たしかに正しいけど、その通りだけど。

ブログじゃないという体でまとまった文章を置いておきたい場所

無気力に細切れに20

 ついに終わりますよ。

 投げっぱなしにすることで混乱を招くよ。

 美しい結末は各人の心の中に思い描いてくれよな! 

 

 


 

 

 放課後、部室にはいつものメンバーが顔を出していたが、決して明るいとは言えない雰囲気に包まれていた。

 特に話が弾むでもなく、何か行動を起こすでもなく、ただそこに居続けている状態だった。口を開けば何かが耐えきれずに噴出しそうな、それでいてひとりで帰宅して時間を持て余すことは避けたい。そんな心理状態だろうか。

 そんな雰囲気に割入るように、表から砂利を踏む音が聞こえてきた。いつも騒がしく過ごしていることの多いごらく部の面々は皆一様に入り口に注目した。「こんにちは」と控えめな声が障子越しに聞こえ、しばらく経ってから細く障子が引かれる。

「あの……おじゃまします」

 おずおずと綾乃が顔を出した。後ろには千歳もついてきている。さすがに普段のようには入ってこられなかったようだ。

「いらっしゃい……」

 結衣が無表情で言葉少なではあったが、自ら移動してふたりの席を空けてくれた。

 席に着いた綾乃はメンバーの様子をさりげなく観察した。ちなつは俯き加減で顔色が悪く、京子からもいつもの生気が感じられない。結衣はいつにも増して硬い雰囲気だった。

 隣では千歳が落ち着きなく辺りを見回していたが、少しして目的物を見つけたのか、一同に対して切り出した。

「あのな……そこに置いてある、箱。これって古谷さんが持ってきたもんやんな?」

 登場早々に彼女の名を出した千歳にみんなが注目した。趣旨のわかっていた綾乃は隣の千歳を柔らかく見つめる。

 質問を投げかけられた彼女らは答えあぐねていたが、千歳はその沈黙を肯定と受け取り、話を進めた。

「そしたらこれ、形見みたいなもんやん? ……これをみんなで開けたら、古谷さんも喜んでくれるんちゃうかな、思て」

 結衣と京子は顔を見合わせた。さっき少しだけ顔を上げたちなつはまた俯いてしまって、鼻を鳴らして泣き始めた。

 やがて結衣が静かに言った。

「そう……だね。古谷さんも箱、開けたかった……だろうな」

 みんな向日葵の話題に触れることはつらいことだったが、ただ悲しんでいるのも不健全だという意識はあった。向日葵のために何かしてあげられることがあるならしたいという気持ちもあった。それが、弔いになるかもしれないのならそうしたい。そんな雰囲気が広がり始めた。

 千歳は一度辺りを見回すと、唇を固く結び、すっと立ち上がると、床の間に置いてあった箱を皆が囲う卓の上に持ってきた。

「…………」

 中央に置かれた箱をしばらく全員が見つめる。特に千歳の表情には何か鬼気迫るものがあった。

 千歳はもちろん、この箱がなんであるかを特定する手がかりがないか必死に探していた。

じっと目を凝らして箱を見つめる。

 寄木細工、何かの貼りついた跡、下方についた黒い染み、幾度かずらされたパーツの隙間、虚ろな隙間――

「……千歳、こんなときに何考えてるんだよー……」

 京子が呆れたように指摘する。綾乃が千歳の方へ顔を向けると箱に両手を添えた千歳が俯き加減でそれを睨みつけながら、鼻血を流していた。一瞬またいつもの発作かと京子のように呆れた気持ちになった綾乃だったが、どうも様子がおかしい。鼻からの出血が徐々に量を増している。今まででこんなに出血したことがあっただろうか。眼鏡を外した時は確か、しかし今は普通に眼鏡をかけている。

――あれ、どうして? どうしたの、血が、あれ?

