くまみこのはなし16
16.
「起きなさい」
その声に、私は意識を取り戻す。
目を開けるとそばに吊るされた裸電球の橙色の光が視界を焼く。
手を翳しながら目を細めると、私に話しかけていたのは見知らぬ老婆だった。
また寝てしまっていたらしい。今が何日の何時なのかわからない。
おなかが空いた。喉が渇いた。
とりあえず体を起こすと、自らの置かれていた場所がどうなっていたかが知れた。
岩を人工的に掘られた洞窟。上を這う電線。最低限の光源。行き止まりに設けられた鉄格子。
普段は何も置いていないのだろうか。私を置いておくために運び込まれた布団がひどく浮いて見える。
「騒がないか。たいしたもんだ」
老婆の言葉には黙する。口ぶりからすれば彼女がフチか。
この後何か碌でもないことになることは明白だと思ったが、避けられそうにない。
避けられない以上、様子を見守るよりほかないと思っていた。
「水を」
フチがそう言うと、背後から熊の毛皮を着込んだ男がお椀と水甕を持ち込み、柄杓で甕の中の水をお椀に注いで差し出した。
何が入っているかわかったものではないが、ここで断ることもできず、私はそれを受け取ると一気に飲み干した。それを見たフチは頷くと、男が私の手からお椀を奪い、もう1杯水を寄こす。
2杯目は何度かに分けて飲み干す。3杯目をまたつがれる前に、私はもういらない旨を示した。
彼女は素直にそれを聞いて、男を制する。
このまま甕の水を全部飲まされるのではないかと恐ろしく思っていた私だったが、その予想は外れ、安堵した。
「じゃあ一度、そこに出ろ」
フチは格子の外を指さしてそう命じた。
私は掛け布団を手繰り寄せながら立ち上がろうとして、足を縄で縛られていることに気が付く。それを見ていた彼女は、腰から素早く小刀を抜くと、足の縄を切って、「それは仕舞うから置け」と、布団を指さしながら言った。
さすがに男の視線は気になったが、言われるがままにそれを置き、胸を腕で隠しながら立ち上がる。脇腹の痛みも相まって動作がぎこちないが、歯を食いしばって耐えた。
そうして幽閉されていた檻から抜け出すと、熊の毛皮を被った男は私の口を布で覆って頭の後ろで縛り、目隠しを施した。
再び暗闇に包まれる。
「座ってちょっと待て」
そう言われ、私はその場に腰を下ろした。
素直に従っているが、逃げるようなチャンスがない。体さえ負傷していなければなんとかなったかもしれないが、それは仕方がないことだ。
何をされるかわからないという恐怖はあったが、その感覚は鈍麻していた。
巫女装束と思しきフチの格好、そして熊男の毛皮に付けられた装飾。
自らの危機にそんなことを思っているなんて、とは考えたものの、そんな現実離れした今がまぎれもない現実であるということに、私は徐々に絶望感を強めていった。
* * *
少しして、複数人がこの洞窟に足を踏み入れてくる足音がしはじめた。
ようやく気が付いたが、どうも外は雨が降っているらしい。獣と土の濡れた臭いを強く感じる。
何者らかの足音は段々と近付いてくる。身を固くして縮こまっていると、何人かはそのまま私の目の前を通り過ぎて行く。それからすぐに目隠しだけを解かれた。
「……」
案の定、というべきか。
新たにやって来たのはナツさんと巫女姿のまちさん。それから良夫さんもいたが、彼は目隠しをされたまま鉄格子の向こうに入れられたところだ。
あとは儀式の補助のためか熊男が3人、全部で4人になっていた。
周りの様子も変わっている。新たに様々な祭具が運び込まれ、右奥に鉄格子に掛かるようにして独特な祭壇が設置されていく。
祭具には輪の付いた鎖、装飾の独特な弓矢、何かの薬壺らしきもの、斧か鉾のような刃物、畳まれた白い布、固定具のようなもの、漏斗、何かの器。そしてその用途を考えたくもない美しい布で飾られた寝具らしき一式と、どう見ても男性器の形状をした張り型など。
こんな状況でなければ興味深そうなものばかりであるが、今は悪いことに完全に当事者となってしまっている。ああ、単に文字に起こされているものを読む立場であったなら――などと現実逃避をしてしまいたい。
おそるおそる各人の様子を確かめる。檻の中の良夫さんと準備を進める男たち以外は微動だにしていない。フチはもちろん、ナツさんと、まちさんでさえもまるで仮面のような無表情で中空に目をやり、黙って立っている。
良夫さんの状況はといえば、服を着ている以外は私と同じように戒められているようだ。
彼と目が合う。必死に何か訴えかけてくる。
私は異常な状況に羞恥心はなくなりかけていたけれど、情けない感情から目を伏せた。
熊男たちがその作業を終えたらしく洞窟の端に並び、恭しく頭を下げた。
ついにそのときが訪れてしまう。
「じゃあ、姫をそこに」
姫、とは私のことか。その呼称がこの儀式での役割を如実に語る。
熊男ふたりはしゃがんでいた私を強引に立たせると、空間の中心に敷かれた布団のような祭具の前まで移動させ、白い襦袢を羽織らせて布団の中心に座らせた。そして固定具を一組み持ちだすと、両脚を踵が臀部に付くような、正座を崩した――いわゆるお姉さん座りやアヒル座り――の形で固定した。膝と膝の間に渡された弓なりの棒で脚を閉じることができない。
「始めるか。今回は前回と違い、姫が調達できたんで正式な形だ。カッパを追う必要もない――」
フチの呟きに被さるようにして柏手が打たれ、唄が歌われ、メインの儀式が始まった。
つづく
くまみこのはなし15
15.
