たしかに正しいけど、その通りだけど。

ブログじゃないという体でまとまった文章を置いておきたい場所

謎のスキット3

 観光客などで混雑した駅前の広場。そこに置かれたベンチによく目立つ色の髪をした少女が腰かけていた。少女の周りはわずかに人が疎らで、皆遠巻きにちらりと彼女に目を遣っては、通り過ぎていく。

 そんな少女に見覚えのある者がたまたま近くを通りかかっていた。前髪を上げ、ウェーブのかかった髪を後ろでまとめているその少女は、色鮮やかな衣装に身を包んでいる。彼女にとってベンチに腰かける少女は見知った相手ではあったが、直接会話をしたことがなかったため、しばし逡巡したが、観察していると何やら心許ない様子である。まあこれも何かの縁だ、と意を決してベンチへと足を向けた。

「あれ……ひとり?」

 少女の問いかけにプラチナブロンドの髪の妖精のような少女が少し寂しげな表情で頷いた。

「というか、靴は?」

 色鮮やかな衣装をまとった少女は、ベンチに腰掛ける妖精のような少女の足元を指さして言った。何故か彼女の足にはソックスしか履かれていなかった。そのソックスは、そのままで歩いたのか少し汚れてしまっている。

 その問いかけには、俯いた妖精のような少女は口を結んだまま、力なく首を振った。

「えーと……ほかの人も来てるんだよね?」

「……ワカラナイ」

「え? もしかして、はぐれたとか? 連絡は?」

「ハイ……アノ……デンワ、ワスレタ」

「あーうーーん、そっか……」

 どうも状況は芳しくない様子である。そもそもこの状況では移動することもできないだろう。そして迎えも呼べなく、途方に暮れていたようだ。

 異国の、その上慣れないまちにあってひとり途方に暮れるなど、想像を絶する心細さだろう。色鮮やかな衣装をまとった少女は考えを巡らせた。

小瀬川さんの連絡先すら知らないからな……どうするか。あ、そうだ、とりあえずこれを貸してあげる」

 色鮮やかな衣装をまとった少女は、そう言うが否や、持っていた荷物から赤い鼻緒の草履を差し出した。

「エエット……」

「それね、さっき踊るのに使ってたけど、今は履き替えてるし使ってもらって大丈夫。緊急事態だしね」

「ア、アリガトウゴザイマス」

「いいっていいって。学校で返してくれればいいから。ちょっと悪いけど、私は次の列車で帰らなきゃいけないんだ。それ履いて、少しみんなを探してみて、見つからなかったら……帰るしかないよね」

 大丈夫かな? と、色鮮やかな衣装をまとった少女が訊ねると、妖精のような少女は頼りなく頷いて見せた。

「ほんと、みんなに会えなかったら列車なくなっちゃう前に帰るんだよ?」

「ハイ……アリガトウゴザイマシタ!」

 念を押され、早速草履を履いた妖精のような少女は、勢いよく立ち上がり、ペコリと頭を下げた。色鮮やかな衣装をまとった少女は後ろ髪を引かれる思いであったが、列車の時間が迫っている。妖精のような少女とは、手を振って別れた。

作品の価値について

 特に大それたことを言うつもりもないですし、できもしないのですが、メモ程度に書き散らかしておきます。

 価値という単語がTTじみていてあれですが、特に狭い意味があるわけではありません。良い悪いのベクトルのお話です。

 

 

 作品の価値を大きくふたつに分けて見てみると、単純に作品そのものの価値というもののほかに、個人がその作品に対して見出した価値というものも考えられます。

 このふたつを一緒くたにして考えると、こんがらがって最悪死にます。それは、自分のことを考えるときでも、他人が話す作品の価値らしき事柄についても同様です。

 

 作品そのものの価値というものは、ある程度一般化された、多数の個人がその作品に価値を見出すであろうという期待により成り立つ価値であって、作品の「良さ」とでも表現できましょう。秀作とか良作とか名作とか、そんなことを言える作品なのかもしれません。ちなみに私は対義語として「悪い」と表現します。

