たしかに正しいけど、その通りだけど。

ブログじゃないという体でまとまった文章を置いておきたい場所

くまみこのはなし9

9.

 

 翌朝、私が目覚めると、隣の布団で寝ていたはずのまちさんはすでにいなくなっていた。

 ゆっくりとした動作で携帯を確認すると、時刻は8時を過ぎたところだった。

 昨晩はまちさんからいろいろな話を聞くことができた。さすがに警戒されている部分もあったようで、終始どこか奥歯に物が挟まったような物言いであったが、元々の引っ込み思案さ故か、普通の雑談であれ似たようなものだった気もする。

 身支度を整えながら昨日村を見て回ったことや良夫さんとまちさんから聞き取るなどして得られた事実を反芻する。一番気になったのはアイヌ神話式神であるカッパ追い祭りでも山の女神に捧げる男根信奉の祠でもイナウに酷似した御幣でもなく、『おしおき穴』なるものの存在だ。

 詳しくは不明であるが、悪さをした子供を一晩「閉じ込める」ことができる構造の穴らしい。

 これは神域の中にあり、かつては別の用途があった可能性が極めて高い。

アイヌで熊といえば熊送り――」

 熊送りにおいて熊はしばらくの間、村で飼われるという。

 大きくなった熊は当然、檻で飼わなければならない。

 

   *  *  *

 

 良夫さんのお母様から朝食まで御馳走になった。どうも彼は昨夜出かけてから帰っていないらしい。これからの行程は付きまとわれてしまうと困るので好都合だった。

 昨日村を回っているときに何度かまちさんの祖母だというフチという名を耳にした。当然その大刀自が村の暗部を司る黒幕であろうが、彼女は今、不在にしているという。この機を逃す手はない。

 良夫さんのお母様に礼を言い、雨宿宅を後にする。「よしおに会ったらよろしくね」と言われたが、できれば遠慮願いたく、曖昧な笑顔を返すに留めた。

 

   *  *  *

 

 人気のない林道からけもの道に逸れた。それからしばらく下り、小さな沢を見つけると、方向に気をつけながらその淵を下っていく。『おしおき穴』のある神域は神社の奥に存在するはすだ。

 まちさんに聞いたところによれば、彼女の家は熊出神社のさらに先、丸太橋のかかった比較的大きな沢を隔てた向こうにあるという。その橋はたびたび流されていて、そうなれば新しい橋が架けられるまで孤立してしまうという話だった。

 彼女の家は、神域の入口にそれを守るように建てられているのだろう。そして、一般の村人が神域の深くまで立ち入ることはあまり考えられない。つまり、目的地は彼女の家の近く、沢を上った先にある丸太橋を目印に、近辺を探せばよいことになる。道なき道を行くことになるが、ある程度は仕方がない。

 慣れない移動に息が上がりはじめるが、知識欲でそれに耐えながら先を進む。

 足元に附子の花が集まっている。気を紛らすように、その可憐で危険な紫の花弁をじっと見つめて黙々と進んでいく。

 闖入者を拒むよう進むごとに厳しくなる原野に対し、逆に精神は高揚していった。

 それは、道を逸れて30分ほど歩いた頃だった。

 木立の先に広場のように抜けて平たく見える所がある。少し逡巡したが、人為的に拓かれたと思しきその場所に妙に惹かれ、沢を外れていくと――そこには、何かの畑があった。

 整然と並んだ畝に低く這う植物は、なんの実も付けていない。しかし、一面に同種の植物が植えられているために、これが栽培されているものだとわかった。

 こんな山奥に人目を避けるようにして栽培されている植物がなんであるか気になった。しかもよく考えればこちらは神域の山側。つまり神域内にある畑ということになる。

 ちなみに麻のような葉ではない。もっと背が低くて葉は小さく、茎が弦状に伸びている。マメ科だろうか。

 じっくり調べたい気持ちもあったがここが畑である以上、作業のために村人が表れる可能性は大いにあるわけだ。計画が途中で頓挫することを恐れた私は、一応その植物を採取すると、足早に元来たルートを戻っていった。

 

   *  *  *

 

 何度目か、地図を確認したところで沢は大きく斜面を回り込み、突然視界が開けた。

 今まで頼りに歩いていた沢は比較的幅員の広い流れに注ぎ込んでいる。沢というより川である。

 歩き続けてすっかり体力を消耗していた私は、その水面近くに腰を下ろし、一度休憩を取ろうと思った。その川を少し上ればその周辺が目的地のはずだった。

 木立から一歩踏み出す。陽の光に一瞬眩しさをおぼえて目を細めた。

 視界がはっきりとすると、向こう岸の少し上流、木立から少し離れた位置に熊が直立していることに気付いた。一瞬、ナツさんかな? と思ったが、考え直す。

 ここは熊出村。本物の熊が出没することだってありそうなものだ。本物の熊であれば襲われかねない。

 しかしさらによく考えれば、もしそれが本当にナツさんったとしても、この場にいることを悟られてはならない。私は聖域を侵しているのだ。

 そう結論が出た頃、ナツさんと思しきその熊は、どこか苦しそうに屈んで、四足でよろよろと歩くと水際の平らな岩の上に乗り、力なく尻もちをついた。

 離れるなら今しかない。そう思ったが、この位置関係だと今は視界に入っているかも知れず、下手に動くことができない。

 そうこうしているうちに、事態は悪い方へと転がっていった。

 その熊の腕はだらりと垂れ下がり、小刻みに揺れるような奇怪な動きをしはじめたのだ。

 その動きに、ひとつの憶測が頭をよぎった。

 やはりあれはナツさんであり、あろうことか、人目がないと思いその着ぐるみを脱いで休憩でもとろうとしているのではあるまいか。

 いよいよまずいと思ったが、動向を伺わないことには逃げ出す機会も掴めないため、目を離すことはできない。よもや、声をかけやめさせることもできない。

 八方ふさがりだ。静観するしかない。

 そして、ついに決定的な光景が繰り広げられる。

 熊の首があらぬ方向に倒れた。

 両腕が肩口からひしゃげた。

 背中から、もぞりと黒い頭が飛び出した。

 熊の形をしていたものが畳まれるように前傾する。

 中に入っていたものが、不安定に揺れながらすらりと立ち上がる。

 その巨躯は膚が異常なほど白く、それでいて筋肉質で、それでもその腰まで届こうかという黒髪がまとわりついた薄い乳房、淡い色の乳頭、鬱蒼とした茂み、長く逞しい脚――

――あれは、なんだ?

 想像していたものと大きく異なる何かが表れ、先程までの浮ついた気持ちが一転する。

 後頭部が痺れるような感覚に襲われる。ぎっちり詰まった空気に押さえつけられるような感じで、意識的でなければ呼吸もままならない。

 すぐに立ち去ればよかったという後悔だけが胸に押し寄せる。

 目の前の光景が、その先に立つそれが、ひどく現実感のないもののように思えてくる。

 徐々に視界が白けていく感覚。

 それは身を乗り出すようにすると、川の流れに吸い込まれていく。

 その刹那、前のめるそれの、髪の間から覗く瞳と目が合い、それが驚いたように見開かれた。

 一連のシーンが、まるでスローモーションのように感じられたとき、脇腹から大きな衝撃を受け、体の上下がわからなくなった。

 意識を失う間際、黒い獣の唸りを聞いた気がした。

 

 

つづく

くまみこのはなし8

8.

