。

 良夫は泣き腫らした目でそれを凝視している。

 やがて、ナツの動きが衰え、呼吸が浅くなってきた。その様子を確認したのちに、石で出来た台が3人がかりで運ばれてきて、ナツの傍に置かれた。その時だった。

「グァアッ、ゴォァアアアッ!!」

 ナツが突然暴れ出した。近くに来ていた3人に一気に襲いかかる。

 首筋を裂かれ、嘘のように血飛沫が舞う。腹部を抉られ、膝から崩れて自分のはらわたに倒れ込む。胸腔を穿たれ、呼吸ができずにもがき苦しむ。阿鼻叫喚の地獄めいた光景。

「な、なんじゃ、毒が効いとらんか?!」

 さすがのフチも慌てふためいた。祭具の斧を一度手に取ったが、にやりと笑うとそれをまちに託した。

「まち、早くやれ! 脚か腕じゃ! 落とせ!!」

 まちが相手であればナツは何もできないだろうと踏んだのだった。まちにそう命じると、自らはナツから距離を取る。

 ナツは狂ったように暴れている。鎖が軋む。鉄格子が歪む。今にも放たれようとしている風に見えた。フチから斧を受け取ったまちは、素早い身のこなしでナツに斬りかかると、いとも簡単に左手を切断した。ナツの咆哮が洞窟内に響き渡る――

 辺りは血の海といった凄惨な様相を呈している。裸電球には血がべったりとこびりつき、赤く禍々しい光を放っている。

 この騒ぎでようやく山村は意識を取り戻した。耳を劈くような咆哮。見ればまちによってまさにナツの手が切断されたそのときだった。撥ね飛ばされた手首はあろうことか彼女のすぐそばに落ちた。山村は徐にそれに手を伸ばした。そしてまだ温かいそれを取り上げる、中身がずるりと地面に落ちた。

 白い、人の手だった。

 山村は叫ぶでもなく、小さな動きで辺りをゆっくり見回した。暴れるナツにまちが何度も襲いかかっている。それを注視しているフチは彼女が目覚めたことに気付いていない。

 ふと見れば、鉄格子の向こうの良夫は山村が意識を取り戻したことに気付いたらしく、激しい動きで何かを伝えようとしているようだ。彼女は手中の毛皮に目をやった。良夫が強く頷く。

「ぐぁっ! な、なん……」

 まちの猛攻にあって、悲鳴を上げたのはフチであった。

 山村がナツの切断された手首を持ち、その鋭い爪で首筋に切りかかったのだった。

 フチは苦しげに首筋を押さえ、瞳に殺意を漲らせた。憎しみのあまり言葉にならない叫びを上げながら腰の小刀を投擲したが、バランスを崩し――刃渡り10センチほどの小刀はまちの腹部に深々と突き刺さった。

 凍りつく面々。しかし、まちはそれを意に介さず、抜くこともせずにそのままナツへと踊りかかっていった。ナツはこの時を待っていたのだろう。

「――っ!」

 まちの斧を残った手で受け止めたナツは、背面から彼女を抱きすくめるようにすると、耳元でいつもの言葉を囁いた。まちは眠るように崩れ落ちた。それを見届けたナツも、彼女を守るように抱きながら鉄格子にもたれかかった。

 良夫が大きく戦慄きながらナツに近づいていく。足が血溜りを踏む。その足に感じる生温かさはナツの腕から止めどなく失われていく命そのものだった。

「よしお……ごめん。まちが……酷いケガなんだ……」

 かろうじて形の残った右手でゆっくりとまちを床に寝かせるナツ。誰のものとも知れぬ血に塗れた巫女服は元の模様もわからない程になっている。

 良夫は口の布を千切れんばかりに噛み締める。見開いた眼からはぼろぼろと涙がこぼれた。

 彼は震える手をナツに寄せ、その切断された方の腕に触れた。そのまま腕を辿り、ゆっくりと下に――切り離されたその部分から、わずかに覗く膚を確かに目にした。

「ううううううううっ!!」

 良夫は激しく泣きじゃくりながらナツの腕を持ち上げると、それを覆っている毛皮を剥くように捲った。血色の失われた青白い膚が露わになる。再び激しく声を上げた良夫は泣きながらそれを慈しむように頬ずりしはじめた。

「くすぐったいよ……はずかしいよ……やめてよ、ねえ……」

 ナツは力なく答えた。しかしもう体を動かす力も残っていないようだった。

 山村は放置されているまちの容態が最も憂慮すべきだと思い焦っていた。斧の刃を使って縄を切り、口の布も剥がすと、倒れ伏すフチの着物から鉄格子の鍵を見つけ、それを開け放った。

「良夫さん! まちさんを運ぶのを手伝って!」

 良夫は当然聞いていない。彼の気が済むまで待っている時間はなかった。

「ナツさんの、言葉を聴けってんだよ!!」

 山村は良夫の胸倉に掴みかかると、声を荒らげた。そして頬を張り、もう一度言う。

「いいからナツさんの言っていることを、聴け!」

 そして彼の髪を掴み頭を鉄格子に叩きつけると、ナツの顔の近くに押し付けた。

「まち……まち……しなないで」

 ナツの目はもうどこも見ていない。うわ言のようにまちの身を案じているのみだった。

「ナツさんの願いを、最後の願いを叶えなくて良いのかよ?! どうなんだ!」

 良夫の目がはっきりとナツの顔を捉えた。そして死んだように横たわる青白い顔のまちを見た。

 山村は良夫の戒めを解く。その頃にはナツはもう、言葉を発しなくなっていた。

「良夫さん……行けますか?」

「…………はい」

 消え入りそうな声で良夫は答えた。

 