朝起きると、まちは忽然と姿を消していた。
昨夜のことは最後の方をよく憶えていないが、体液とともに感情もすっかり排出されたらしい。
体調は万全とはいかないけれど、今のボクからすれば最上だ。精神的に解放されている。
さあ、準備を始めよう。今日はクマ生(じんせい)最後の一日だ。
* * *
昨日からの雨が降り続いている。
朝食は食べずに神社に赴くと、拝殿には珍しく正装のフチがいた。
「ナツ。御苦労だったな」
「はい。ありがとうございました」
先代巫女に頭を下げる。今日の祭儀はこれからフチの指示を受け、様々な儀礼が執り行われる。
まず禊ということで、本来は滝壺を使うのだが、この天気で水がかなり濁っている。そのため、形だけ一度全身を流し、改めて清水で体を洗い流すこととなった。とても寒い。
それから食事。豪華で最高の食事を振舞ってもてなす。ということになっているが、こちらは昨晩の御飯を最後の食事としたかったので辞退。趣旨としては誤りではないために認められた。
続いて神楽を奉納する。ここでついにまちと再会を果たした。その姿が目に入り、少し心が揺らぐ。しかし、まちは表情一つ動かさない。もちろん言葉をかけられることもない。
さすがフチ。よくできている。準備万端といった風だ。
この祭儀をはじめとした、いくつかの儀礼には幼い巫女では負担が重すぎるとして、巫女の心に鍵をかける暗示が施されることがある。この場合、指示どおり行動する人形のようになる。
ほかにも強制的に意識を失わせる暗示や、記憶を曖昧にする暗示、不都合な事実を無視する暗示など様々だが、ボクと違って体をぐちゃぐちゃにされているわけではないので、いずれ寛解していくだろう。
最後に普通の状態のまちと深く触れ合うことができてよかったと心から思う。心残りは、ない。
いつもの神楽とは少し違った複雑な舞。精緻にこなすまちの横で、ボクは山神様に強く願う。
――まちをこの村から救ってあげてください。
* * *
日中から暗かった空はさらに暗くなり、いよいよ雨脚は強まってきた。
「皆、急なことですまないね」
熊出神社の拝殿では、前に立ったフチが村人を前に口上を述べている。
隣には無言のまちが寄り添い立つ。ボクはそれを祭壇の内から見守る。
村人は皆、静かに先代巫女の言葉に耳を傾けた。ほとんどの村人が集まっている。
ある者は神妙な面持ちで床に目を落とし、またある者は心配そうな視線をまちに向けていた。
ボクは深く考えないようにして村人のみんなを眺めている。それぞれとの関わりを思い出さないようにしている。
「クマ井の長の代替わりは、いつも急なもんだ。堪えてほしい。次の長を育てる、その間は長の代理を別の者が務めてくださることとなった」
フチが側方に目を向け、まちが簾を持ち上げる。その向こう側から黒い姿のクマがぬっと頭を突き出す。ほのかであった。
ほのかは悠然と中央まで歩み出るとボクにちらりと視線を向ける。ボクは立ち上がるとその場を退き、代わりに彼女が祭壇に直立する。それからゆっくりと村人たちを睥睨した。
「――ムサシアブミ様だ」
「ナツの代わりを務めるのは荷が重いが、最低限の接点となれるよう努めてやろう。次の長が出てくるまでの辛抱だ」
ほのかの威圧的な言葉に、その場にいた者たちは凍りつく。
ボクがフランクすぎただけであって、本来クマ井と村人の関係とはこういうものであったのだ。
先代以前を知っている年寄りたちは恭しく頭を垂れた。若い衆も慌ててそれに続く。
その間に、フチとまちに促されたほのかがのしのしと退いていく。
「では皆、あとは大いに盛り上がってくれ」
フチの声を受け、ようやく村人たちは顔を上げた。
ぞろぞろと食事や酒が配膳されてくる。祭宴というより通夜振舞いか何かのような雰囲気であった。それを見ながらフチに伴ってまちとボクは退出する。そういえばひびきがいない。でもそのほうがいい。
拝殿を出たところではほのかが待っていたが、特に会話を交わすこともなく歩みを進める。
――さあ、祭儀のメインパートが始まる。
つづく
くまみこのはなし14
14.
「どう、ナツ? きもちい?」
「うん……ありがとうまち」
私が声をかけると、静かにナツが答えてくれる。
台所とナツの部屋を何度か往復するうちに、すっかり気持ち自体は落ちつていた。
普段なら浴室に叩き込んでブラシでごしごしとこするところだが、今日のナツはとても弱っている。こんなことは小熊の時以来だ。
「ナツ……こっちは? いたくない?」
「あったかくて……きもちいいよ」
「うん、うん。ナツ……イヤならすぐ言うのよ?」
お湯を浸したタオルを固く絞ってナツの全身を清拭する。
固く絞っているから何回も拭かなければならない。毛の間に入った泥を丹念に落としていく。
「ごめんねナツ。ここも――拭かなくちゃいけないから……」
「……いいよ。今日は特別」
「うん! でもつらかったり、イヤだったりしたら――」
「大丈夫。ちゃんと言うから」
何回も確認をするのもまた、ナツの負担になってしまう。さっさと終えてしまうのがいい。
私は横たわるナツの足元に回ると、タオルを新しいものに替えて湯に漬けて、少し甘く絞る。
「じゃあ……足、持つね」
横になっているナツはこちらの様子が見えない。だからナツを驚かせないように、行動は逐一報告をするべきだと思った。
言ったとおりに右足を持ち、足先の方から内腿までを毛並みに沿って拭いていく。普段の入浴では絶対に洗わせてもらえないところだ。こんなときなのに私は、その珍しい光景を目に焼き付けようと、毛並みの一本一本まで憶えるかのように観察していく。
「くすぐったくないですか、いたくないですか?」
「――きもちいいです」
ナツの返答に満足感を得つつ、右足の背面も拭き終えた。
「では簡単に乾かしていきます」
ここでさらに、乾いたタオルで同じ箇所を拭き上げる。こうすれば水分を含んだタオルで一度に汚れを落とせるし、乾かすこともできる。
「ブラシをかけます……強かったら言ってください」
最後にブラシで整えて、右足は終わった。
今度は「では逆もしますね」と伝えて、左足に取りかかる――
たっぷりと時間をかけ、両足の清拭が終わった。残るはその間だ。
「あのまち、やっぱりその――」
「じゃあ、ここもします」
「あっ」
ナツが言い終わる前に再び新しくしたタオルを足の間に被せてぎゅっと上から押し付けると、ナツの口からは聞いたことのないような声が漏れた。
――かわいい……。
「大事なとこなので、念入りにしないとダメです」
そう言ってそのままぐいぐいと圧力をかけていくと、ナツは続けざまに「あっ、うぁっ!」と騒ぐ。その声を聞きたくて、かわいらしい反応をもっと見たくて、次第にエスカレートしていく。
「じゃあ次は……きれいにしていきます」
「まち……ああっ!」