 

「え! まち帰って来ないの?!」

 うちに来るなり良夫はボクに「今日、まちはオレのうちに泊まるから」と言い放った。

「いい機会じゃんかー。いろいろな人と関わった方が、まちのためになるって」

「でもさー。今日とても気を張っていたみたいで、家に帰って来てからずっとボクにべったりだったんだよ? いつにも増して……」

 そう。過剰に甘えるのはストレスを感じているサインだ。

 しかしよしおはボクが反対することなど想定済みのようで、すぐに言い返した。

「それでも実際、ちゃんと自分からうちに来たじゃないかー!」

「それは――」

 そうなのだ。よしおから連絡が来た際、ボクがそのまま断ってしまおうとしたところ、近くにいたまちが横から彼のメッセージを見て、すぐに「行く」と宣言したのだった。

 成長したと見るべきか。いや、何か……そういえばあのとき――

「許してやれよナツ。なんかふたり、去り際に約束してたろ?」

「……やっぱりよしおもそう思う?」

 よしおは気付いていたらしい。あのときのボクは『ナッちゃん』を演じることにいっぱいいっぱいになってしまっていたのだが、今思い返すとそんなことがあった気がする。

「まああの人は大丈夫だよ。むしろ物腰柔らかで、ひー子なんかと比べたらハードルは随分低いんじゃないか? まちもいろんな人と交流した方が――」

 よしおがひびきの名前を出したので思い出した。

「そういえばよしお! あの人!」

「そのことを謝りに来たんだ。悪かったよ……強引に決めちゃったのは」

 謝意を示すよしおだったが、ボクとしても意見を伝えなければならない。

「会って間もない女性に対してのデリカシーもそうだけどさ! 山村さん、だったっけ? よそ者の女に熱を入れすぎじゃない?」

「ナツおまえ、彼女のことを悪く言うなよな!」

 うら若き女性を一日連れ回しただけに飽き足らず、家にまで泊めるとは恐れ入る。

「――まったく、ひびきが知ったら」

「ん? なんて?」

 ――後で荒れるだろうなあ。などと思っていたが、口に出してしまっていたようだ。

 慌ててごまかしたが、まったく悪びれるそぶりのないよしおに呆れていると、急に一瞬、気が遠くなった。

「お、おい! どうしたナツ! しっかりしろ!」

 へたり込んだボクに、よしおは慌てて声をかける。

「だ、大丈夫……ちょっとめまいがしただけ」

「水でも持ってくるか?」

 精一杯心配してくれるよしおだが、こんなときでもボクのことを助け起こしたりはしない。

 ありがたいことだった。

「自分でするよ……」

「いや、しばらく安静にしていた方がいい」

「……そうする」

 水を取ってくるから、とよしおは素早く部屋から出ていくと、辺りに静寂が訪れる。

まちも心配だけど、よしおのことも心配だ。村にしか興味がないことが裏目に出ている。

 一歩間違えばあの女に籠絡されるんじゃなかろうか。

 よしおにはひびきとくっついてほしいんだけど。

 そしてあわよくばフチの死後はまちと暮らしてほしい。なんて。

 

   *  *  *

 

「やっぱりナツも疲れてたんだな」

 心配そうなよしおが甲斐甲斐しくそばに付いている。

 体調の悪さ故か、弱気になっているのが自分でもわかった。

「そうかも。日中からちょっと……体調が変で。でも夏バテかも」

「…………薬、ちゃんと飲んでるのか?」

 間を空けて、真剣な顔のよしおが尋ねた。

「――のんでるよー」

 一瞬詰まってしまったが、できるだけこともなげに答える。

 それくらいではよしおを安心させることはできず、話は終わらない。

「最近はゆるキャラ関係で遠出も多くなってるし、飲み忘れたり――」

「してないよ。――何年のんでると思ってるの?」

 いじわるを言ってみる。

「そりゃ、そうかもだけど……心配だよ」

「ありがとうよしお。でももしかしたら、ちょっと思ったより早いけど――ガタが来はじめてるのかも。やっぱり最近がんばりすぎたからかな」

 最初は軽口のつもりだったが、気持ちの弱りか、どんどんと弱音が紡がれていく。

「冗談でもそういうことは言うな」

「……ごめん」

 重苦しい空気が立ち込める。

 自分のことのように苦しそうなよしおの姿を見ていられなくなり、少しだけ無理をする。

「よしお優しいからさ、いつもこんな話になっちゃってごめんね! もう大丈夫!」

 よし、と起き上がると、彼の持って来てくれた水を一気に飲み干す。

「おいおい、急にそんなに動くなよ」

「平気平気! 病は気からってね!」

 足元が少しだけおぼつかないが、なんとか動ける。

 体のことは考えないようにして、先程の話に意識を戻そう。

 よしおの女性関係――この間、海に行った際、同僚の保田さんとひびきとで両手に花といった事態になったときも確か、考えるのをやめてその場から逃げていたっけ。

「ああ、ボクも役場のあの人みたいに、イメージチェンジしたら弱気にならなくなるかな」

 あの大胆な水着姿を思い出す。コスチュームで別人格が出るという彼女。

 よしおは何を思い出しているのか少しこわばった顔で「保田さんか」と呟く。まさにグラマラスな眼鏡美女といった風だったが、彼にとってはあまりよい記憶ではないらしい。

 でもあの変わりようは、『ナッちゃん』としての自分に未だ違和感が拭えないボクにとっては参考になるかもしれない。無理に演じるのではなく、スイッチを入れるみたいにすれば。

 しかしよしおの考えは斜め上を行っていた。

「よし、じゃあナツも脱ぐか」

「いや、脱がないよ!」

「いややっぱりダメだナツ……脱ぐのはオレの前だけにしてくれ……」

「よしおの前でも脱がないよ!」

「残念」

「まったく、ほのかみたいなこと言わないでよね」

 そう、ほのかといいスカイプスリランカ人といい、どうしてそういうことを……。

 よしおはようやく安心したのか、少し声を出して笑うと「ふられちゃったかー」とかなんとか言いながら、頭をかいていた。

 よしおが安心したことで、ボクも安心した。椅子に深々と腰かける。

 もう少し安静にしていなければならなそうだった。

 

 

つづく

くまみこのはなし7

7.

 

 しばらく歓談していたが、不意に山村さんが深刻そうな顔で尋ねた。

「あ、そうだ、この村って……泊まる所があったりしますか? 調べても出てこなくて」

「残念ながらないですね」

 本当に残念ながら。と、思いつつ、これはまたひとつ課題が見つかったと心にメモする。

「そうですか……そうしたら町の方に宿を探してみようと思うのですが……心当たりがあれば」

「うちに泊まったらいいですよ!」

 山村さんの言葉に即座に持ちかける。案内する道すがらにぼんやりと思っていたことだった。

 途端、ナツが「あのさ、よしお……」と苦言を呈する。

「ちょっといきなりそんなことを言われても、山村さんも困っちゃうよ」

「そ、そうよよしおくん!」

 非難の声多数だが、前に東京の親子がこの村に滞在したときにも、うちの庭にテントを張っていた。同じことではないか。

「でもなー……観光課にいながら村に宿がないなんて、そんな当たり前のことに気付かなかったのはオレの落ち度だし……」

 合理的な結論が出てしまっている以上、自分の中でもそれを覆すのは困難だった。

 それに、ふたりは騒いでいるが、本人の意思が一番大切だ。

「山村さんはどうですか? うち、上の兄さんが家を出てるんで、部屋は空いてるんですよ」

「……いいんですか?」

「決まりですね!」

 山村さんが予想に反して乗り気なのでナツもまちも言葉が出ないようだ。

「というわけで、無事に泊まる所も決まったところで、まだもう少し時間もありますので、案内の続き、行っちゃいますか!」

 呆気にとられているふたりを尻目に話をどんどん進めてしまう。山村さんが乗ってきてくれてよかった。さて、と山村さんと共に腰を上げ、身支度を整えていく。

「じゃあなふたりとも、ありがとなー」

「本当に、ありがとうございました!」

「は、はい……」

 なんとかといった感じで答えるまちと、黙って頭を下げるナツ。

 ふたりは何やら煮え切れぬ雰囲気を醸し出していたが、山村さんの貴重な時間を奪ってしまうことは申し訳ない。あとでフォローは入れておこう。

 拝殿から出る際、山村さんは「あ、ちょっと待ってください」と言って小走りでふたりのところに一度戻っていった。そして、何やらまちに耳打ちしている。

 まちは神妙な面持ちで小さく頷いていた。

 