   *  *  *

 

 山村とまちを抱きかかえた良夫がようやく洞窟の表に出ると、降りしきる雨と夜の闇に紛れるようにしてほのかが立っていた。事態は一刻を争うが、無視して横を抜けることは叶わない。

「ナツは――」

「な、中にいるが、もう……」

 ほのかの問い掛けに、良夫が絞り出すように答えた。

「……そうか」

 そっけなくほのかは呟いた。それから良夫の腕の中にいるまちを一瞥すると、「その巫女は、急いだ方がいい」とその身を案じた。

 しかし次の瞬間、敵意を放つと鋭い視線を山村に向けた。

「ただ、その姫と行くことは許さん――大事な仔を見逃すわけにはいかない」

「なっ……?!」

 言い返そうとする良夫を、山村が手で制した。ほのかが畳みかけるように言う。

「早く行かねば巫女は死ぬぞ?」

 山村は静かにほのかの元へ歩み寄ると、くるりと振り返って良夫の目を真っ直ぐに見つめた。

「私はこの村の大事な部分をめちゃくちゃにしてしまいました……良夫さんの大切なものをこれ以上、めちゃくちゃにするわけにはいかないですよね。まちさんと、ナツさんの遺志を――。大丈夫、死ぬわけじゃないんですから、ね?」

 そう言いながら雨に打たれる山村の表情は笑っていた。しかしその体はがたがたと震えている。

「いいから急いで! お願いだから、まちさんまで私に殺させないで!」

 怒鳴るような叫びを受け、良夫は踵を返すと一気に駆けだした。

 せめて腕の中に託された最後の約束を違えてしまわないように。

 

   *  *  *

 

 山村とほのかは洞窟内に戻る。ナツの亡骸を確認したほのかはしばらく動きを止めていた。

 そして何をするかと思えば、ほのかはナツの毛皮を脱がしていく。

山村がしばらく見守っていると、毛皮から解放されたナツが眼前に横たわった。

「あまり見てやるな姫。クマ井の雌は同族にも膚を晒さぬのだ……巫女と交わるとき――」

 話の途中でほのかは急に黙って、何かを察知したように辺りを見回した。それから呟いた。

「山神様が、お嘆きになっている……」

 そう言い終わるがいなや突然、地鳴りがしはじめた。

 電球が消える。山村の脳裏に嫌な想像が浮かんだ。

――山神、女神の怒り……龍神の……。

「ナツ……最期にお前といられてよかった」

 地鳴りが大きくなり、洞窟内に落盤が起こる。

 突然のことになす術なく立ち尽くしながらも山村は思った。

 これでまちもこの村の呪いから解放されるのではないか、と。

 

 

つづく

くまみこのはなし16

16.

 

「起きなさい」

 その声に、私は意識を取り戻す。

 目を開けるとそばに吊るされた裸電球の橙色の光が視界を焼く。

 手を翳しながら目を細めると、私に話しかけていたのは見知らぬ老婆だった。

 また寝てしまっていたらしい。今が何日の何時なのかわからない。

 おなかが空いた。喉が渇いた。

 とりあえず体を起こすと、自らの置かれていた場所がどうなっていたかが知れた。

 岩を人工的に掘られた洞窟。上を這う電線。最低限の光源。行き止まりに設けられた鉄格子。

 普段は何も置いていないのだろうか。私を置いておくために運び込まれた布団がひどく浮いて見える。

「騒がないか。たいしたもんだ」

 老婆の言葉には黙する。口ぶりからすれば彼女がフチか。

 この後何か碌でもないことになることは明白だと思ったが、避けられそうにない。

 避けられない以上、様子を見守るよりほかないと思っていた。

「水を」

 フチがそう言うと、背後から熊の毛皮を着込んだ男がお椀と水甕を持ち込み、柄杓で甕の中の水をお椀に注いで差し出した。

 何が入っているかわかったものではないが、ここで断ることもできず、私はそれを受け取ると一気に飲み干した。それを見たフチは頷くと、男が私の手からお椀を奪い、もう1杯水を寄こす。

 2杯目は何度かに分けて飲み干す。3杯目をまたつがれる前に、私はもういらない旨を示した。

 彼女は素直にそれを聞いて、男を制する。

 このまま甕の水を全部飲まされるのではないかと恐ろしく思っていた私だったが、その予想は外れ、安堵した。

「じゃあ一度、そこに出ろ」

 フチは格子の外を指さしてそう命じた。

 私は掛け布団を手繰り寄せながら立ち上がろうとして、足を縄で縛られていることに気が付く。それを見ていた彼女は、腰から素早く小刀を抜くと、足の縄を切って、「それは仕舞うから置け」と、布団を指さしながら言った。