ナツがいつもと違う声で私を呼ぶことがなんだかうれしく、少しだけ遠慮をしていた最後の気持ちが瓦解する。
私は手をタオルで包むようにすると、マッサージをするようにしながらナツの内腿の付け根を拭いていく。
普段触ることのない場所で、自分の体とも構造がまったく違うこともあり、勝手がわからない。
私は両手を使い、左右の広い範囲を揉むように刺激する。
中心部は刺激をしないように気を付けた。
「いたくなぁい? へいき?」
やわやわとした刺激を加えつつ尋ねる。
「うん、うんっ」
ナツは息も荒く答えた。少し苦しそうにも見える。
普段触る箇所であれば大体どこが不快でどこがそうでないかといったことはわかる。
――でも、こんなところ……ああ、なんだか変な感じがするわ……。
ナツのそんな様子を見て、なんだか自分も鼓動が早くなっていることに気付く。
気付いてしまえばそれはどんどん激しさを増し、私も息が荒くなってきてしまう。
「はぁ……ナツ……ナツ……」
手付きは次第に遠慮がなくなり、動きが大きく大胆になっていく。
不意に、今まで避けていた中心部分に近い部分に手が触れてしまう。
「ああっ!!」
「ご、ごめんナツ! いたくしちゃった?」
「ち、ちがう……大丈夫……びっくりしただけ」
あまりに急な反応に私は手を止めてナツを気遣う。ナツはああ言ったが、私も調子に乗りすぎてしまった。
私は少し反省すると、随分冷えてしまっていたタオルを湯に浸し、再び穏やかな手付きでその部分を拭く。
「あったかい……あっ、まち……」
「ふふ、どうしたの? ナツ」
ナツの訴えかけるような声色に、私は手を止めずに尋ねた。
その呼びかけからは、懇願するかのような色を感じる。それが私の心の中の何か母性的な部分を刺激し、献身的な気持ちにさせた。
「その……もう少し、その……真ん中の方も……」
蚊の鳴くような小さな声だった。
――ナツも恥ずかしいんだわ……。
ナツの反応に、胸がぎゅっと締め付けられるような、甘美な感覚が広がる。
しかし、そこは意識的に避けていた部分。恥ずかしい部分だということはもちろんあったが、ナツは日頃からその場所についてあんな風に言って。だから傷があるはずで。だから。
「いいから、大丈夫だから……」
急かされるが、逆に手は止まってしまう。
「だってナツ、だって……!」
「だって何?」
焦れたナツが尋ねる。だって、だって――
「だってナツ……切っちゃったって、その……お、おち……んちんを、だから……」
「ああっまち! そんなこと言われたらっ……!」
「きゃっ! どうしたのナツ! あっ……あれ」
ナツは私の言葉に今まで以上に息を荒げ、腰を激しくくねらせた。それはその場所を私の手にぐりぐりと押し付けるような動きで、そしてその存在を主張するものが手に触れ、思わず確認してしまう。
「ナツ、これ……」
「ッ! ふ、んんっ!!」
それはびくり、と別の生き物のように跳ねる。掴む、ほどの大きさではないが、摘むには少々余る。その存在を確かめて再び口に出してしまった。
「これ、ナツのおちんちん?」
「ち、ちが――っ! うううううっ!!」
一際大きな声を出したナツに我に返った。
「ごめんなさいナツ! やっぱりいたい?」
慌てて謝り、握ってしまっていたモノから手を離す。
「大丈夫だよ、その……ちょっとくすぐったかっただけだから」
「でも……ナツ、これ……」
「違うんだまち……でも、気にしないで……」
「……わかった」
あまり訊きすぎるのもよくない。ナツも恥ずかしいのだろう。気にしないでと言っているのだからそのまま続きをしよう。
そう思うと、私はまたタオルを温かくしてからナツの足の付け根をやわやわと拭いていく。
先程よりは幾分か軟らかく小さくなっているが、確かに突起物があるような気がする。様子が変化しているということは、やはり切ったはずのそれということにほかならないのではないか。
しかし、恥ずかしがるナツ。かわいい声を上げるナツ。そんないつもと違うナツに、なんだかやっぱり変な気持ちが湧いてくる。なすがままに拭かれているナツ。
「はい。ナツ、終わったわ」
「……ありがとう。きもちよかったよ、まち」
熱に浮かされたように呟かれたその言葉のニュアンスは、勘違いでなければ私のおかしな感覚にぴたりとはまるものではないか。
いつも以上に愛しさを籠めてナツに抱き付く。抱きしめ返される力がいつもよりも少し強い気がした。
* * *
「ナツー。今日の夕食はおかゆと豚汁にするわね」
「!」
夕食時になった。
外はいつからか雨模様。しかし心はぽかぽかと暖かさに満ちていた。
いつかにナツが気落ちした私のために作ってくれた夕食を思い出す。
あのとき、ナツは包丁を持つことすらままならないのに、頑張って私のためを思って料理してくれたときのメニューがおかゆと豚汁だった。
「いただきます」
「いただきます……」
だから私も、ナツのためを思って作るのだ。
もちろんいつもそうだけど、今日はいつもの何倍も愛が込められている。
「お味はいかが? ナツ」
「うん、最高だよ~!!」
泣くほどのことだろうか。「もう、大げさねナツ」なんて言いつつ私の胸は満たされる。
――そういえば昨日、同じ台詞を言ったわね。あれは何が大げさだったのかしら。
昨日のことが遥か昔のことのように思えるほど、今日は朝からいろいろとあった。
今日はよく眠れそうね。何はともあれ仲良く夕飯も食べられているし。と、何か引っかかるものを感じながらも目の前の食事に意識を戻した。
* * *
風呂に入ってから未だに火照る体が冷めるのを感じている。
ナツにお休みを言って、床に就いてからしばらく時間が経っている。
今日はやはり気持ちが高ぶっているからだろうか。先程はよく眠れそうと思ったのだが、なかなか眠気は訪れてくれない。
しかし今日はすごい日だった。
朝からナツがいなくて不安で、それからナツが衰弱して帰ってきて、よしおくんに初めてあんな風に怒られて、弱ったナツのお世話をして……。
今日のことはこれからずっと忘れないだろう。幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた大好きなナツと何か特別な気持ちが通じ合った気がしたこの日を。
そんな気持ちを抱きながら、少しうとうとしだした時だった。
風雨の音にわずかに木の軋むような音が混じった気がした。気のせいだろうと思っていると、今度は何やら息遣いが聞こえる。今度ははっきりと聞き取れた。
――もしかして寂しくなっちゃったのかしら? きっとあんなことがあったから。
今、家には私とナツしかいない。おばあちゃんは外出している。すると当然そこには……。
それが近づいてくる気配を感じ、私は薄目を開けて確認する。
目の前にいたのは愛しいナツではなく、何か髪の長い――
息を呑む直前、耳元でそれが何かを呟いた気がした。
つづく
くまみこのはなし13
13.