   *  *  *

 

 山間のこの村では陽が落ちるのも早い。

 最近は顕著に陽が短くなっていて、冬が迫ることへのちょっとした焦燥感が募る時期だ。

「今日は本当にお世話になりました」

 自宅に至る道を走る車中、助手席の山村さんは礼を言った。

「いえいえこちらこそ、わざわざこの村まで来ていただいて……今もまだ感激してますよ!」

「私もです。本当に興味深い所で……来てよかったです」

 もし、希望的観測ながらこれから観光客が増えていくとすれば、そもそもこんなに時間を割いて案内はできないだろうし、おそらくこんなにこの村のことをわかってくれる、自分と気の合うような人はめったに現れないだろう。

 だから今のそれは本当に心からの言葉である。

 来てくれたことにもそうだが、その山村さんという存在に出会えた僥倖に感激していた。

 幸せな気持ちを抱きながら他愛もない会話をする。時々村のことを話す。それに対しての反応も、これまでオレが接してきた多くの人のそれとは全然違っていた。

「でも山村さん、本当にすごいですよね……なんというか、知識量が。学生時代、研究でもされてたんですか?」

「いえ、完全に趣味ですね……今はほら、ネットで調べればいろいろと出てきますから」

 謙遜する山村さんだが、調べるだけでなくこうやって実地に足を運ぶのだから大したものだ。

「今日いろいろと話しましたけど、ここまでちゃんとしたやり取りができたの初めてなんですよ、オレ。ここらの人にとっては村なんて日常なんで……」

「ああ、それはそうなのかもしれませんね。でもきっと、これから熊出村の知名度がアップしていけば、私みたいな人もいっぱい来てくれるようになりますよ。いい所ですから」

「頑張りますよ!」

 世辞かな、と思ってもやはりうれしいことを言ってくださる。

 いい気分で運転していると時間は短く感じるもので、もう自宅が見えてくる。

「ああ、あれですうち。車庫の中狭いんで、着いたら先に降りてもらえれば!」

「わかりました」

 家の敷地に入ると玄関近くまで車を寄せ、山村さんを降ろす。それから車庫入れをして、玄関に向かった。

「ただい――っと、びっくりした。なんだよおふくろ」

「さあさあ、早く入って入って!」

 玄関で出迎えたおふくろはすでに歓迎の態勢に入っていた。ぐいぐい来る。

 彼女には山村さんを泊めることなど連絡をしていなかったが、もう村中に来訪者の存在は知れ渡っているらしい。面倒な説明をしなくて済んだのはありがたかったが。

 

   *  *  *

 

 夕食後、恐縮した様子の山村さんに話しかけられる。

「すみませんが……まちさんに連絡って、とれますか?」

「どうかしました? 忘れ物?」

 そう訊いてから、神社の去り際にまちに耳打ちしていた姿を思い出した。

「いいえ、ちょっと――」

「ああ、いいですよ! ちょっと待ってくださいね……ケータイ通じないですもんね」

 言いながらスマートホンを取り出し、ナツとのチャットウィンドウに「山村さんがまちに会いたいんだって」と、話を投げかける。

「よし……あとは反応を……おお、返信が来ましたよ――ほう、まちから来てくれるみたいです」

 そりゃ自宅に来られたらナツも落ち着かないだろうからな。

 あと、今ばあちゃんは不在にしているけど、帰ってきたりしても面倒だし。

 山村さんは「悪いですよ」などと言っていたが、そんな事情もあり「夜道が――」とかなんとか言ってなだめる。

 そういえばナツにも今日のことをお礼言っておこうか。最後の方、結構強引に切り上げてしまったこともあるし。

「そうだ。オレもちょっと別件で用事があるんでした。まちが来たらちょっと出かけてきますね」

「急ぎのお仕事が残っていたとか……?」

「違いますよ! 大丈夫ですお気になさらず! ゆっくり話しててくださいね――なんなら、まちもうちに泊まるように言いますよ。明日は休みですし」

 オレの言葉に、山村さんはさらに恐縮していたが、お泊りの件も含めてナツに話してみることにした。その言い訳もすぐに思いつく。

 まちにとっても、村外の人と関わることはきっとプラスにはたらくに違いないから、と。

 

 

つづく

くまみこのはなし6

6.

 

 よしおくんの家の車庫に自転車を戻し、丸太橋を渡って自宅を望む。

 ふう、と一息吐いて、玄関の引き戸を開けた。

「ただいま」

 土間におばあちゃんの履物はない。またどこかに遠征していて、帰っていないのだろう。

 居間を抜けて階段を上がり、自室に入る。

 荷物を置き、取って返すように廊下に出ると、ちょうどナツも部屋から出てきたところだった。

「あーまち、おかえり!」

「ただいまナツ。うちにいたのね」

「うん。ちょっとYouTuberとしての作業をね」

 とぼとぼと歩く姿は、少し疲れているように見えた。

 私は何も言わずナツに近づくと、胸元辺りの体毛をもそもそと触る。

 ナツはしばらくなすがままにされていた。いつものようなスキンシップがないことが気になる。

「……大丈夫ナツ? 根を詰めすぎなんじゃない?」

「そうかも。でもまちが帰ってきたからもう元気!」

 具体的に指摘されてナツも明るく振舞いだす。

「そうだ! さっきね、しまむらでナツのファンに会ったわ」

「え? ファン?」

 ナツは瞳を円くして、小首を傾げた。

「そうなの! びっくりよね! わざわざ会いに来たって言うのよ? バイクで遠くから」

「観光客だ! そっか……よしおが知ったらよろこぶだろうなー」

 ナツのテンションが目に見えて回復した。私の報告が功を奏したのを見て、ようやく安心する。

「よしおくんに会ったら、いろいろと質問攻めにされて、ドン引きされないかしら」

「あり得るね……もう会っちゃってるかな?」

 よしおくんという危険人物を村の代表と思ってもらいたくはない。

 安心したところで、そんな軽口も出てきたが、報告をしようと思った純粋な動機を思い出した。

「でもね、ナツ聞いて! あの人、雰囲気からして絶対に都会の人だと思うんだけど――つまり、都会の人もしまむらに行くってこと! やっぱりしまむらの名声は広く轟いているの! 片田舎の象徴なんかじゃないわ!」

「あ、うん。そうだね……」

 完膚なきまでに証明されてしまったその先進性には、さすがのナツも言葉少なに首肯するしかない様子だ。

「でもその人、ボクのファンだっていうなら、ボクに会いに来たりするかなぁ」

しまむらでナツに会う服を見繕っていたのかしらね?」

「いや、しまむらの話はもう大丈夫だからね」

「でもきっとそうよ! だって、憧れの人にはハイセンスでファッショナブルな装いで会いたいものでしょ?」

 静かに頷いてくれるナツ。

 以降も私はナツにそのよろこびを十分に伝え、全身の毛並みを堪能した。

   *  *  *

 