 見る間にテーブルの上に血溜まりができた。さすがに異常だと感じたのか京子と結衣が目を見開いている。

「千歳? 千歳?!」

 綾乃は千歳の肩をがくがくと揺さぶったが反応はなく、体が硬直し、しばらくだらだらと鼻血を流し続ける。

「いやぁ! 千歳っ!」

 パニックに陥った綾乃が一際大きく叫んだ次の瞬間だった。

「う、ぐぁぁああああああ」

 千歳が呻き声を上げ、畳に倒れ込んだ。そのまま腹部を抑えてのた打ち回る。鼻からはなおも出血が止まらず今や吹き出すかのような勢いとなっているせいで、壊れたスプリンクラーのような有様だ。

 予想だにしなかった劇的な事態に呆気に取られる面々。

 先程まで千歳に縋っていた綾乃でさえしばらく固まってしまっていた。しかし思い出したかのように千歳をかき抱く。

「ダメッ! 死んじゃダメ千歳! 千歳!!」

 救急車を呼ぶとかそういう次元ではない出血量だった。思考を圧倒する赤黒い色彩。むせ返るような鉄臭さ。呆然と見守るだけだった京子はやがて蹲ってすすり泣き始めた。

 結衣は未だ固まっていた。何も考えられなかった。何が起きているのか、これは現実なのか、なぜいつものように血が止まらないのか。結衣には何も判断ができなかった。

 綾乃は本能的に理解した。千歳はもう助からない。そして喚くのはやめた。血に塗れてこわばった彼女の手を握った。一縷の望みをかけて心の中で彼女の名前を呼び続けた。しかしその願いも空しく、やがて彼女の体は細かく痙攣し、最期に口からもどす黒い血を吐き出して、静寂が訪れた。

 綾乃はたった今自分の隣で何が起こったのかを理解したくなかった。その反面、弱った心には入りきらない感情の奔流が冷水となって浴びせられたかのように彼女の頭は澄みきっていた。

 綾乃の脳裏を走馬灯のように様々な場面がよぎる。

 みんなで楽しく放課後を過ごした最近の部室。根気強く試行錯誤するあかり。様子がおかしい今日の千歳。箱をしきりに気にする千歳。箱を凝視する千歳。箱。

「……お前か。お前がぁ!!」

 千歳らを死に追いやった原因を直感的に見抜いた綾乃は、怒りに支配され、それを箱へと向けた。獣のような雄叫びをあげながら親友の仇を掲げ、怒りのままに壁へと叩きつける。

 箱は鈍い音を立てて割れ、下に落ちた。

 壊れた箇所から黒い塊のようなものがぼろりと零れ落ちる。

 綾乃はそれをしかと目に焼き付けるかのように睨みつけた。

「おい、綾乃……?」

 急に立ち上がり叫んだかと思うと大事な形見であるはずの箱を壁に叩きつけて壊したきり、動きを止めてしまった綾乃に京子が恐る恐る話しかけた。しかし返事の代わりに聞こえてきたのはくぐもった水音をまとった呻き声だった。

「ご……お、ご……」

 そして綾乃はそのまま崩れ落ちた。見開かれた目、固く噛みしめられた口許、形の良い鼻、耳、苦悶の表情を浮かべる顔全体からおびただしい量の血が溢れ出す。体中の穴という穴から血は噴き出し、あまりの量にそれはすぐに収まった。

 あっという間に血の湖ができていた。千歳と綾乃が折り重なってそこで溺れているかのようだった。

 千歳に続いて綾乃が事切れ、その一部始終をただ見ていることしかできなかった京子の心は、危ういところで踏みとどまっていた。ふと隣を見ればちなつが俯き震えている。無理もないことだろう。いつも冷静な結衣ならともかく、ちなつは怖がりなのだ。普段お気楽に振る舞う京子だっておそらく周りに他人がいなければ半狂乱になってその場から逃げだしているに違いなかった。

「ちなつちゃん、大丈夫?」

 京子は縮こまるちなつの肩に手をかけ、彼女の顔を覗き込んだ。ちなつはこの世のものとは思えない苦悶の表情を浮かべていた。

 あ、と言う間もなく、ちなつの口からどす黒い血が吐かれ、京子の頬を濡らした。まるで限界まで張られてぎりぎり耐えていた一本の糸が、手に触れると同時に切れてしまったかのようだった。ちなつはそのままもんどりうって倒れ、千歳のように血を撒き散らしながら一頻り苦しんだ後、焦点の合わない瞳で京子の方を見つめた。