痛い。寒い。冷たい。
ぼんやりとした意識の中で原始的な感覚が蠢く。
ほの白い光が上方に浮かんでいる。それはゆっくりとした動きで下まで動くと、徐々に範囲を拡大していく。
いつしか水の流れる音が違和感をもって聞こえはじめる。
そして白い光の中、焦燥感とともに曖昧な形に像が結ばれる。
細くて恐怖感を煽る黒い糸のようなものが高速に動いて何かに巻き付く。
その隙間からこちらを覗く異形の目が――
「ッ!!」
意識を取り戻した瞬間、呼吸に合わせて襲う胸の痛みに息が詰まる。
呼吸を整えて浅く浅くしながら辺りを確認しようとするが、何も見えない。
手は前に拘束され、横向きに寝た状態。足首も拘束されている。
さらに少し動くと土の臭いを感じる。地面に直接敷かれた布団に寝かされているらしい。
また、どうも裸か、それに近い格好になっているようだ。どおりで寒いわけだ。
上半身が全体的に痛い。少し体を捩るだけで激痛が走る。肋骨が折れているのかもしれない。
痛みを紛らすために、何故こんなことになっているのかに思いを馳せよう。
先程おぼろげに見ていた夢、のようなもので見た、あの髪から覗く視線が鮮明に思い出される。
あれはなんだった? 冷静に思い出せ。
あれはおそらく、ヒトだ。
いや、そうではない。そんなことはわかっている。
ナツは言葉を話していた。だからあれは少なくとも人間ではある。当たり前のことだ。
男性? 女性? ――わからない。中性的な体つきをしていた。
中性的というより、ちぐはぐな体つきだった。
一部は女性で一部は男性。たとえば半陰陽のような――「あっ……!」何気なく動かした腕が何かひやりとした物に触れ、思わず声が漏れてしまう。声は思ったより大きく、辺りに反響した。ある程度広い空間らしい。
出してしまった声に対して何もないことを確認してから、おそるおそる先程触れた物体を探ってみる――鉄の棒か何かだ。地面に直接、垂直に刺さっている。手をずらしていくと、それは何本も並んで刺さっているようだった――これではっきりした。
ここは当初から目指していた「おしおき穴」の中だろう。
こんな形で訪れてしまったことはなんと言うべきか、少なくとも喜ばしい状況ではないが。
ああしかし、一体今は何時なのだろう。あれからどれだけの時間が経ったのだろう。
わからないまま痛みに耐え続けることはつらく恐ろしい。その感情を塗りつぶすように、再び元のとおりの姿勢に戻り、布団を被って思考を巡らせた。
「こりゃ、神隠しってもんだよね」
まだそんなことを呟く余裕すらあった。
つづく
くまみこのはなし12
12.
弱ったナツの世話をまちに任せてふたりの元を離れたオレは、まっすぐ帰途に就いた。
自宅に着き玄関の戸を開けると、そこには両親が揃って待ち構えていた。
面食らうオレを無視しておやじが言う。
「よしお。話がある」
「……はい」
そのいつになく厳しい声に素直に従いながら、事態はどこまで知れているのかといったことに頭を巡らしていた。
居間まで歩く際、心配そうなおふくろと目が合う。それには慌てて目を伏せた。
オレにも責任の一端があると、そのことだけはよくわかっていた。
「率直に訊く……お前、あのよそ者に何を教えた?」
「村の秘密に関することは、何も喋ってない」
「何を教えたんだって訊いてんだ!」
「……」
おやじの質問に一旦答えたオレだったが、再度の問い質されると言葉が出てこない。
オレは彼女に何を教えたのだろうか。何も教えたつもりはない。
彼女は自力で何かに辿りつこうとして、そして偶然、辿り着いてはいけない別のものに辿り着いてしまっただけのことだ。
しかし実際のところは不明だ。詳しく彼女が何を考えていたのかまではわからない。それを尋ねることすら、彼女に何かを教えることになる可能性もあった。
「母さんの話じゃ、巫女さんは何も、具体的にゃ話さんかったということだ」
やはり聞いていたか。
うちで語らう以上、そのようなことがあるかもしれないと、彼女も想像していたのだろう。
しかしそもそも、オレと話していたときだって同じような調子だった。その会話の端々から得られた情報を組み合わせて考察していたに違いない。
「同じだよ。だからあれは、本当に偶然なんじゃないかと思う。話といえば、その名のとおり山も村も好きだと。そう言っていたから……山を歩くつもりで入ってしまっただけだと思う」
「山には入んなともっと強く――」
「言ったよ! 言うに決まってるだろ!!」
自分も思っていたことを責められ、感情が高ぶる。
それを見て、おやじも一度口を噤んだ。
「……悪い。自分でもどうして止められなかったのかと、それは本当に……悔しくて……」
事故だ。と言ってしまえば簡単だ。
しかし、もしオレがこの村に来た彼女に対してもっと不愉快な対応をとっていれば結果は違ったかもしれない。親身にならなかったら、ここに泊めると言わなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。だけど、それではこれまでのこの村の対応と一緒だ。それは変えていかなければならないと、ナツとも常々話をしていたのだ。
そのことは、両親にもいつも言い聞かせていたことだった。
だから余計に悔しいのだろう。
そんな息子の村を思っての行動が、今回裏目に出てしまったかも知れないことが。
「……わかった。俺からは先方にそう話す……」
「待ってくれ。オレが直接言いに行く」
「な、何言うのよしお! ダメよ!」
オレの発言に今まで黙っていたおふくろが立ち上がって声を上げた。
「オレが村を連れ回していたのは皆知ってる……だからオレが行かなきゃ、話がつかない」
具体的にどこから話が来たのか、それによって考えられることも増える。
オレに手を伸ばすおふくろを制し、おやじは言った。
「……下手な言い訳はすんなよ?」
「わかってる――」
眉根を寄せたおやじの、わずかに揺れたその瞳を、オレは忘れない。
* * *
緑深きクマ井の最深部。この場に留まっていてはいけない。ヒトの身でここに立ち入ることがどれだけのことかを思い知らされながら、村外の者が闖入した件について直接謝罪をした。ナツが動けない状況にあるからと前置きをしてのことだった。