「――ということがあったんだよ!」

『ご苦労様、ナツ!』

 それからしばらくして、ふたりで神社に着くとよしおくんから電話があった。

 彼はかなりの上機嫌で、観光客の人に出会ったことが電話の第一声からして明らかだった。

 すぐにナツに代わってくれということなので、ナツに受話器を渡してから、私は少し冷静になって考える。

 古臭い風習が未だに残る、この村。

 そんな村でずっと育ってきたことを、恥ずかしく思う気持ちがある。

 しかし、その村に魅力を感じ、わざわざ訪れようという人もいる。

 もちろん、そこに暮らすのとただ一時的に訪れるのではまったく違うのではあるが、それでも求められるだけの何かが、この村にあるという事実は確かなようだ。

 今回は『ナツ』の魅力を、よしおくんが広く知らしめたことが直接的な要因かもしれないが、これから彼をはじめ、多くの人の手によってこの村のことが広く紹介され、もっともっと村外からの来訪者が増えるのかもしれない。

 以前、東京の親子が村に少しだけ滞在した際には、相手が同世代の男子だったこともあり、変に意識をしてしまった結果、いざ交流してみようと思ったときには村を離れてしまうようなこともあった。

 都会の高校に通うには、田舎コンプレックスとコミュ障はきちんと克服しなければならない。

 幸い、先程遭遇した人は同世代の男子ではない。そして物腰の柔らかそうな人だった。

 見た目で判断をしてはいけないが、ひびきちゃんと比べたら断然真面目で誠実そうに見えた。

 あのひびきちゃんと親交を深めようとしている私なら、なんとかならないはずがない。

 また、せっかく村を訪れてくれたのだ。おもてなしの気持ちで接するのが当然ではないか。

――そうよまち。私にだって、村のイメージアップに貢献できることがあるの。ああ、でも……。

 村のイメージアップというより、よく考えれば、私が変な態度をとってしまうことは、ナツの顔に泥を塗るような行為ではないだろうか――などと、わざわざ自分を苦しめるような考えが頭をよぎったが、それを断ち切るようにかぶりを振った。

「わかった。じゃあ待ってるよ」

 ちょうどナツが受話器を置き、こちらを向く。

「まち、これから少し村を案内しながらこっちに向かうってさ。まちはうちにいる?」

「私も行くわ」

「わ、どうしたのまち? どういう風の吹き回し?」

 もちろん行かないと思っていたのか、ナツは少し心配そうに言った。

「大丈夫よ、ナツ。ナツの顔に泥を塗るようなことは絶対にしないわ」

「そんなことは思ってないよー」

「私もいつまでもこのままじゃ、いられないもの」

「へぇ……えらいなーまちは」

 鼻息も荒く答えた私の言葉に、ナツは感嘆の呟きを漏らした。

「じゃ、行きましょナツ。ナツこそ粗相のないようにね!」

 

   *  *  *

 

 熊出神社の拝殿内でナツとふたり、入口をにらみながらまんじりともせず正座で待機している。

 家を出るときは意気揚々としていたが、いざ待つ段になると少しずつ緊張が高まってきた。

 こちらは余裕があまりないが、ありがたいことに、ナツがいつものように雑談を投げかけてきてくれる。

「ここで私服のまちを見るのもなんだか新鮮だな」

「巫女服を着るわけにもいかないんだから、しょうがないじゃない」

「ほめてるんだよー」

 普段着のようにしている巫女服は、表に出していいものではないと散々言われている。

 あまりに普段着すぎてたまに忘れて出歩いてしまうが、さすがに村外の人に会うというのにそれはまずすぎる。

「その服、もしかしてさっき買ってきたの?」

「そうよ! ちょうど今日仕入れられたことは幸運だったわ……今朝の私は冴えてたわね」

 まるで最新鋭の装備を携えて戦地に赴く兵士のような心持ちの私を見て、ナツは小さく笑った。

 つられて私の口にも笑みが乗る。

「どんな人なんだろうな……パリピみたいなのだったらどうしよう」

「ぱ……?」

「ああ、えーと……テンションがやたら高くてちゃらちゃらしたような」

「よしおくんみたいな?」

「え、よしお……いや、もっとこう……説明しづらいなあ」

「大丈夫よ。きっといい人よナツ。丁寧な人だったわ」

 私はとりあえず素直な印象を述べた。

「ふーん……まちが言うなら相当丁寧なんだろうなー」

 ナツの言葉が引っかかったが、いつものようにここで体に訴えてしまうと、ちょうどそこに入って来られるかもしれないので控えることにする。

「……命拾いしたわね」

「怖いこと言うね、まち……ん? 来たんじゃない?」

 ナツの言葉に一気に胸から側頭部にかけて肌を熱いものが駆け巡る。

 数瞬後に、段を昇る複数の足音が聞こえ、簾が持ち上がった。

「……っと、そうか。お参りされますよね」

 よしおくんの声がして、一度持ち上げられた簾がまた元に戻る。

「……フェイントだね」

「や、やめてほしい」

「深呼吸深呼吸」

 息をするのも忘れていた私にナツから声がかかる。失神してしまっては事だ。いつかの失態が思い出される。

『はい、じゃあ上がりましょうか。大丈夫、神様は身内ですからね』

 言葉とともに、今度こそふたりが拝殿内に入ってきた。

「さあ、待望の『ナッちゃん』です!」

「わぁ! ……あ、初めまして! すごい、かなり大きいんですね……」

「こちらこそはじめまして! 今日はわざわざ会いに来てくれてありがとう!」

 『ナッちゃん』の歓迎の意を受け、先程会ったその人がにっこりと微笑んだ。

 それからこちらも一瞥し、同じように微笑んでくれる。

「また、お会いしましたね。まさか巫女さんをされているなんてびっくりしました。こんな偶然ってあるんですね」

「そ、そうですね……!」

 緊張で声が上ずってしまう。まともに目を合わすことができないが、ちらりと伺うと相手も目をばっちり合わせては話さないタイプのようで、少し安心した。

「そちらはさっき話しました、オレのいとこのまちって言います」

 よしおくんの紹介におずおずと会釈をすると、その人は丁寧に頭を下げながら山村と名乗った。

「雨宿さん、その……ナッちゃんは握手とかって、してもらえたりするんですか?」

 名字を呼ばれ、一瞬びくりとしてしまう。そういえばよしおくんも雨宿だった。

「もちろん大丈夫ですよー! ……って、そうか。すみません山村さん――」

 よしおくんも私の反応に気付いたらしく、「こいつも雨宿って名字なんでオレのことはよしおって呼んでくれるとありがたいです」とお願いをした。

「ちょっと呼びづらいかもしれないですけどね。山村さん礼儀正しいから」

「いえ、でも……はい。良夫さん、と、まちさん。あらためて、よろしくお願いします」

 山村さんはそう言って再び頭を下げ、それからナツの方に向いて少し困ったように言った。

「『ナッちゃん』もよろしくお願いします」

「よろしくね!」

 山村さんは感激した様子でナツの手の感触を確かめつつ、手交していた。

「でも……『ナッちゃん』だけ、ちゃん付けでお呼びするのもなんかおかしいですね」

「そんなことないよな? 『ナッちゃん』?」

「そうよね、『ナッちゃん』」

「……」

 山村さんの言葉に同調するように、よしおくんと私はナツに問いかけた。

 ナツはまだ、こういったいつもの空気においての『ナッちゃん』の振舞いに慣れていないのか、黙り込んでしまう。

「『ナッちゃん』さん、では余計おかしいですもんね」

「あははは! 山村さんそれはちょっと、面白すぎますね!」

 山村さんが真面目な顔をしてそんなことを言うので、よしおくんがたまらず笑いだす。私もつられて少し笑ってしまったが、ナツはどんな反応をしてよいかわからず、下を向いている。