 さすがに男の視線は気になったが、言われるがままにそれを置き、胸を腕で隠しながら立ち上がる。脇腹の痛みも相まって動作がぎこちないが、歯を食いしばって耐えた。

 そうして幽閉されていた檻から抜け出すと、熊の毛皮を被った男は私の口を布で覆って頭の後ろで縛り、目隠しを施した。

 再び暗闇に包まれる。

「座ってちょっと待て」

 そう言われ、私はその場に腰を下ろした。

 素直に従っているが、逃げるようなチャンスがない。体さえ負傷していなければなんとかなったかもしれないが、それは仕方がないことだ。

 何をされるかわからないという恐怖はあったが、その感覚は鈍麻していた。

 巫女装束と思しきフチの格好、そして熊男の毛皮に付けられた装飾。

 アイヌ民族儀礼装に酷似しているではないか。

 自らの危機にそんなことを思っているなんて、とは考えたものの、そんな現実離れした今がまぎれもない現実であるということに、私は徐々に絶望感を強めていった。

 

   *  *  *

 

 少しして、複数人がこの洞窟に足を踏み入れてくる足音がしはじめた。

 ようやく気が付いたが、どうも外は雨が降っているらしい。獣と土の濡れた臭いを強く感じる。

 何者らかの足音は段々と近付いてくる。身を固くして縮こまっていると、何人かはそのまま私の目の前を通り過ぎて行く。それからすぐに目隠しだけを解かれた。

「……」

 案の定、というべきか。

 新たにやって来たのはナツさんと巫女姿のまちさん。それから良夫さんもいたが、彼は目隠しをされたまま鉄格子の向こうに入れられたところだ。

 あとは儀式の補助のためか熊男が3人、全部で4人になっていた。

 周りの様子も変わっている。新たに様々な祭具が運び込まれ、右奥に鉄格子に掛かるようにして独特な祭壇が設置されていく。

 祭具には輪の付いた鎖、装飾の独特な弓矢、何かの薬壺らしきもの、斧か鉾のような刃物、畳まれた白い布、固定具のようなもの、漏斗、何かの器。そしてその用途を考えたくもない美しい布で飾られた寝具らしき一式と、どう見ても男性器の形状をした張り型など。

 こんな状況でなければ興味深そうなものばかりであるが、今は悪いことに完全に当事者となってしまっている。ああ、単に文字に起こされているものを読む立場であったなら――などと現実逃避をしてしまいたい。

 おそるおそる各人の様子を確かめる。檻の中の良夫さんと準備を進める男たち以外は微動だにしていない。フチはもちろん、ナツさんと、まちさんでさえもまるで仮面のような無表情で中空に目をやり、黙って立っている。

 良夫さんの状況はといえば、服を着ている以外は私と同じように戒められているようだ。

 彼と目が合う。必死に何か訴えかけてくる。

 私は異常な状況に羞恥心はなくなりかけていたけれど、情けない感情から目を伏せた。

 熊男たちがその作業を終えたらしく洞窟の端に並び、恭しく頭を下げた。

 ついにそのときが訪れてしまう。

「じゃあ、姫をそこに」

 姫、とは私のことか。その呼称がこの儀式での役割を如実に語る。

 熊男ふたりはしゃがんでいた私を強引に立たせると、空間の中心に敷かれた布団のような祭具の前まで移動させ、白い襦袢を羽織らせて布団の中心に座らせた。そして固定具を一組み持ちだすと、両脚を踵が臀部に付くような、正座を崩した――いわゆるお姉さん座りやアヒル座り――の形で固定した。膝と膝の間に渡された弓なりの棒で脚を閉じることができない。

「始めるか。今回は前回と違い、姫が調達できたんで正式な形だ。カッパを追う必要もない――」

 フチの呟きに被さるようにして柏手が打たれ、唄が歌われ、メインの儀式が始まった。

 

 

つづく

くまみこのはなし15

15.

 

 朝起きると、まちは忽然と姿を消していた。

 昨夜のことは最後の方をよく憶えていないが、体液とともに感情もすっかり排出されたらしい。

 体調は万全とはいかないけれど、今のボクからすれば最上だ。精神的に解放されている。

 さあ、準備を始めよう。今日はクマ生(じんせい)最後の一日だ。

 

   *  *  *

 

 昨日からの雨が降り続いている。

 朝食は食べずに神社に赴くと、拝殿には珍しく正装のフチがいた。

「ナツ。御苦労だったな」

「はい。ありがとうございました」

 先代巫女に頭を下げる。今日の祭儀はこれからフチの指示を受け、様々な儀礼が執り行われる。

 まず禊ということで、本来は滝壺を使うのだが、この天気で水がかなり濁っている。そのため、形だけ一度全身を流し、改めて清水で体を洗い流すこととなった。とても寒い。

 それから食事。豪華で最高の食事を振舞ってもてなす。ということになっているが、こちらは昨晩の御飯を最後の食事としたかったので辞退。趣旨としては誤りではないために認められた。