その間、ずっと視線を下げていたため向こうのリアクションは不明だった。
「ヒトよ。顔を見せなさい」
高所からかけられた声。威圧感に圧倒されながら、伏せていた顔を上げた。
「娘巫女は達者にしているかしら?」
「ナツ様は娘巫女と仲良くされていて?」
「今日の夕餉は何かしらね」
3頭のクマから投げかけられる質問に再び顔を伏せてそれぞれ答える。
婦人会、クマ井の中枢――その3頭のクマは、いつものように、優雅にお茶会を楽しんでいる。
見上げる高さに設けられたテーブルの周りに3頭はそれぞれ腰かけている。その真下、オレがいるのと同じ高さの場所に、黒い傷だらけのクマがこちらを凝視していた。
ナツの幼馴染のほのかだった。
その足先を見るように顔を伏せていると、上から声がかかる。
「そう。じゃあもう去りなさい。ヒトの子よ。ナツ様にくれぐれもよろしくお伝えくださいね」
「……は、はい」
話が本題に入るかと思っていたので、拍子抜けをしたが、オレは黙してその場を下がった。
* * *
ほのかに先導されて歩く。途中で雨が降り出した。
先を往くクマの体毛が濡れて鈍い光を放つ。
それをぼんやりと見つめながら歩いていると、ほのかから声をかけてきた。
「人間……何か訊きたいことがあるんじゃないのか?」
正直に返してよいものか悩む。しかし、ここで訊かなければ可能性は途絶えてしまうだろう。
「ナツの……ナツが、膚を見られたというのは本当ですか?」
「事実だ」
「――――」
熱に浮かされたナツの幻覚にすぎないのではないかという一縷の望みが断たれた。
そうすれば、次の質問をしなければならない。
「では、彼女――山村さんは、今どこに?」
――生きていますか? とは訊けなかった。
しばらく間を置いて、ほのかは回答の代わりにあの場での出来事を語りはじめた。
「私はあのとき、熱に浮かされ水を浴びに来たナツを偶然見つけた。するとあろうことか、奴は白日に膚を晒しだした。慌ててやめさせようとしたとき、それを見て呆然としている人間を見つけたのだ! 私はすぐにそいつの元に駆け、撥ね飛ばして昏倒させた――だがもう遅い。あの人間は見てしまった」
ほのかの当て身を食らったのか――
オレは絶句するよりほかなかった。所在よりもそもそもただでは済んでいないだろう。
黙するオレに、ほのかは一度だけ振り返った。
そして少し間を置いて、呟くように話す。
「気を失った人間より、ナツの容体が気懸りだ。先にナツを送り届け、再びあの場に戻ったが、すでにあの人間は消えていた。だから行方は私も知らん――ただ、ナツに言われていて、人間相手だから手加減はしたのだ」
「……そうか。ありがとう」
そして「ナツの知り合いじゃなければこんな」と悪態を吐く。
本当にほのかが知っていることはこれがすべてなのだろう。
じっとりとまとわりつくような雨の中を歩き、神域の端まで到着した。
去っていくほのかを見送る。その話から、ひとつだけわかったことがある。
おそらくあの場には、彼女を監視していたのか、別の目があったのだ。
* * *
先程は後回しにしたが、ついに直接対決をしなければならない。
自宅に一度帰ったとき、すでに事が起こったことを知っていた両親。
その両親に連絡を入れたのは誰か。
クマ井と村人との接触は偶然の遭遇以外ではほとんどなく、何かがあればすべてクマ井の頭首であるナツを通じてのやり取りとなることが常であった。
しかし今、ナツはあのとおりだ。
つまり、考えられる可能性は、ナツを通じた表立った経路以外でのやり取りがあったか、もしくはそもそも山村さんが消えたことにクマ井が関与していない場合のどちらかしかない。
しかし、どちらでも同じことだ。
なぜなら、いずれにしても熊出村の中枢――祖母のフチが関わっていることは、明白だからだ。
「……ばーちゃん」
「来たね。よしお」
神社の奥、本殿という名の倉庫、その一室にばあちゃんは鎮座していた。
雑多な室内にあって、その小さな存在は大きな存在感でそこに坐している。だが壁に向いており、こちらに一瞥もくれない。
「出かけてたんじゃなかったのか?」
「出かけてたさ。でも変なよそ者が来たっていうんで、戻ってきた」
誰かが彼女に連絡をとったということか。オレが村の中を回っているときのどこかで。
「そしたらそのよそ者は案の定――禁秘を冒した……!」
「違う……あれは事故で――」
「これを見ろ」
オレの言葉を無視して、ばあちゃんはオレの目の前に何かの草を放って見せた。
――これはナツの体の……まさか……山村さん、畑も見て……!
「こりゃ村の掟じゃあ!! あの娘はもう帰せん!!」
握りこぶしが激高で震えている。しかし次の瞬間には真顔に戻ると、徐に口を開いた。
「それよりよしお、お前『お兆し』を黙ってたな?」
「それは……」
再び調子を抑えて問い質されたオレは、再度言葉に詰まってしまう。
「急に還られたらどうするつもりじゃった!? ええ?!」
乱高下する声音に本能的に威圧される。しかし、そうでなくても答えられない。
ナツがいなくなることなど、自ら認められるわけがない。
押し黙るオレに、ばあちゃんは「ふん」とつまらなそうに鼻を鳴らした。
負けじとオレは問いかける。
「山村さんは……どうした?」
「ああ、あの子は生かしてあるさ」
今度はわずかに上ずった柔和な調子のその物言いに怖気が走る。
「そりゃ殺さん、大事な胎(はら)だ――」
それを聞いた途端、オレは彼女に掴みかかろうと立ち上がりかけた。しかし、いつのまにか忍び寄られていた何者か複数人に背後から羽交い絞められる。
不意を衝かれたオレはまともに抵抗できず床に押し付けられた。
「んだっお前らぁ! はな、離せ、おい――!」
そのまま口に布を噛まされ、腕や足を縄で拘束され、歯向かう術を封じられる。
獣のように唸りながら、すぐそこに悠然と座す彼女をにらみ続けたが、頭から袋を被せられ、それすらも届かない。
最後までこちらには目もくれずにいた彼女の声が響く。
『明日は「送り」じゃからな、ええな。次はお前が仕切るんじゃ、ちゃんと見とけ!』
つづく
くまみこのはなし11
11.