「はははは! ――はぁ、笑った笑った。でもこっちも話しづらいんですよねぇ、確かに」

 そう言うと、よしおくんは少し考え込むような仕種を見せたが、すぐに顔を上げて続けた。

「いっそ、普通に『ナツ』って呼んでもらいますか!」

「え、よしおくん!」

「!?」

 よしおくんの発言に、ナツも私も驚いて固まった。

 マスコットのゆるキャラに会いに来た人に対して、その発言は着ぐるみの中を見せるようなものではないのだろうか。

 おそるおそる当の山村さんの顔を伺うと、何事もないような微笑を浮かべていた。

 少し拍子抜けをしながらも、こちらからかける言葉はなかなか出てこない。

 そうこうしているうちに話が進む。

「いいんですか? ナツさんも、それで」

 問いかけられたナツは、助けを求めるように黙ってよしおくんを見つめた。

「ナツがいいならそうしてもらいなよ」

「あ、あの……」

 すげない答えに、ナツがどうしようもない様子で口ごもった。こんなナツを見るのは初めてだ。

「――そっか、ごめんナツ。事前にちゃんと話をしてなかったオレが悪いや」

 おかしな様子のナツに、ようやくよしおくんは事態を把握したらしく、必要な説明を始めた。

 

   *  *  *

 

「――なんだ。じゃあ別にボクに会いに来たってわけじゃないんだね」

「もちろん、ナツさんにお会いできることも楽しみにしていましたけれど」

 事態がすっかり落ち着き、いつもの調子に戻ったナツ。

 一方の私はよしおくんからの細かな説明が途中で追えなくなり、ある程度のところで考えるのを放棄していた。

『山村さんは、ゆるキャラの大会でナッちゃんを見たことをきっかけに、「この熊出村」に興味を持って来てくれたんだ』

『先にナツの名前のことは話してあったんだよね。クマ井ナツが本名なんだって』

『話が盛り上がって、途中で口が滑っ――いや別に設定として明かしていないことだけど、問題ないよな? 「クマ井のナッちゃん」なんだから、自明みたいなもんだよね?』

『ってか、それと関係なくナッちゃんの公式ツイッターアカウントのID、「kumamiko_natu」ってしちゃってるじゃんかさー』

『そんなことより山村さん、すごいんだよ! 知識量が半端なくてさー趣味の域を超えてるっていうか――』

 そんな感じで、よしおくんは立て板に水の如く話しきったが、それ以降の内容は右から左に通り抜けていってしまったのだった。

 私にわかったのは「どうもこの山村さんはよしおくんと同類で無類の村好きらしい」ということだけだ。

 ただ、いくら彼と同類だからといって、彼のような強引さは感じないし、村好きにもいろいろな人がいるのだなあということは、理解できたので良しとしたい。

 そんなことを思っていると、不意に山村さんが話しかけてきた。

「まちさん、巫女さんだって聞いたんだけど、巫女さんってどんなことをするの?」

「えっ、えーと……この神社は無人なので、掃除をしたりしてるだけで……」

「舞ったりしないんですか?」

「えーと……それは……」

「あ、ごめんなさい。ちょっと興味があって……。私、妹がいるんですけど、近くの神社で神楽を舞っていたことがあったんです」

 山村さんの質問に答えあぐねていると、思いがけないことを言われて少し驚く。

「でも、その役はその年限りのもので、毎年地区の女の子が代わる代わる務める行事なんです。そんな行事みたいなものとは違って、まちさんは本格的な巫女さんなのかな? と、ちょっと思ったものだから……」

 丁寧に説明をしてくれる山村さんに、応えられないことがわずかに罪悪感となってちくりと胸を刺し、思わず「ごめんなさい」と口を吐いて出た。

 山村さんは少し驚いたようだったが、それ以上尋ねることはなかった。その代わりに「アイヌ系の神楽、興味あったんだけどな」と呟いた。

 『アイヌ』の単語に、私は思わず伏せていた顔を勢いよく上げた。

 そんな過敏な反応に、山村さんは少しいたずらっぽく話を続ける。

アイヌ民族のこと、まちさんも興味あります?」

 思わず頷いてしまう私。

「じゃああとで、少しお話しましょう」

 そう言って山村さんは妖しく微笑んだ。

 

 

つづく

くまみこのはなし5

5.

 

 連休初日、早朝に家を出た私は途中休み休み高速を下り、目的地最寄りのインターチェンジを下りたのが日も傾きはじめた頃になってからであった。

「んー……腰が痛くなっちゃったなー」

 自動二輪での旅としては少々厳しい――いや、人によってはミニバイクとかでも日本一周したりするのだからそんなことは言っていられない。

 単に私が長距離運転に慣れていないだけのことだ。

 少し体をほぐすようにしながら国道を流していると、道の駅の看板が見えてきた。

 この辺りで一度休憩をとろう。

 

『道の駅 よってけ』

 

――面白い名前だ。

 でも中は普通に農産物の直売所があったり軽食が売っていたりと普通の道の駅だった。

 確かこの辺りは「田村村」というんじゃなかったか――いや、ここも合併で「田村地区」だったか。なんにせよ『道の駅 たむら』とかじゃいけなかったのだろうか。

 しばらく休ませてもらい、これからの行程を確認する。

 普通に考えて今日はこちらに泊まる予定なのだが、できれば件の熊出村で宿を探したかった。しかし、ネットで調べてもなかなか情報はない。存在しない可能性が大である。

 そうなれば町の方の市街地にある適当なホテルに行ってみるしかないかもしれない。でもとりあえず一度どこかで宿屋の有無を訊いてみようと思っている。

 服に関しても、必要最低限しか持ち合わせがない。思ったより寒いので、何か適当に着るものを見繕いたい。こちらに関しては国道沿いに何かあるだろう。あとは――

「あだぁ、『熊出村』行ぐな?」

「え」

 不意に腰の辺りを雑に掴まれると、しわがれた大声で話しかけられ、体が硬直した。

 腰の曲がった老婆がビニール袋を片手に私の服を掴んでいる。そして私の困惑などお構いなしにまくし立てた。

「熊出村はぁ――呪われておるんじゃて――」

「えーと、の、呪い……?」

「近づいてはならぬ……『ケモノ』に憑かれておるからなぁ!」

「き、気をつけます」

 突然の剣幕に、それ以上何も答えることができない。

 そのまましばらく目を伏せていると、強い力で掴まれていた服は放され、老婆はじりじりと遠ざかっていった。

 辺りを見回してみたが、ほかに人はいない。目的地に着く前に変な面倒事に巻き込まれたかとひやひやしたが、これ以上何も起こらなそうなことを確認すると、再びバイクに跨り、逃げるようにその場を去った。胸に不快感がわだかまるというよりむしろこの旅の趣旨からすればそれはスパイスですらあったのだが。

 

   *  *  *

 