 続いて神楽を奉納する。ここでついにまちと再会を果たした。その姿が目に入り、少し心が揺らぐ。しかし、まちは表情一つ動かさない。もちろん言葉をかけられることもない。

 さすがフチ。よくできている。準備万端といった風だ。

 この祭儀をはじめとした、いくつかの儀礼には幼い巫女では負担が重すぎるとして、巫女の心に鍵をかける暗示が施されることがある。この場合、指示どおり行動する人形のようになる。

 ほかにも強制的に意識を失わせる暗示や、記憶を曖昧にする暗示、不都合な事実を無視する暗示など様々だが、ボクと違って体をぐちゃぐちゃにされているわけではないので、いずれ寛解していくだろう。

 最後に普通の状態のまちと深く触れ合うことができてよかったと心から思う。心残りは、ない。

 いつもの神楽とは少し違った複雑な舞。精緻にこなすまちの横で、ボクは山神様に強く願う。

――まちをこの村から救ってあげてください。

 

   *  *  *

 

 日中から暗かった空はさらに暗くなり、いよいよ雨脚は強まってきた。

「皆、急なことですまないね」

 熊出神社の拝殿では、前に立ったフチが村人を前に口上を述べている。

 隣には無言のまちが寄り添い立つ。ボクはそれを祭壇の内から見守る。

 村人は皆、静かに先代巫女の言葉に耳を傾けた。ほとんどの村人が集まっている。

 ある者は神妙な面持ちで床に目を落とし、またある者は心配そうな視線をまちに向けていた。

 ボクは深く考えないようにして村人のみんなを眺めている。それぞれとの関わりを思い出さないようにしている。

「クマ井の長の代替わりは、いつも急なもんだ。堪えてほしい。次の長を育てる、その間は長の代理を別の者が務めてくださることとなった」

 フチが側方に目を向け、まちが簾を持ち上げる。その向こう側から黒い姿のクマがぬっと頭を突き出す。ほのかであった。

 ほのかは悠然と中央まで歩み出るとボクにちらりと視線を向ける。ボクは立ち上がるとその場を退き、代わりに彼女が祭壇に直立する。それからゆっくりと村人たちを睥睨した。

「――ムサシアブミ様だ」

「ナツの代わりを務めるのは荷が重いが、最低限の接点となれるよう努めてやろう。次の長が出てくるまでの辛抱だ」

 ほのかの威圧的な言葉に、その場にいた者たちは凍りつく。

 ボクがフランクすぎただけであって、本来クマ井と村人の関係とはこういうものであったのだ。

 先代以前を知っている年寄りたちは恭しく頭を垂れた。若い衆も慌ててそれに続く。

 その間に、フチとまちに促されたほのかがのしのしと退いていく。

「では皆、あとは大いに盛り上がってくれ」

 フチの声を受け、ようやく村人たちは顔を上げた。

 ぞろぞろと食事や酒が配膳されてくる。祭宴というより通夜振舞いか何かのような雰囲気であった。それを見ながらフチに伴ってまちとボクは退出する。そういえばひびきがいない。でもそのほうがいい。

 拝殿を出たところではほのかが待っていたが、特に会話を交わすこともなく歩みを進める。

――さあ、祭儀のメインパートが始まる。

 

 

つづく

くまみこのはなし14

14.

 

「どう、ナツ? きもちい?」

「うん……ありがとうまち」

 私が声をかけると、静かにナツが答えてくれる。

 台所とナツの部屋を何度か往復するうちに、すっかり気持ち自体は落ちつていた。

 普段なら浴室に叩き込んでブラシでごしごしとこするところだが、今日のナツはとても弱っている。こんなことは小熊の時以来だ。

「ナツ……こっちは? いたくない?」

「あったかくて……きもちいいよ」

「うん、うん。ナツ……イヤならすぐ言うのよ?」

 お湯を浸したタオルを固く絞ってナツの全身を清拭する。

 固く絞っているから何回も拭かなければならない。毛の間に入った泥を丹念に落としていく。

「ごめんねナツ。ここも――拭かなくちゃいけないから……」

「……いいよ。今日は特別」

「うん! でもつらかったり、イヤだったりしたら――」

「大丈夫。ちゃんと言うから」

 何回も確認をするのもまた、ナツの負担になってしまう。さっさと終えてしまうのがいい。

 私は横たわるナツの足元に回ると、タオルを新しいものに替えて湯に漬けて、少し甘く絞る。

「じゃあ……足、持つね」

 横になっているナツはこちらの様子が見えない。だからナツを驚かせないように、行動は逐一報告をするべきだと思った。

 言ったとおりに右足を持ち、足先の方から内腿までを毛並みに沿って拭いていく。普段の入浴では絶対に洗わせてもらえないところだ。こんなときなのに私は、その珍しい光景を目に焼き付けようと、毛並みの一本一本まで憶えるかのように観察していく。