慎重になればなるほどに震える体をなんとか抑え、ボクは廊下を進んだ。
薄絹一枚を身にまとい、軽いはずの体なのに、それでも満足に動くことができない。
どうしてこのタイミングなのだろう。
なんでこんなときに、あの人は来たのだろう。
そして、あったかもしれないいくつもの未来が、儚く脳裡に浮かぶ。
外では日中から降りはじめた雨が、なおも降り続いていて、ボクの心情を煽る。
もう何度目か知れない、そして、おそらくこれが最後になるであろう夜這いのため、ボクはまちの部屋の前まで辿り着いた。
「まちのおへや」と書いてあるプレートに静かに触れる。
このプレートを目印に足を置く。床のこの部分が唯一、体重をかけても軋まない箇所だ。
風雨が時折音を立て、いつもより気を使う必要はないのかもしれない。けれどこれが最後だと思えば、輪をかけて慎重にならなければ。
引き戸に当てるようにして耳をそばだてる。ここで実際に当ててしまうと引き戸が揺れて意外に大きな音がしてしまうので気をつける。
まちの寝入りは基本的にはよかったが、今日はいつもとは違う。気疲れして早く眠りに落ちているかもしれないし、その逆もあるかもしれない。それでも、もう今日を逃せば――
ボクは念じるように目をつむり、引き戸に手を掛けた。
敷居の溝には滑石を塗っていて、力加減の下手なボクでもほとんど無音で開閉できる。
部屋の中心に敷かれた布団に、愛しいその姿を認めた。
ぼやける視界。しかし鼻をすすることもできない。
室内に一歩足を踏み入れると、その寝息も耳に届く。規則正しく、大きめの寝息。
自身の呼吸が浅くなる。しゃくり上げてしまいそうになるところを苦労して抑えながらも、体重の移動、足の置きどころ、幾度も繰り返してきた決まった動作は自然と体に染みついている。
そしてついに、いつものように横向きに寝ているまちのすぐ傍らに着いた。
その変わらぬ、狂おしい感情をもたらす甘美な毒のような寝姿が、手を伸ばせば触れられるほどの眼前に、ただただ存在している。その奇跡的な状況、もう数え切れないほどに経験してきたこと、そのひとつひとつのものを合わせたよりもさらに大きな感情が去来し、堰を切ったように涙があふれ出した。
息が乱れる。まちが起きてしまう。
見られてしまう。
おぞましい、この姿を。おぞましい、この行為を。
もう制御できない情欲が本当の本当に最悪の事態をもたらしてしまうその前に。と、ボクは身を屈めてまちの耳元に囁いた。
「ライライ――モコリャイライケモコ――」
死んだように眠れ。というアイヌ語だった。少し嗚咽混じりでも、彼女に届いただろうか。
唱え切ってしまった安心感から、いよいよ我慢ができなくなったボクは、安らかに寝息を立てるまちの小さな体に縋ると、顔をうずめて声を上げて泣いた。そして壊してしまうほど強く彼女をかき抱いた。
* * *
「赦して……まち……」
うわ言のように何度も繰り返す。
それ以外にかけるべき言葉が何もない。
行儀よく掛けられていたタオルケットは今、半分に畳まれて彼女の脇に避けてあった。
興奮のあまり震える手でパジャマの裾をまくっていく。ひっそりと窪んだ臍にすら官能を感じてしまう。えも言われぬ曲線を描く脇腹からおなかのラインをじっと見つめる。脱力した腹部が見せるぷくりとした内臓の偏りが煽情的だ。
だってまちが悪い。まちがあんな風に誘うから。
そしてついにその乳房が眼前に露わとなった。確かにいつも風呂で見ている。しかしその存在は、今のこのシチュエーションではまったく違った趣でそこにある。横向きに寝ていることで普段はほとんど目立たない慎ましやかな双丘が、か細い腕と体の間に息づいている。
ボクはすやすやと眠るまちの横顔と、その下から覗く可憐な横乳を見比べた。ぞわりと鳥肌が立ち、眩暈をおぼえるほどに愛らしい。
一度息を整えると、今度は指を布団と体の間に差し入れるようにして右の乳房を極々弱い力でゆっくりと掬い上げた。わずかにたわむ柔肉。まさにとろけるような軟らかさだ。
強く指を食い込ませてしまうとすぐに肋骨に当たってしまう。それではその未熟さを湛えた最高の感触を十分に味わうことができない。
しばらくそれを堪能し、次にその薄く色づく先端の縁にぴたりと指をくっつけた。外縁とは違った弾力の少ない軟らかさを感じる。何度かつつくようにして愉しんだ後、人差し指を使って円を描くようにゆっくりと指先を滑らせていく。やがて手を増やして左右同時に刺激を与える。まちの呼吸は規則正しく続いている。
十分に自らを焦らしてから、両手の指先がようやくその頂点に触れる。
与え続けられていた刺激に対し、はっきりと体は反応していた。
「うぅ……まち……」
喘ぐわけでも眉根を寄せるわけでもなく、平然とした様子に見えた彼女の、機械的なものであるとはいえ、その体に顕著に表れた変化にボクは自分の行為の淫らさを突き付けられるのだ。
弱っているはずのボクだったが、かつてないほどに熱く昂っていることを感じる。
これで最後と思うと時間をかけずにはいられなかったが、あまりこの状態を続けてはまちの体を冷やしてしまう。半ば朦朧としている頭でボクは彼女を案じた。
まくり上げていた服を一度戻し、丁寧にボタンを外してはだけさせておく。それから彼女の肩と膝に手を掛けて膝を立てた仰向けの体勢に変えた。
頭を撫でながら袖から腕を抜き、続けて肌着も頭から抜く。上半身裸の状態にさせられ、あどけない表情で眠るまち。その姿を目に焼き付けてから、横に避けていたタオルケットをその上半身に掛けた。
交感神経の過剰な興奮によって震えて冷える手に息を吹きかけて温める。
今日は特別だと自分に言い聞かせる。
これで最後なんだと思うと、胸が詰まり吐きそうにすらなる。
ボクは意を決してまちのウエストにかかるゴムの縁に両手を掛けて、ゆっくりと引き下ろしはじめた。