 国道をしばらく走ると、運よくファストファッションの店舗を見つけることができた。迷わず入店する。

 いやしかし、こんな所にもあるのか……このファッションセンターは。うちの近くにもチェーンの別店舗があるのだ。なんだか安心してしまう。

 そんな気持ちが少し顔に出てしまっていたのだろうか。商品を物色していると、不意にほかの客と目が合い、わずかに笑いかけられた。

 青い制服に赤い紐タイ、黒い髪を左右に結んで前に垂らした大人しそうな少女だった。

 地元の学生だろうか。一瞬話しかけてみようかと思ったが、躊躇ったわずかな間に彼女は違う棚へと歩いて行ってしまった。

 私は仕方なく本来の目的に意識を戻す。知らない土地で凍えたくはなかった。

 無難なデザインの服を手に取ってレジに向かう。こういうのはあまり悩まない性質だ。

 最後まで勝手知ったる安心感のある空気に包まれながら退店したところで、先程目の合った少女が自転車を押しているところに遭遇した。

 普段あまり社交的な方ではないが、旅先ではそんなわけにはいかないこともある。

 少し意を決して、彼女に話しかけてみることにした。

「すみません。ちょっとお伺いしたいんですけど」

「ひ、え、あ……えーと」

 急に話しかけたのは悪かったかもしれないが、そんなに怯えるほどだろうか。

 こちらの緊張感が急激に引いていく。

「急にごめんなさい。ちょっと、道の確認がしたくて……地元の方ですか?」

「は、はい……」

「すみません。ありがとうございます。県外から来たんですけど、ちょっとこの辺電波が弱くて携帯の電池も心もとなくて……。えーと、熊渡谷の方……熊出村に行きたいんですけど、そこの橋を渡るので合ってますか?」

「え?! うちの村に来るんですか? な、なんで……」

 村の名前が出た瞬間、直前までの様子から打って変わって鋭い反応を示した少女だったが、自身でそれに気付いたのか、最後の方は再び消え入りそうな調子となっていった。

――村人か。ちょっと顔見知りになれたことは好都合かもしれないな。

 とにかく、怖がらせないように優しく話しかける。

「テレビでゆるキャラのナッちゃんを見て、ちょっと調べたら綺麗な村だなーと思いまして」

「ナツ……な、ナッちゃんのファンの方ですか?」

「ファン……そうですね。あと村の方にも興味が湧きまして」

「えー……そうなんですかー……」

 心底驚いたのか、少女は少々失礼な反応を見せたが、流すことにした。「ほ、本当にそんな人いるんだ……」などという声も聞こえるが気にしない。

「そうそう、それで、ここで橋を渡るので間違いないんですよね?」

「あ、はい! あとはほとんど一本道ですけど……」

「わかりました。本当にありがとうございます。」

 急に話しかけて申し訳ない、と再度謝りを入れながら、少女に別れを告げた。

 駐車場から道に出ようというタイミングで再び少女の方に目を向けると、そのままの格好でまだそこに佇んでいる。

 あの極度の人見知りは地域性なのだろうか。そうだとしたら、先が思いやられることだった。

 

   *  *  *

 

「はー東京の方から! ご苦労なことで!」

「方面……ではありますけどね、東京は私の地元から見てもかなり都会ですよ」

「いやーーでも、この辺は見てのとおり、信じられないくらいクソ田舎でしょう?」

「の、長閑でいいと思いますけれど……」

 村の入口に個人商店を見つけたので飲み物やらを買いつつ話を聞こうかと思ったら、想像以上に話し好きなおばさんに捕まってしまっていた。

 さっきからこんな調子で自虐的に攻め立てられている。

 田舎に旅行あるあるではあるのだが、かなりのディスり方だ。

 それでいて、いくら話していても頻出の「都会の人じゃこんな所に住めない」という話にはならないな、などとぼんやり思っていると、「おばちゃーん」という声とともに、別の客が引き戸を開けて入店してきた。

「ん? あれ、どちらの方?」

「よしおちゃん! この子ね、東京から来たんだって!」

「へぇー! まさか、観光ですか?!」

「え、あ、はい。そうです。あと東京ではなく……」

「おおおお!! いやすごい! どうしてうちの村に?!」

 初対面の男性が入ってくるなりハイテンションで矢継ぎ早に問いかけてくるので、面食らってしまう。話し好きのおばちゃんの比ではない。

 先程会った少女はやはり、大人しい子だったのだな、などと思いながらも、彼の会話のペースに呑まれ、いつしか「村を案内しますよ!」などという話になっている。

「いいんじゃない? よしおちゃんよりこの村に詳しい人いないからねぇ」

「この村で一番、この村のことが大好きですから!」

 勝手に話がまとまっている。

 村に詳しいというならこちらとしても願ったり叶ったりではある。

 ただこうも強引に若い男性に――しかし人の良さそうなおばさんもこう言っているわけだから信頼できる人なのだろうか。でもそもそもこの人は何か用があってお店に来たんじゃないのか?

 いろいろと考えは巡ったが、具体的に口を吐いて出ることはなかった。

 適当な相槌しか打てないままに、背中を押されるようにして表に出る。

 去り際におばさんにお礼を言おうと振り向いたが、すぐ後ろにいたはずのその姿が消えていた。よく見れば、店の奥のカウンターにその姿はあったのだが、先程までにこにこしていたはずのその表情は固く、黒電話の受話器を片手にそそくさとダイヤルを回している。

 そんな電話まだ現役なのだなあ、とそのときは曖昧に流してしまったのだった。

 

   *  *  *

 

 連れて行かれたのは村役場の応接室であった。

 連れて行かれたとは言っても、私は単車だし彼は軽自動車だしということで気楽に後を付いていっただけではあった。

 ちなみに、入口には急ごしらえのような「北島郡吉幾町 熊出出張所」との立て看板が掲出されていたが、途中の案内板や建物内の様々な表現において当然のように「村役場」や「熊出村」が使われている。

『本物』の気配に少しだけ背筋が凍った。

「すみませんねーせっかく来ていただいたのに、観光案内所みたいなものはなくて」

「いえ全然……でも、役場の職員さんだったんですね。業務中にすみません」

「いいんですよ! これもわくわく観光課職員としての業務にほかなりませんからね!」

 任せてくれ、と言わんばかりの自信たっぷりな様子だ。

 しかし、こんな待遇を受けるとは、やはり観光客は相当珍しいのだろうか。

「ああ、すみません! 申し遅れましたが、私、熊出村わくわく観光課の雨宿良夫と申します!」

「えーと、私は山村と言います」

「おおお! いいお名前ですね!」

「いえいえそんな……でも、名は体を表すといいますか、長閑な山村が好きで――」

 それからしばらく、村談義で盛り上がった。

 私としてもあまりこの話題で話すことがなかったので、少々調子に乗ってしまったところがあったが、それ以上に雨宿さんは興奮しているようだった。

「じゃあ、村が好きでここに? いや……村なんてその辺にいくらでもありますよね……あれ、どこからいらしたって話でしたっけ?」

 先程はぼかしていたが、ここで具体的な地名を伝えてみる。

 雨宿りさんはやはりというべきか、強烈に食いついてきた。

「えっ! クマって熊ですよね?! 熊が付く地名なんですか!! それで山村さん?! これは無関係なはずないですよ!」

「あはは、私もそう思います」

 とっておきの隠し玉的な気持ちでいたが、あまりに食いつくので可笑しくなってしまった。

 熊出村のことを調べているときに、近くを走る鉄道の最寄駅である『熊渡谷(ゆうとだに)』の文字列を見て思いついた取り入り方だったが、さすがに効果抜群であった。

「へー……そうなんですねー……いやあ、本当に奇遇だなあ……!」

 面白い偶然に、未だに浸っている様子の雨宿さんだったが、思い出したように両膝を叩くと、「なんでこの村にいらっしゃったかって話でしたね」と話題を戻した。

「はい。その関係での対応は多いと思いますけど、私もゆるキャラの『ナッちゃん』を見まして」

「ああ! いやーさすがに1位を取ると違いますねぇ!」

「おめでとうございました」

 一応、お祝いの言葉を述べておく。雨宿さんは「ありがとうございます!」と快活に答え、それから「しかし、ついにナツ目当てで来てくれる人が……」と呟いた。

「『ナツ』、というのはナッちゃんの本名なんですか?」

「え? ――ああ、そうなんです。『クマ井のナッちゃん』。クマ井が名字でナツが名前――って、設定なんですよね」

 そう答える雨宿さんに、少し今までとは違う慎重な態度を感じた。

 さらに彼は小声で「まあ裏設定なんですけど」と歯切れ悪く話しつつ、後頭部を弄った。

――裏表のない、わかりやすい人だなぁ。

 熊出村が閉鎖的な山村であることは間違いないが、殊、彼に関しては私にとってかなり都合のよい存在であるようだ。

 私が微笑むと、それに気付いた彼も悪戯がバレた子供のように笑みを浮かべた。

 

 

つづく

くまみこのはなし4

4.