「くすぐったくないですか、いたくないですか?」

「――きもちいいです」

 ナツの返答に満足感を得つつ、右足の背面も拭き終えた。

「では簡単に乾かしていきます」

 ここでさらに、乾いたタオルで同じ箇所を拭き上げる。こうすれば水分を含んだタオルで一度に汚れを落とせるし、乾かすこともできる。

「ブラシをかけます……強かったら言ってください」

 最後にブラシで整えて、右足は終わった。

今度は「では逆もしますね」と伝えて、左足に取りかかる――

たっぷりと時間をかけ、両足の清拭が終わった。残るはその間だ。

「あのまち、やっぱりその――」

「じゃあ、ここもします」

「あっ」

 ナツが言い終わる前に再び新しくしたタオルを足の間に被せてぎゅっと上から押し付けると、ナツの口からは聞いたことのないような声が漏れた。

――かわいい……。

「大事なとこなので、念入りにしないとダメです」

 そう言ってそのままぐいぐいと圧力をかけていくと、ナツは続けざまに「あっ、うぁっ!」と騒ぐ。その声を聞きたくて、かわいらしい反応をもっと見たくて、次第にエスカレートしていく。

「じゃあ次は……きれいにしていきます」

「まち……ああっ!」

 ナツがいつもと違う声で私を呼ぶことがなんだかうれしく、少しだけ遠慮をしていた最後の気持ちが瓦解する。

 私は手をタオルで包むようにすると、マッサージをするようにしながらナツの内腿の付け根を拭いていく。

 普段触ることのない場所で、自分の体とも構造がまったく違うこともあり、勝手がわからない。

 私は両手を使い、左右の広い範囲を揉むように刺激する。

 中心部は刺激をしないように気を付けた。

「いたくなぁい? へいき?」

 やわやわとした刺激を加えつつ尋ねる。

「うん、うんっ」

 ナツは息も荒く答えた。少し苦しそうにも見える。

 普段触る箇所であれば大体どこが不快でどこがそうでないかといったことはわかる。

――でも、こんなところ……ああ、なんだか変な感じがするわ……。

 ナツのそんな様子を見て、なんだか自分も鼓動が早くなっていることに気付く。

 気付いてしまえばそれはどんどん激しさを増し、私も息が荒くなってきてしまう。

「はぁ……ナツ……ナツ……」

 手付きは次第に遠慮がなくなり、動きが大きく大胆になっていく。

 不意に、今まで避けていた中心部分に近い部分に手が触れてしまう。

「ああっ!!」

「ご、ごめんナツ! いたくしちゃった?」

「ち、ちがう……大丈夫……びっくりしただけ」

 あまりに急な反応に私は手を止めてナツを気遣う。ナツはああ言ったが、私も調子に乗りすぎてしまった。

 私は少し反省すると、随分冷えてしまっていたタオルを湯に浸し、再び穏やかな手付きでその部分を拭く。

「あったかい……あっ、まち……」

「ふふ、どうしたの? ナツ」

 ナツの訴えかけるような声色に、私は手を止めずに尋ねた。

 その呼びかけからは、懇願するかのような色を感じる。それが私の心の中の何か母性的な部分を刺激し、献身的な気持ちにさせた。

「その……もう少し、その……真ん中の方も……」

 蚊の鳴くような小さな声だった。

――ナツも恥ずかしいんだわ……。

 ナツの反応に、胸がぎゅっと締め付けられるような、甘美な感覚が広がる。

 しかし、そこは意識的に避けていた部分。恥ずかしい部分だということはもちろんあったが、ナツは日頃からその場所についてあんな風に言って。だから傷があるはずで。だから。

「いいから、大丈夫だから……」

 急かされるが、逆に手は止まってしまう。

「だってナツ、だって……!」

「だって何?」

 焦れたナツが尋ねる。だって、だって――

「だってナツ……切っちゃったって、その……お、おち……んちんを、だから……」

「ああっまち! そんなこと言われたらっ……!」

「きゃっ! どうしたのナツ! あっ……あれ」

 ナツは私の言葉に今まで以上に息を荒げ、腰を激しくくねらせた。それはその場所を私の手にぐりぐりと押し付けるような動きで、そしてその存在を主張するものが手に触れ、思わず確認してしまう。

「ナツ、これ……」

「ッ! ふ、んんっ!!」

 それはびくり、と別の生き物のように跳ねる。掴む、ほどの大きさではないが、摘むには少々余る。その存在を確かめて再び口に出してしまった。

「これ、ナツのおちんちん?」

「ち、ちが――っ! うううううっ!!」

 一際大きな声を出したナツに我に返った。

「ごめんなさいナツ! やっぱりいたい?」

 慌てて謝り、握ってしまっていたモノから手を離す。

「大丈夫だよ、その……ちょっとくすぐったかっただけだから」

「でも……ナツ、これ……」

「違うんだまち……でも、気にしないで……」

「……わかった」

 あまり訊きすぎるのもよくない。ナツも恥ずかしいのだろう。気にしないでと言っているのだからそのまま続きをしよう。

 そう思うと、私はまたタオルを温かくしてからナツの足の付け根をやわやわと拭いていく。

 先程よりは幾分か軟らかく小さくなっているが、確かに突起物があるような気がする。様子が変化しているということは、やはり切ったはずのそれということにほかならないのではないか。

 しかし、恥ずかしがるナツ。かわいい声を上げるナツ。そんないつもと違うナツに、なんだかやっぱり変な気持ちが湧いてくる。なすがままに拭かれているナツ。

「はい。ナツ、終わったわ」

「……ありがとう。きもちよかったよ、まち」

 熱に浮かされたように呟かれたその言葉のニュアンスは、勘違いでなければ私のおかしな感覚にぴたりとはまるものではないか。

 いつも以上に愛しさを籠めてナツに抱き付く。抱きしめ返される力がいつもよりも少し強い気がした。

 