徐々に露わになる下腹部、腰骨の陰影、下着の縁と小さなリボン――クロッチ部分にかかろうかというところで一度手応えが固くなる。仙骨の膨らみに引っかかっているのだ。ボクは慣れた手付きでまちの膝を揃えると、胸の方に押し上げて腰を浮かせて、するりとウエスト部分を膝の上まで下ろし、足先から抜き去った。体温の残るパジャマをぎゅっと抱きしめてから置き、意識的にゆっくりと息を吐きながらショーツに手を掛けた。そして躊躇せずにそれをするすると脱がしてしまう。ついに一糸まとわぬ姿となったまちが、無防備にその肢体を晒している――
ここにきて、まちへの罪悪感が頭をもたげてきた。しかしもう引き返すことはできない。このまま明日を迎えるわけにはいかない。
ボクは覚悟を決めた。途端に体の震えが止む。興奮しきった体はそのままに、厳かな気持ちとなる。まちの大切な瞬間に立ち会うのだ。そうならざるを得ない。
まちの足元に跪き、恭しく一礼をした。
そして汗でしっとりと張り付いていた自らの着衣をすべて取り去ると、まずはいつものように彼女を強く抱きしめ、全身でその感触を覚え込むようにする。
「ああ、まち、まち――」
うわ言のようにその名を呼ぶ。まちは答えてくれないが、ボクは勝手に際限なく盛っていく。
ごくり、と生唾を呑み込むと、ボクはついにまちの唇を奪った。これまでは決して踏み入れなかった領域に突入していく。これ以上何も考えることができない。ボクなりの倫理観が粉々になっていった。
まちの唇は夢のように甘かった。
夢中で貪るように唇を重ねていく。呼吸が苦しい。
そして同時に彼女の胸を揉みしだく。わずかに膨張し主張する先端を手のひらで転がす。そこにも口付けをしていく。舌や唇でその弾力を味わう。胸が苦しい。心臓が早鐘を打っている。
乳房に留まらず全身を隈なく愛撫していく。キスをする。舌でねぶる。揉む、弾く。彼女の体で触れたことのない場所があることが我慢ならない気持ちだった。
そして爪先に口付けをしたところで、残すは行儀よく閉じられた脚の間のみとなった。
足首を優しく掴んだ。わずかに踵が浮く。両脚を同時にゆっくりと開いていく。肉付きの薄い腿の先にある、まだ誰の目にも触れていないはずの秘所がわずかに開き、その隙間から淡い色の粘膜を覗かせている――それを目にした瞬間、元々はち切れんばかりに充血していたボクの股間のモノがさらに引き攣るほどに張り詰めたのを感じた。
子供の親指ほどもあって禍々しく凝るそれがボクは嫌いだった。しかし今、このときばかりはその僥倖に感謝しなければならない。
まちの脚の内側を、付け根に向かって徐々に触れながら這い上がる。そしてボクと違って慎ましく可憐な性器に口付けをすると、しとどに濡らしていく。
そしてボクは股ぐらの肥大した肉芽に手を添えると、まちの中にゆっくりと押し込んでいった。
「あっ、ああっ!」
敏感な部分が柔らかな粘膜に包まれる感覚はこれまでに経験したことがないものだった。何よりまちのそこはとても熱く感じられた。そして力が抜けているはずで、ましてや成人男性と比べては比較にならない程に小さいボクのそれでさえ、きつく感じるほどの狭さだった。
「あああっ、きもちいよぉ、ずるいよぉ」
ボクは感嘆の声を漏らしつつ、いつの間にか腿の中程にまで垂れてしまうほどになっていた自分の潤みを指に取ると、それを潤滑剤にして一層腰の動きを速めていく。
細かく腰を打ちつける音がぐじゅぐじゅと部屋に響いている。
時折腰を左右に揺らし、まちの中の感触を愉しむ。
そして行為は次第にエスカレートしていった。
まちの体を持ち上げると、人形のように扱った。膣内に飽き足らず、全身を使って快感を得た。特にその今日までキスも知らなかったはずの口で達したときの背徳感はこの上なかった。
体力の限界を迎えようとしていたボクは、ここで一旦、まちの体を綺麗に拭き清めた。
そして最後にもう一度彼女を抱くと、いよいよあふれ出る涙を止めることができなくなる。
まちの初めてを奪うものがボクのモノであったなら。そんな想像を何度しただろう。
それが現実となった今、もう思い残すことはなかった。
つづく
くまみこのはなし10
10.
「ねえよしおくん! そろそろ起きて!」
「んあ……なんだ送れって?」
学校かどこかへの送迎を頼まれたと寝ぼけているよしおくんを、激しく揺すり続ける。
いつも出勤ぎりぎりまで寝ているような彼にして、こんなに寝起きが悪いことが今までにあっただろうか。
「ち、が、う! ねぇ、もうお昼よ? ナツがどこに行ったか知らない?!」
これだけぐっすり寝ているからには出ていったことには気付いていないのだろうが、昨晩一緒にいたよしおくんなら何かを聞いているかもしれない。
「んー……いてぇ……なんだ、ナツ? あれ」
頭を振りながら、もぞもぞとした動きでよしおくんはようやく体を起こした。
「二日酔いか……? あれ、オレ昨日飲んだかな……よく憶えてないや」
「ちょっと! しっかりしてよしおくん!」
しゃっきりしない彼の背中を何度か叩く。「痛い痛い! 起きたよ!」と言うのでそろそろ勘弁しておこう。
「ナツ……昨日どうしたかな。って、ここナツの部屋か!」
ようやく状況を把握するよしおくん。
私は呆れてあからさまな溜息を吐いた。
「ナツと一晩一緒に過ごしてよく無事だったわね。私だって寝るときは大抵別々よ?」
「いや、だからきっと別々に寝てたんだよ!」
何故かムキになって反論するよしおくん。「冗談よ」と返すと、ふてくされたように黙った。
今日のよしおくんは寝起きだけでなく機嫌まで悪いらしい。
「そうだ、山村さんはどうしたんだ?」
「山村さんとはあのあと、よしおくんちに泊めてもらって、一緒に女子トークしたの」
よしおくんの問いかけに、少し得意気に返答してしまう私。会って間もない都会の人と仲良く会話できたことを誰かに報告したい、誇らしい気持ちがあった。
「そうか、それはよかった。それで今はどうしてるんだ?」
「私は先に起きて、神社のことをひととおりやってたんだけど、ナツが来ないままみんな終わっちゃって、それで様子を見にうちに帰ってきてナツのことを探したんだけどいないの。部屋にはよしおくんが寝てるし、起きないし……」