 

 単なるクマとして生活をしていた頃は、それこそ自分の興味のあることばかりに時間を割いてきた。一番の関心事はまちに係わること全般であることは揺るがなかったが。

 好き勝手やらせてもらっている中で、少しでも意味のあるクマ生(じんせい)にしていこうという気持ちが芽生えることは必然と言えた。

 意味のあるクマ生(じんせい)とするには、この時代を生きるこの立場のボクとして、まちの存在を第一義に据えつつ、どのようにしていったらよいのか。

 そのためのちょっとした自己流の哲学、簡単に言えば自分ルールもしくは生きる上での目標を定めることにした。

 

  • まちが幸せになること
  • まちが幸せになるために、村の存続を図ること
  • 村の存続を図ることに際し、この代で可能な限りしがらみを取り除くこと
  • これらを完遂するため、可能な限り自分を保つこと

 

 ひとつめは当然のことだ。

 ふたつめは、これは本人の意志が絡むところであるが、実際問題、彼女が熊出村以外の一般社会で生活をしていくことは困難だろうと思う。それは彼女をそのようにしてしまった村が全体で護るべきだ。

 3つめは、日本社会の成熟と巫女の代替わりのタイミングからして、今しか穏便には為し得ないことだと思う。

 高度に情報化され、あらゆる秘匿が困難な社会。しかし一方では、インターネットの力をもってすれば地理的な不便さを多少埋めることもできる。安定した経済基盤が形成されれば、村を出ていく必要がなくなるのではないか。

 代替わりのタイミングとはすなわち、まちの祖母である先代巫女のフチ、そこからまちまでの間が一世代抜けている現状のことだ。心根の良くない言い方をすれば、フチさえ不在となれば新しい風を吹かせやすくなるということを意味する。もちろん、暴力的に訴えようなどという考えはない。あくまで時が来れば「自然とそうなる」ということだ。

 4つめは一応。フチが亡くなりでもすれば名実ともに村の巫女として唯一の存在となるまち。彼女を近いところで庇護してくれる存在としては、ボクが消えてもよしおがいるわけだけど、彼はまちの幸せを必ずしも優先してくれない、かもしれない。まちより村という彼の考えは、一方でボクの狭くなりがちな視野を補助してくれるのでありがたくはあるのだけれど。

 誰かに指摘されるまでもなく、ボク自身、まちほどには長く生きられないことはわかっている。それまでにはまちをどうにか立派な巫女として成長させたい。もし、彼女が一度村外の高校・大学に通いたいというのであれば、その後しっかりと村に戻ってくることを見届けるまでは、頑張って生きてみようと思う。

 そんなわけでこの現代社会に適応するためにインターネットの知識をはじめとした新しい技術や流行を把握していくことに努めている。それはクマとしてだけでなく、村のマスコットキャラクターとして少し社会に出るようになった今、より実体験を伴った理解ができるようになった。

 理解が深まったことで確信に変わったことがある。

 熊出村は、そのまま時代に取り残されて行ってしまえば、確実に近い将来破綻してしまう。

 よしおの進めたい地域振興は村の存続という目標に合致する。応援しなければならない。

 マスコットキャラクターとしてゆるキャラの大会にも出場するし、地方テレビに出演もする。SNSでアカウントも作るし、動画サイトに自作の動画を投稿したりもする。

ボクがそういった露出をしていくことを良く思わない村人もいるだろうとは思う。

 それでも、ボクの活動に対してクマ井の中枢機関として君臨する「婦人会」だって承認しているし、フチも認めていることだから表立った文句は出てこない。

 新しい風を吹かせていかなければ。

 ああしかし「婦人会」、「クマ井」の代表。長としてのボク――

「クマ井もな……」

「お悩み中か? まちがいるところではあんまそういう話するなよー?」

 つい口をついて出てしまった考え事を、タイミング悪く現れたよしおに拾われてしまった。「ノックぐらいしてよ」と抗議の声を上げたが「もちろんしたさ」なんて簡単に返されてしまう。

 時計を見ると正午を過ぎてしまっている。

 最近生活ががらりと変わって目まぐるしくなったこともあり、自室に籠ってゆっくりと考え事をと思ってはいたのだが、ちょっとゆっくりしすぎたようだ。

「まあ、よしおならいいけどさ……」

「オレとナツの仲だもんな――っと」

 手に持った紙袋を「よいしょ」と置くと、よしおは近くに腰下ろして柔らかい苦笑を向けた。

「ああこれ、また貢物ね。しかも今日は村外から! 『ナッちゃんへ』っていって届いたんだ」

「わ! そんなことあるんだね! 反応がこんな風に目に見えるとうれしいな……どれどれ……」

「伝票に精密機器って書いてあったから食べ物じゃないと思うぞ」

「そんなにボクは食いしん坊じゃないよ! ……あれ、これって」

 受け取った袋を開けると、中に入っていたものはあまり見憶えのない機器だった。しかし箱の背面を見て合点がいく。

「もしかしてモーションキャプチャとかに使うやつか? 流行ってるもんなー。配信、観てくれてるんだな」

「そうみたいだね……でもこれ、表情とかボクでも検知される、わけないんだよね」

「着ぐるみ脱げばいけるって思われてるんじゃないの?」

 そう言ってよしおは意地の悪い笑みを作った。

「まったくよしおはまたそういうことを……」

 そうは言っても本気で咎めるような気持ちはなかった。よしおもそれをわかっているようで、少々腹立たしい。

「わるいわるい。……それはそうと、クマ井のことでまた何かあったのか?」

 軽口を叩いていたよしおは一転して神妙な面持ちとなってボクに尋ねた。「何かがあったわけじゃないよ」と答え、腰かけていた回転椅子ごとよしおの方に向き直る。

「ただね、ちょっと将来のことを考えてた」

「……クマ井の行く末か?」

「そうだね……それも含めて、いろいろと。クマ井とこの村は一蓮托生だからね」

「そっか」

 やや下を、ちょうどボクの膝辺りの中空を見やりながらよしおは相槌を打った。何かを目まぐるしく考えているときの彼の癖だ。そしてその数瞬あとには小さく幾度か頷きながら、物事の整理がついてしまう。