   *  *  *

 

「ナツー。今日の夕食はおかゆと豚汁にするわね」

「!」

 夕食時になった。

 外はいつからか雨模様。しかし心はぽかぽかと暖かさに満ちていた。

 いつかにナツが気落ちした私のために作ってくれた夕食を思い出す。

 あのとき、ナツは包丁を持つことすらままならないのに、頑張って私のためを思って料理してくれたときのメニューがおかゆと豚汁だった。

「いただきます」

「いただきます……」

 だから私も、ナツのためを思って作るのだ。

 もちろんいつもそうだけど、今日はいつもの何倍も愛が込められている。

「お味はいかが? ナツ」

「うん、最高だよ~!!」

 泣くほどのことだろうか。「もう、大げさねナツ」なんて言いつつ私の胸は満たされる。

――そういえば昨日、同じ台詞を言ったわね。あれは何が大げさだったのかしら。

 昨日のことが遥か昔のことのように思えるほど、今日は朝からいろいろとあった。

 今日はよく眠れそうね。何はともあれ仲良く夕飯も食べられているし。と、何か引っかかるものを感じながらも目の前の食事に意識を戻した。

 

   *  *  *

 

 風呂に入ってから未だに火照る体が冷めるのを感じている。

 ナツにお休みを言って、床に就いてからしばらく時間が経っている。

 今日はやはり気持ちが高ぶっているからだろうか。先程はよく眠れそうと思ったのだが、なかなか眠気は訪れてくれない。

 しかし今日はすごい日だった。

 朝からナツがいなくて不安で、それからナツが衰弱して帰ってきて、よしおくんに初めてあんな風に怒られて、弱ったナツのお世話をして……。

 今日のことはこれからずっと忘れないだろう。幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた大好きなナツと何か特別な気持ちが通じ合った気がしたこの日を。

 そんな気持ちを抱きながら、少しうとうとしだした時だった。

 風雨の音にわずかに木の軋むような音が混じった気がした。気のせいだろうと思っていると、今度は何やら息遣いが聞こえる。今度ははっきりと聞き取れた。

――もしかして寂しくなっちゃったのかしら? きっとあんなことがあったから。

 今、家には私とナツしかいない。おばあちゃんは外出している。すると当然そこには……。

 それが近づいてくる気配を感じ、私は薄目を開けて確認する。

 目の前にいたのは愛しいナツではなく、何か髪の長い――

 息を呑む直前、耳元でそれが何かを呟いた気がした。

 

 

つづく

くまみこのはなし13

13.

 

 痛い。寒い。冷たい。

 ぼんやりとした意識の中で原始的な感覚が蠢く。

 ほの白い光が上方に浮かんでいる。それはゆっくりとした動きで下まで動くと、徐々に範囲を拡大していく。

 いつしか水の流れる音が違和感をもって聞こえはじめる。

 そして白い光の中、焦燥感とともに曖昧な形に像が結ばれる。

 細くて恐怖感を煽る黒い糸のようなものが高速に動いて何かに巻き付く。

 その隙間からこちらを覗く異形の目が――

「ッ!!」

 意識を取り戻した瞬間、呼吸に合わせて襲う胸の痛みに息が詰まる。

 呼吸を整えて浅く浅くしながら辺りを確認しようとするが、何も見えない。

 手は前に拘束され、横向きに寝た状態。足首も拘束されている。

 さらに少し動くと土の臭いを感じる。地面に直接敷かれた布団に寝かされているらしい。

 また、どうも裸か、それに近い格好になっているようだ。どおりで寒いわけだ。

 上半身が全体的に痛い。少し体を捩るだけで激痛が走る。肋骨が折れているのかもしれない。

 痛みを紛らすために、何故こんなことになっているのかに思いを馳せよう。

 先程おぼろげに見ていた夢、のようなもので見た、あの髪から覗く視線が鮮明に思い出される。

 あれはなんだった? 冷静に思い出せ。

 あれはおそらく、ヒトだ。

 いや、そうではない。そんなことはわかっている。

 ナツは言葉を話していた。だからあれは少なくとも人間ではある。当たり前のことだ。

 男性? 女性? ――わからない。中性的な体つきをしていた。

 中性的というより、ちぐはぐな体つきだった。

 一部は女性で一部は男性。たとえば半陰陽のような――「あっ……!」何気なく動かした腕が何かひやりとした物に触れ、思わず声が漏れてしまう。声は思ったより大きく、辺りに反響した。ある程度広い空間らしい。

 出してしまった声に対して何もないことを確認してから、おそるおそる先程触れた物体を探ってみる――鉄の棒か何かだ。地面に直接、垂直に刺さっている。手をずらしていくと、それは何本も並んで刺さっているようだった――これではっきりした。

 ここは当初から目指していた「おしおき穴」の中だろう。

 こんな形で訪れてしまったことはなんと言うべきか、少なくとも喜ばしい状況ではないが。

 ああしかし、一体今は何時なのだろう。あれからどれだけの時間が経ったのだろう。

 わからないまま痛みに耐え続けることはつらく恐ろしい。その感情を塗りつぶすように、再び元のとおりの姿勢に戻り、布団を被って思考を巡らせた。

「こりゃ、神隠しってもんだよね」

 まだそんなことを呟く余裕すらあった。

 

 

つづく

くまみこのはなし12

12.