「京子……先輩……」

 京子はその虚ろな死の色を湛えた瞳を無色の表情で見つめ返した。ちなつが力なく震える手を伸ばす。京子はそれを同じく震える手でつかまえた。つかまえた瞬間、ちなつは満足げに瞼を伏せ、息を引き取った。

 京子は頬についた血からちなつの体温が失われていくのを感じた。しばらくして、今度こそ半狂乱に陥ってちなつに縋り付き、その名を叫び続けた。

 

 結衣は鮮烈な赤色を見た。

 先程まで話していた友人に今何が起こったのか、結衣の頭は理解を拒絶していた。

 理解を拒絶していたら新たにひとり、またひとりと友人が壊れていった。そうしたら、次は当然――

「……京子、逃げるぞ」

「だってぇ……ちなつちゃん、ちなつちゃんが……」

「いいから来い!」

 結衣の頭は依然ものを上手く考えることができなかったが、体は勝手に動いていた。結衣は子供のように駄々をこねる京子の手をつかむと、強引にちなつだった物から引き離し、最短距離で部室から脱出した。

 ちなつに縋っていたせいで京子の制服は血だらけだった。加えて、幼少期に戻ってしまったかのように弱々しく泣きじゃくっている。しかし、今の結衣にはそんなことを気にする余裕はない。

 結衣は自分の行動をどこか遠くから見つめているかのように感じていた。自分が何を考えようと、あのふたりの行動を変えることなどできないと思った。彼女の意識はふたりの逃避行の成り行きをただただ見守る観客となっていた。

 部室として利用している茶室はそもそも使われていないはずであることに加え、周りが多少木立に覆われていたのが好都合だと思った。まだ校内には部活中の生徒がかなりの数残っている。そんな状況において、ふたりは誰にも遭遇せずに学校から出ることに成功した。しかしこれから往来を行くのに、この状態の少女が人の目に触れたら即警察に通報されることは間違いない。冷静に考えられていれば大人を頼って保護してもらうのが最良であると思い至ったはずだったが、とにかくあの場から少しでも遠くへと、当てもなく歩き続けた。京子は京子でただ泣き続けているばかりだった。

 気がついたときにはふたりは結衣が独り暮らしをしている部屋の前に立っていた。結衣は自然にポケットに手を入れ、部屋の鍵を取り出し、鍵を開けて中へと入った。玄関の外には日常が戻り、非日常は速やかに隠蔽された。

 

 

 結衣と京子が去った後、入れ違いで茶室に近づく者がいた。

「ふう。ここがあの、歳納なんたら率いる集まりの……」

 息を切らしつつ現れたのは千鶴だった。

 放課後になり、千歳のことがどうしても心配になった千鶴は居ても立ってもいられずに姉を捜索し、話を聞きつけてようやくこの場所に来ていた。つい今しがた確認をした下駄箱には外履きがなかったので、ここに居なければもう帰ったということなのだろう。

 玄関に入ると三和土に千歳の靴を見つけた。

「良かった。他人と一緒にいたのか」

 もしかしたら、ひとりでまた何かを調べ続けているのではないかとも思っていたが、友人と一緒だというならまだ安心だろうと千鶴は胸を撫で下ろした。しかし、そんな気持ちも束の間、強烈な嫌な予感が脳裏を掠めた。

――なんだ、この匂いは。

 玄関にはこれまでの人生で嗅いだことのないような匂いが立ち込めていた。室内への障子が半分程開いていて、それはそこから漂ってくるようだった。ふと足元を見ると黒っぽい染みが点々と表へと続いていた。

