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劇場版planetarianの感想を書こうと思った

 書こうと思ったのですが、特に書くこともない感じで大変申し訳ありません。

 planetarianという作品が自分の中で神格化されすぎていて、それについて何かを考えるという域をとうに越えているというのが直接の原因と思われます。でもまあ一応、何か書いておきましょう。ネタはバラさないようにしないのでそこは御容赦くださいませ。

 

 昔は鍵っ子として云々していた私は、当時普通にキネティックノベルとして発表されたplanetarianをプレイしまして、ビッグバン並の衝撃を受けたのでした。特に私を虜にしたのがロボットと人間との関係性に横たわる時間という概念でした。

 作中で言えば、ロボットであるほしのゆめみの「いつまでも待つことができます」という台詞にその感慨が集約されていると言っていいでしょう。実際問題としては電気がなければ停止するし、部品の耐用年数もあるしで、決していつまでもではないわけなのですが、それでもそれらが保たれればいつまでも、ヒトの設定した命令のとおり忠実にそれを実行するわけです。ヒトの形をしているものが。

 私はヒトの形をしているので感情移入してしまうのですが、それがそんな行動していることをふぁーっと理解したときに芽生える感慨はそれは、いじらしさにほかなりませんでした。それがロボットの可愛らしさの一側面です。そりゃスタッフの人も泣きますわな。それが予期できるんですから。しかもこの物語の設定によれば、電力供給の制限があって稼働時間数が節約されることで、実時間が程良く引き伸ばされているのです。ずっと動きっぱなしだったらもっと早く壊れていたでしょう。そのヒトが待つには余りに長いと思うだけの時間が経過し、言わば徐々にただただ壊れていく過程があって、そこに奇跡的に訪れた報われがさあ……(表現を失う)

 そしてですよ、本編を読んだ後、特典で付いていた小説版のサイドストーリー4編を読んでみたらそれがまーた素晴らしかった。世界観が一気にぐわっと拡がったのです。全体的にとてもよく出来ているなあという感想しか出てこないので細かいことが言えないのですが、まあSFでガツンと殴られた感じでした。ほとんどSFに触れたことがなかった私だったのですが、そのジャンルに興味を持ったのは、思えばこのときからだったかもしれません。

 

 ……鍵っ子ごっこは終わりにしておきますぅー。そもそも劇場版の感想じゃないやん、って。

 というわけで劇場版の感想というか、お話に入らなきゃ(使命感)

 

 劇場版はそんな、小説のひとつの編と本編の話を絡めたような作りをしています。

 小説には全部で4編、サイドストーリー……というか、お話の続きが収録されているのですが、時系列で言うとその3つ目である『星の人』が主軸でした。これは本編の屑屋がその後どうなるのかというお話ですので、劇場版は屑屋に焦点を絞って作られたものと言える感じでしょうか。

 小説版の1編目は現役時代のゆめみちゃんのお話である『雪圏球(スノーグローブ)』、2編目は苛酷な大戦最中のお話で3編目を支えるお話でもある『エルサレム』、3編目が劇場版となった屑屋のその後を描いたお話である『星の人』、4編目がその遥か未来のお話である『チルシスとアマント』となっていて、本編と合わせて5つのお話で『planetarian』という物語が完成するものだという認識が非常に強いものですから、声を小さくして申し上げますと、本劇場版には物足りない・未完結という印象がどうしても付き纏ってしまうのでした。

 

 それはそれとして、神格化された映像化してなかった作品がアニメーションになって動くって、それはそれだけでありがたいことです。ただただありがたいことです……ありがとうありがとう(言葉がない)


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