 

 弱ったナツの世話をまちに任せてふたりの元を離れたオレは、まっすぐ帰途に就いた。

 自宅に着き玄関の戸を開けると、そこには両親が揃って待ち構えていた。

 面食らうオレを無視しておやじが言う。

「よしお。話がある」

「……はい」

 そのいつになく厳しい声に素直に従いながら、事態はどこまで知れているのかといったことに頭を巡らしていた。

 居間まで歩く際、心配そうなおふくろと目が合う。それには慌てて目を伏せた。

 オレにも責任の一端があると、そのことだけはよくわかっていた。

 

「率直に訊く……お前、あのよそ者に何を教えた?」

「村の秘密に関することは、何も喋ってない」

「何を教えたんだって訊いてんだ!」

「……」

 おやじの質問に一旦答えたオレだったが、再度の問い質されると言葉が出てこない。

 オレは彼女に何を教えたのだろうか。何も教えたつもりはない。

 彼女は自力で何かに辿りつこうとして、そして偶然、辿り着いてはいけない別のものに辿り着いてしまっただけのことだ。

 しかし実際のところは不明だ。詳しく彼女が何を考えていたのかまではわからない。それを尋ねることすら、彼女に何かを教えることになる可能性もあった。

「母さんの話じゃ、巫女さんは何も、具体的にゃ話さんかったということだ」

 やはり聞いていたか。

 うちで語らう以上、そのようなことがあるかもしれないと、彼女も想像していたのだろう。

 しかしそもそも、オレと話していたときだって同じような調子だった。その会話の端々から得られた情報を組み合わせて考察していたに違いない。

「同じだよ。だからあれは、本当に偶然なんじゃないかと思う。話といえば、その名のとおり山も村も好きだと。そう言っていたから……山を歩くつもりで入ってしまっただけだと思う」

「山には入んなともっと強く――」

「言ったよ! 言うに決まってるだろ!!」

 自分も思っていたことを責められ、感情が高ぶる。

 それを見て、おやじも一度口を噤んだ。

「……悪い。自分でもどうして止められなかったのかと、それは本当に……悔しくて……」

 事故だ。と言ってしまえば簡単だ。

 しかし、もしオレがこの村に来た彼女に対してもっと不愉快な対応をとっていれば結果は違ったかもしれない。親身にならなかったら、ここに泊めると言わなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。だけど、それではこれまでのこの村の対応と一緒だ。それは変えていかなければならないと、ナツとも常々話をしていたのだ。

 そのことは、両親にもいつも言い聞かせていたことだった。

 だから余計に悔しいのだろう。

 そんな息子の村を思っての行動が、今回裏目に出てしまったかも知れないことが。

「……わかった。俺からは先方にそう話す……」

「待ってくれ。オレが直接言いに行く」

「な、何言うのよしお! ダメよ!」

 オレの発言に今まで黙っていたおふくろが立ち上がって声を上げた。

「オレが村を連れ回していたのは皆知ってる……だからオレが行かなきゃ、話がつかない」

 具体的にどこから話が来たのか、それによって考えられることも増える。

 オレに手を伸ばすおふくろを制し、おやじは言った。

「……下手な言い訳はすんなよ?」

「わかってる――」

 眉根を寄せたおやじの、わずかに揺れたその瞳を、オレは忘れない。

 

   *  *  *

 

 緑深きクマ井の最深部。この場に留まっていてはいけない。ヒトの身でここに立ち入ることがどれだけのことかを思い知らされながら、村外の者が闖入した件について直接謝罪をした。ナツが動けない状況にあるからと前置きをしてのことだった。

 その間、ずっと視線を下げていたため向こうのリアクションは不明だった。

「ヒトよ。顔を見せなさい」

 高所からかけられた声。威圧感に圧倒されながら、伏せていた顔を上げた。

「娘巫女は達者にしているかしら?」

「ナツ様は娘巫女と仲良くされていて?」

「今日の夕餉は何かしらね」

 3頭のクマから投げかけられる質問に再び顔を伏せてそれぞれ答える。

 婦人会、クマ井の中枢――その3頭のクマは、いつものように、優雅にお茶会を楽しんでいる。

 見上げる高さに設けられたテーブルの周りに3頭はそれぞれ腰かけている。その真下、オレがいるのと同じ高さの場所に、黒い傷だらけのクマがこちらを凝視していた。

 ナツの幼馴染のほのかだった。

 その足先を見るように顔を伏せていると、上から声がかかる。

「そう。じゃあもう去りなさい。ヒトの子よ。ナツ様にくれぐれもよろしくお伝えくださいね」

「……は、はい」

 話が本題に入るかと思っていたので、拍子抜けをしたが、オレは黙してその場を下がった。

 

   *  *  *

 