 津波のように襲い来る本能的な恐怖に頭髪が逆立つようなちりちりとした感覚を感じながらも、千鶴は何かに突き動かされるように障子に手をかけ、開け放った。

「あ、あ」

 千鶴の喉からは声にならない音が漏れ、その場にゆっくりとへたり込んだ。

 ゆっくりと室内を見渡す。直感が最悪の状況を告げていた。もう急いでも仕方がないだろう、と。

 まず目に飛び込んできたのは全体に散らばる色だったが、千鶴の目は無意識に自身と同じ特徴的な髪の色を探していた。はてさて、その右奥にある濃い赤を含んだ色素に乏しい毛髪のようなものに覆われた塊は頭か何かではないのか。飛び散ったように広がる粘性の高そうな液体に共に浸かっているのは千鶴もよく知る存在ではないのか。そして卓を挟んで反対側に同じような有様で存在するあの豊かな量の明るい桃色の房は、おそらく……。

 圧倒的な色味に視覚が疲れてふと目を逸らしたところ、畳の上に冊子のようなものが開かれているのが目に入った。

 雨ざらしになったかのように紙が波打っている。開かれたそのページには何かが描かれているようだが、滲んでしまって判別不能になっていた。しかしその色使いはこの惨状を写し取ったかのようで、千鶴は言い知れぬ禍々しさを感じた。

 そこにいるのは姉なのだろうという確信があった。しかし千鶴はそれを上回る身の危険を感じた。今すぐにここから立ち去らねばならないと、笑う膝に苦労しながらなんとか立ち上がり、踵を返そうとしたときだった。

 左方の壁際にあったそれが視界に入った。

「あぁ……」

 千鶴の本能はそれがこの惨状の原因であるという判断を下していた。そして彼女はそれから視線を外すことができず、そのまま――

「おい! どうした?! そこにあるのか!」

 千鶴が部屋に転がるそれらと同じものに成り下がる運命を受け入れかけたとき、背後から怒号が発せられた。

「りせ! 悪いが頼む。急いでくれ!」

 茶室の入り口には西垣教諭が立っている。教諭の呼びかけでりせが小走りで千鶴に近づいた。いつもは表情らしい表情のないりせだが今の表情からは緊迫感が窺える。

 千鶴の傍らにしゃがみ込んだりせはまず、彼女の瞼を伏せ、視界を遮った。そしてどこからか剃刀のような刃物を取り出したかと思うと躊躇いなく自らの指先に滑らせる。一瞬間をおき、血が玉のように流れだしたのを確認すると即座に千鶴の口内深くへと指を突き入れた。それは普通なら吐き気を催すような勢いだったが、今の彼女はそれどころではないようで特に抵抗をすることもなく、力なく横たわるばかりで、時折わずかに痙攣をしている。

 りせは指をそのままに目を閉じ、音が外には漏れない独特の発声で呪いの詞を奏じた。辺りを不思議な静寂が包み込む。

 やがて奏上が済んだのか、りせは千鶴の口内から指を抜き、口と鼻を摘まんで滴った血液を呑み込ませた。その直後、千鶴の体は強ばり、飲まされた血液を吐き戻した。そしてそのまま静かに眠ってしまった。ここまできて、りせは細く長く息を吐いた。

 少し離れたところから見守っていた西垣教諭も終わりを確かめようと、りせに話しかけた。

「もう、大丈夫か?」

「……」

「そうか。それで、あれはそこにあるんだな?」

「……」

 いつものようにりせの声は音を伴わないが、教諭にはわかるようだった。ふたりの奇妙な会話は続く。

「じゃあ池田千鶴は私が見ておくから、りせはそちらを処理してくれ。終わり次第、消防と警察に連絡だな……いいか?」

「……」

 りせは消防と警察のくだりのところで少し眉をひそめたが、仕方がないとでも答えたのだろう。教諭は神妙に頷くと、千鶴を回復体位にしておいて、その口許をハンカチで拭ったりと身なりを整え始めた。りせは部屋の隅に落ちているそれに血塗れの手を被せ、しばらくまた目を閉じた後、白い薄絹のようなものでそれを覆い隠すと、自分の手と一緒に括った。

「……」

「お、終わったか……わかってる。近づかないよ今は」

 お疲れ様と西垣教諭は言葉だけでりせを労った。そう言われてからりせはようやく少しだけ笑みを見せた。

 そして教諭が携帯電話で連絡を始め、りせは手に白い布を巻き付けたまま、茶室を後にした――


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