「オレも協力できることは、なんでも協力するよ。まちには……延いては、村のためにナツはなくてはならない存在だから」

「……そうだね。わかってるさ」

 少し含みのある返答をしたところで、「あ」と彼は慌てた様子でボクに目を合わせると、「もちろん、ナツのこと単体でも大切に思ってるぞ」と付け加えた。

「はは、ありがとうよしお……そんなよしおがいれば、まちも安泰だよ」

「――お前の幸せも重要なんだ。まちだってそう思ってるよ。みんなが幸せな方が良いに決まってる」

「……そうだね」

「特にナツのことは、ずっと一緒に過ごしてきたんだから、ほかの誰よりもそう思ってるはずだ」

 そう、だろうか。そうであっても、いずれ別れの時がきてしまう。そしてボクの方が彼女よりも確実に早くいなくなる。

「ずっと過ごし続けることは無理だなあ」

「だからって心中みたいなことはやめてくれよ?」

 物騒なことを言う。それから続けて「まあそうなったらこの村はおしまいだな」なんて冗談めかして言ったが、ボクは思う。

――そうしたらよしおだって後を追うくせに。

 

   *  *  *

 

「はあ……」

 しばらく感傷的な空気となったが、我慢できなくなったボクは思わず溜息を吐いてしまった。

 よしおは申し訳なさそうな表情を浮かべた。彼が何かを言いだす前に再び話しはじめる。

「愚痴を聞いてもらっちゃって、ありがとう」

「いやこっちこそ……オレ聴き上手じゃないからさ、上手い返しができないけどな」

 そんなことはない。腹を割って話すことができる唯一といっていい存在であるよしお。相談をして、何か共感をしてもらいたい、解決をしてほしいわけではない。ただただ、胸の内を吐き出すことができる、それだけでもありがたいことであった。

「でもいつもはさ、まち相手にちょっとでもこんな雰囲気になったら、とにかく過剰にスキンシップしてぱーっと発散しちゃうのにね!」

「お? いいぞオレにも! どーんと来い!」

「いやいや……よしおにどーんといったらケガするでしょ」

 勢いよく立ち上がり両腕を広げるよしおに、ボクは冷静にツッコミを入れた。

 よしおは心底残念そうにしながらしばらくその体勢をとっていたが、無視を続ける。

「……わかったわかった。あきらめるよ!」

「わかってもらえてよかった」

「ほのかのときに懲りてるからなぁ……そりゃ、ナツとほのかを比べるのは失礼だと思うけどさ」

 よしおは以前、寝起きのほのか――クマ井の雌クマでボクとは幼馴染――にケガを負わされて、何針も縫ったことがあった。故意に負わせた傷害ではなくとも、悪くすればそういう事態を招きかねないということだ。

「でもその点まちはすごいよなー」

「まあ鍛え方が違うからね。冬前には毎日のように薪割りしたりするし」

「しかもかなり小さい頃からな」

 そう。ボクの憶えている限り――5歳くらいだろうか――以前からずっと薪を割っていた。

 フチに命じられて、とのことであったが、あれのおかげで今は年中べったりすごせている。そのための鍛錬の一環であったのだろうか。というのも、クマのボクが幼女のまちと親密にしていたら、普通であれば簡単にケガをさせてしまうわけで。

 まちは自主的に木にぶら下げ丸太を揺らし、下に立ってそれをいなし続けるといった訓練もしていたと聞いた。ボクもボクで常に適切な力量を揮い続ける訓練をした。

 今の幸せな毎日は少なくない努力で成り立っている。これからだってあと少し、努力を続けていかなければならない。

 ボクより長い、まちの未来のために。

 

 

つづく

くまみこのはなし3

3.

 

『以上、ナッちゃんの熊出村TVでした~! チャンネル登録、おねがいします!』

 画面のリアル熊はおよそ熊とは思えないコミカルな動きでチャンネル登録を促し、動画の再生は終わった。自室のパソコンでそれを観ていた私は少し姿勢を正すと、軽く伸びをして冷めかけたコーヒーに口を付けた。

 季節は秋口、今年は異常気象ともいうべき極端な天候も多く、まだまだ夏のような気温が続いている。

 幸い私の暮らすまちは暑いだけで、住まいも平地にあるので豪雨災害に見舞われるようなことはなかったが、ニュース番組などでは全国の悲惨な状況も多く目にした気がする。

 近年の気象現象には「ちょっと上ブレが過ぎませんか?」と御進言差し上げたいほどだ。

 そんな中でも季節は巡っていく。待ってはくれない。来週末には連休が控えていた。

 私の趣味は田舎に出かけて土着の面白い慣習に触れるといったような、ちょっと一般的に説明のしがたいものである。

 普段他人に話すときには「旅行が趣味でーす」なんて言ったりしている。

 まあ嘘は言っていない。地域の特産物を食べたり温泉宿に泊まったりなど、同時に普通の旅行としても楽しんでいる。別に学生時代と違って、研究に行くというわけではないからだ。

 そもそもその研究とやらも半ば旅行のような感じだったわけだけれど。

 そう。この趣味は学生時代の研究活動の延長――名残、残滓、熾き火のようなものだった。

 大学院を出るのに際し、研究を続けるような熱量はなかったが、完全に離れることもまた、できなかった。

 そんなモラトリアム的な趣味だけれど、じっくり調べて現地にも赴き、成果を自分なりに認めるという一連の行為にはそれなりに時間もかかるし、全国に限らなくても対象は無数にある。

 幸い、というべきか、結局地方公務員などに身をやつしているので好きに使える時間はある程度多い。休日もはっきりしている。そんな生活スタイルにもばっちりと噛み合った、至るべくして至ったような趣味ではあった。

「『熊出村』、ね――」

 さて、そして私が今度の連休で訪れようとしている所は東北の山村――日本海側に足を踏み入れるのは初めてだった。

 早いもので社会に出てから5年が過ぎている。手近な所から、と。これまでは住んでいる関東圏ばかりを攻めていたのだが、ふと目に留まった情報を調べていくと、気になるその村の所在は多少遠方にあった。日帰りで行くのは厳しいが、3連休であれば行けない距離ではない。

 「ゆるキャラ」というものが少し前から流行っている。だいぶ成熟してきて最近ではお金の匂いがきつくなってきたが、それでも地域振興の名目で地元のマスコットキャラを出場させている自治体は多い。私は訪問先の検討によくそれを利用していた。地元の名産とか有名な習俗から着想を得たキャラクターが出場することも多いためだ。

 私が気になった『クマ井のナッちゃん』もその類のキャラクターらしい。

 ゆるキャラという名称を逆手に取ったようなリアルな造形の熊を模した――いや、ただの熊をキャラクターと言い張っているという印象だ。いつもは近場で検索をかける私の目にも留まったのは、そのキャラクターがグランプリを取ったからであった。

「あまりにも、私好みなんだよね……こわいくらいに」

 その村を調べてもあまり情報が出てこない。それもそのはずで、そもそもそんな村は存在しないのだ――少なくとも「今」は。

 その名前の村は十数年前の大合併時期に周辺の町に併合されており、今は「北島郡吉幾町の熊出地区」である。それなのにエントリー情報を見ると「熊出村」という表記が採用されている――これは大変面白い。

 その「村」という単位を、意地でも捨てたくないのか。登録者を見れば普通に「熊出村役場わくわく観光課」とあるのも異様さに拍車をかけている。行政がその、正式にはもう存在しない名称を用いているということか。担当者の独断がまかり通るような事態になっているのであれ、きちんと管理者の決裁を受けているのであれ、それを良しとしているとは舌を巻く。

 田舎の土着の風習――その中でも、私が最も惹かれるものは、「閉鎖的な山村に未だ残る因習」である。

 調べがつく数少ない情報である『クマ井のナッちゃん』をちょっと見てみたところでわかってしまう隠しきれぬ閉鎖性。初めての逸材といった感じだった。

 

 

つづく