「ナツのことじゃなくて、山村さんのことなんだけど」
「話はここで終わらなくて! 仕方がないからよしおくんちにまた戻ってみたら、今度は山村さんがひとりで出かけちゃってていないの。まあでも、冷静に考えてナツのことは訊けないからそれでよかったんだけど――」
話していくうちに、よしおくんの表情が見る見る真剣なものに変わっていく。
そんな様子を見て、最後の方は尻すぼみとなった私に、彼は静かに芯の通った声で言った。
「それは、どのくらい前のことだ?」
「……今が11時半くらいだから……2時間くらい?」
「それから会ってないのか?」
「……うん。うちでよしおくんが起きてくるのを待ってたから――」
そこまで聞いて、彼は素早く立ち上がると、土間まで飛んでいって靴を履くのももどかしく、表に飛び出した――ところで、立ち尽くした。
「どうし――」
「ナツーー!! しっかりしろ!」
言葉をかける間もなく、よしおくんは入口の外に姿を消した。
慌ててそれを追いかけ、裸足のままに表に飛び出す。
入口のすぐそばに、ナツが倒れ、よしおくんが蹲り顔を寄せている。その隣にはほのちゃんが立っていた。
ナツの体は全体的に塗れそぼり、ところどころ毛の色が濃くなっている。
一瞬、ケガをしているのかと思ったが、よく見ればそれは泥が付いているだけだった。けれど、意識を失っているのか、ピクリとも動かない。
「え……よしおくん……嘘、よね? ナツ、大丈夫よね? ほのちゃん、ナツは……」
「近くで倒れていたのを見つけ、送り届けたのだ……ただ私は急ぎの用がある。巫女よ、あとは頼んだぞ」
そう言うと、ほのちゃんは足早に去っていく。ナツはまだ動かない。怖くて足がすくむ。
それでも、何かに憑かれたかのような足取りで、1歩ずつ、横たわるナツに近づいていく。
「ナツ……?」
「大丈夫だ。息はある――体調が悪いって、昨日も言っていたんだ」
よしおくんの言葉が耳を通り抜けていく。
どうしても確かめたくて、私もしゃがみ込み、半開きとなっているナツの口元に耳を寄せた。
一瞬を、ひどく長く感じる。
――すぅ。
わずかに息の音を感じた瞬間、ナツの体に縋り付いた。
涙がとめどなく溢れてくる。
するとよしおくんは「ナツが苦しいだろ」と言って私の肩を掴み、わずかにナツの体から離した。それを振りほどこうとしていると、ナツがゆっくりと目を開けた。慌てて縋ろうとするが、やはりよしおくんに押し留められる。必死な形相になっているであろう私の顔を見たナツは一言、「少しだけ、横にならせて」と言うと、そのまま意識を失った。
もう私は心の抑えが利かなくなっていた。半狂乱となりナツに飛びかからんばかりの私。その腕をよしおくんは乱暴に掴んだ。そしてそのまま家の中に引きずり込まれる。私は悪態を吐き、いつものように彼に殴りかかろうとしたが、大人の男の力で覆い被さるようにして押さえ込まれてしまった。その事実にショックで体が硬直する。
「そうしているだけじゃ、ナツは悪くなるばかりだ!」
そしてさらに叩きつけるように怒鳴られた。
「お前であろうと、頑張っているナツの邪魔をしようとするのなら、容赦しないぞ」
零下の声色でそう告げられると、ナツを失うものとは別種の恐怖がそれを上塗りしていく。
やがて完全に体の力が抜けた私を見て、ようやくよしおくんは力を緩めた。
それから身を離すと、深く頭を下げられた。
「まち、本当にすまない。乱暴なことをした」
言いながら立ち上がり、室内に向かい歩きだしながらさらに続ける。
「でも、手伝えないならせめて、大人しくしていてくれ」
糸が切れた人形のように動けないでいる私を置いて、よしおくんは手早くタオルを探しだしてくると、ナツの方へ取って返す。
まずは濡れた体を乾かして体温を下げないようにしなければならない――当然のことだった。
* * *
村に医者はいない。
つまりナツに医学的な処置ができる人はどこにもいないということだ。
ナツはこれまで大きな病気やケガをしてこなかったので気付かなかったが、ナツ自身そのことをよく肝に銘じていたためであろう。
しばらく表で倒れていたナツだったが、30分もしないうちに再び目覚めた。
そしてなんとか起き上がると、土間まで入り、そこでしばらく休憩をして、それでまた起き上がる――そうやって、少しずつ少しずつ、時間をかけて自分の部屋に戻った。
よしおくんは無理に動くなと言っていたが、ナツは落ち着かないからと聞かなかった。
私は先程のショックで、未だに言葉を発せていない。接近を禁じられたようで、ナツともよしおくんとも微妙に距離をあけ、状況を見守ることしかできないでいた。
ナツが部屋に戻ってから、よしおくんはナツと言葉少なにいくらか会話をしているようだった。
私は部屋の外で待っている。
自分が無様な体を晒し、とっさにああするしかなかったことを頭では理解していたが、よしおくんにすっかり怯えていた。
やがてよしおくんはナツの部屋から出てくる。
びくり、と私は身を竦めた。
「あらためて、申し訳なかったな……まち」
優しく話しかけられたが、彼の顔を見ることができない。
「赦してくれなくても、仕方がない。でも、わかってくれ……」
「……」
言葉が出てこない。
黙り込む私に、しばらく様子を見てくれていたよしおくんだったが、ゆっくりとした動作で私の目の前にタオルと桶を差し出した。
「お湯を沸かして、タオルを浸す。タオルは固く絞って、ナツの泥を落としてあげる。できるな?」
そう言うと、彼は私の足元に差し出したものを置いて、距離を取った。
よしおくんが離れたことで、金縛りから解かれたように体が動くようになる。
そちらの方を見ないようにしながら、置かれたものを拾った。
「頼んだぞ」
背後から声がして、よしおくんはうちから出ていった。
体の力が抜け、倒れ込みそうになったが、壁に手をついてなんとかこらえる。
私は、指示された内容以外何も考えないようにしながら、人形のようにそれをこなしはじめた。
つづく