 ほのかに先導されて歩く。途中で雨が降り出した。

 先を往くクマの体毛が濡れて鈍い光を放つ。

 それをぼんやりと見つめながら歩いていると、ほのかから声をかけてきた。

「人間……何か訊きたいことがあるんじゃないのか?」

 正直に返してよいものか悩む。しかし、ここで訊かなければ可能性は途絶えてしまうだろう。

「ナツの……ナツが、膚を見られたというのは本当ですか?」

「事実だ」

「――――」

 熱に浮かされたナツの幻覚にすぎないのではないかという一縷の望みが断たれた。

 そうすれば、次の質問をしなければならない。

「では、彼女――山村さんは、今どこに?」

 ――生きていますか? とは訊けなかった。

 しばらく間を置いて、ほのかは回答の代わりにあの場での出来事を語りはじめた。

「私はあのとき、熱に浮かされ水を浴びに来たナツを偶然見つけた。するとあろうことか、奴は白日に膚を晒しだした。慌ててやめさせようとしたとき、それを見て呆然としている人間を見つけたのだ! 私はすぐにそいつの元に駆け、撥ね飛ばして昏倒させた――だがもう遅い。あの人間は見てしまった」

 ほのかの当て身を食らったのか――

 オレは絶句するよりほかなかった。所在よりもそもそもただでは済んでいないだろう。

 黙するオレに、ほのかは一度だけ振り返った。

 そして少し間を置いて、呟くように話す。

「気を失った人間より、ナツの容体が気懸りだ。先にナツを送り届け、再びあの場に戻ったが、すでにあの人間は消えていた。だから行方は私も知らん――ただ、ナツに言われていて、人間相手だから手加減はしたのだ」

「……そうか。ありがとう」

 そして「ナツの知り合いじゃなければこんな」と悪態を吐く。

 本当にほのかが知っていることはこれがすべてなのだろう。

 じっとりとまとわりつくような雨の中を歩き、神域の端まで到着した。

 去っていくほのかを見送る。その話から、ひとつだけわかったことがある。

 おそらくあの場には、彼女を監視していたのか、別の目があったのだ。

 

   *  *  *

 

 先程は後回しにしたが、ついに直接対決をしなければならない。

 自宅に一度帰ったとき、すでに事が起こったことを知っていた両親。

 その両親に連絡を入れたのは誰か。

 クマ井と村人との接触は偶然の遭遇以外ではほとんどなく、何かがあればすべてクマ井の頭首であるナツを通じてのやり取りとなることが常であった。

 しかし今、ナツはあのとおりだ。

 つまり、考えられる可能性は、ナツを通じた表立った経路以外でのやり取りがあったか、もしくはそもそも山村さんが消えたことにクマ井が関与していない場合のどちらかしかない。

 しかし、どちらでも同じことだ。

 なぜなら、いずれにしても熊出村の中枢――祖母のフチが関わっていることは、明白だからだ。

「……ばーちゃん」

「来たね。よしお」

 神社の奥、本殿という名の倉庫、その一室にばあちゃんは鎮座していた。

 雑多な室内にあって、その小さな存在は大きな存在感でそこに坐している。だが壁に向いており、こちらに一瞥もくれない。

「出かけてたんじゃなかったのか?」

「出かけてたさ。でも変なよそ者が来たっていうんで、戻ってきた」

 誰かが彼女に連絡をとったということか。オレが村の中を回っているときのどこかで。

「そしたらそのよそ者は案の定――禁秘を冒した……!」

「違う……あれは事故で――」

「これを見ろ」

 オレの言葉を無視して、ばあちゃんはオレの目の前に何かの草を放って見せた。

――これはナツの体の……まさか……山村さん、畑も見て……!

「こりゃ村の掟じゃあ!! あの娘はもう帰せん!!」

 握りこぶしが激高で震えている。しかし次の瞬間には真顔に戻ると、徐に口を開いた。

「それよりよしお、お前『お兆し』を黙ってたな?」

「それは……」

 再び調子を抑えて問い質されたオレは、再度言葉に詰まってしまう。

「急に還られたらどうするつもりじゃった!? ええ?!」

 乱高下する声音に本能的に威圧される。しかし、そうでなくても答えられない。

 ナツがいなくなることなど、自ら認められるわけがない。

 押し黙るオレに、ばあちゃんは「ふん」とつまらなそうに鼻を鳴らした。

 負けじとオレは問いかける。

「山村さんは……どうした?」

「ああ、あの子は生かしてあるさ」

 今度はわずかに上ずった柔和な調子のその物言いに怖気が走る。

「そりゃ殺さん、大事な胎(はら)だ――」

 それを聞いた途端、オレは彼女に掴みかかろうと立ち上がりかけた。しかし、いつのまにか忍び寄られていた何者か複数人に背後から羽交い絞められる。

 不意を衝かれたオレはまともに抵抗できず床に押し付けられた。

「んだっお前らぁ! はな、離せ、おい――!」

 そのまま口に布を噛まされ、腕や足を縄で拘束され、歯向かう術を封じられる。

 獣のように唸りながら、すぐそこに悠然と座す彼女をにらみ続けたが、頭から袋を被せられ、それすらも届かない。

 最後までこちらには目もくれずにいた彼女の声が響く。

『明日は「送り」じゃからな、ええな。次はお前が仕切るんじゃ、ちゃんと見とけ!』

 

 

つづく