 一方で個人がその作品に対して見出した価値というものは、単に個人の嗜好に合致するかなどの低いハードルを超えると容易に成り立つ価値であって、作品の「好さ」とでも表現できましょう。情動により自動的に判断されるので、かなり個人個人でばらばらな作品が挙がってきそうです。ちなみに私は対義語として「ダメ」と表現します*1

 

 こうまとめると、ちょっと考えてみれば自明なのですが、前者のつもりで後者を語ると地獄だぞってことですね。そして、前者の考えはとってもハードルが高く、通常は後者の考えを自覚的に採用していくのが現実的な気がしてきます。

 作品の良し悪しを考えるには、適当な十分広い範囲の集団で定積分したときに個人的な嗜好がキャンセルされることを前提として、少なくともそういった嗜好に大きな影響を受けないのであろう要素を吟味していかねばなりません。盤石な理由をまず探さねばなりません。面倒ですね。面倒じゃない部分*2で言えちゃうことも多いんですが。

 対して個人的な感想にすぎない作品の好いダメは自分のことなので自分の心に嘘を吐かない限りは、それが正しいので簡単です。胸を張って叫べます。正しさが必ず先に来るので、理由は後付けでよろしい。(可能なら理由は付けるべき)

 

 ちなみに個人的には良い・好い/悪い・ダメと対立させると、前者はハードル*3が低くて後者が高いです。*4そのために、この4つを言いやすさで並べると、

 好い<ダメ≦良い≪悪い

こんな感じになるかと思います。良いぐらいまでならわりとカジュアルに言えますね。悪いは相当悪くないと難しい……。

 ただ、個人的に良い・悪いは、多くの人がそのように考えるであろうという自分の脳内で想定されるコモンセンス的なものを下敷きにしている都合上、無責任で自分勝手な感を拭えないとかいう矛盾に苛まれてしまうので、専ら好い・ダメを使っているというのが実情です。

 

 ごちゃごちゃ言ってるけど何が結局言いたいのかって、大抵は後者で作品語ることになるんだからそれを自覚しろ。って、あの、その。

*1:好き嫌いってしないのは、なんというか、ダメと嫌いもまた違うのですよね……。ダメは言い換えると好ましくない。好ましい状態にない。不適切だと感じる。そんなところで。

*2:論理的整合性とか。その瑕疵とか。

*3:成立に際して必要とされる理由の正しさの度合?

*4:否定は攻撃性を孕むからだと思います。

謎のスキット2

 鉄製のベンチに腰掛けて話す面々の間には、祭りの後特有の燻る残り火のようなじんわりと興奮した空気が横たわっている。そこに涼しげな秋の虫の音色が差してえもいわれぬ絶妙なバランスを取っているように感じられた。

「何度も観てきたけど、やっぱりこう、神妙な感じになっちゃうよね」

 赤い髪の少女が中空に視線を投げかけながら呟いた。

「やっぱり観客側として観ると一味違うものなんだ?」

 座っているベンチの縁に両手を添え、両脚を振り上げながらバランスを取っていた小さな少女が、すかさず反応を返した。ぱっと赤い髪の少女がそちらに振り向く。髪が動きに合わせてふわりと広がる。 

「あ、それ! ちょっと! 胡桃のせいで明日また宇夫方さんに訊かれそう」

「シロが、ね」

 小さな少女がわずかに笑みを湛えつつ、白い髪の少女の方を見遣った。

「……?」

 白い少女は黙って少し困ったような風だ。

 黙っている少女を見ながら赤い髪の少女がその言葉を受けた。

「彼女も健気ねーほんと。シロもちょっとは相手してあげればいいのに」

「……だるいって答えると、いつも特にしつこくもなく納得するし、いいかなぁって」

「悪い女だ」

「魔性の女だ」

「ヒドい言われようだ……」

 くすくすと、小さな声を立てて小さな少女と赤い少女が笑う。

 

「そういえばさ、エイスリンはさっきも言ってたけど、神社とか寺とかそういうの、好きなんだよね……いつから知ってた?」

 ふいに赤い髪の少女が問いかけた。

「うーん……インハイから帰ってきて、私たちは勉強に本腰入れ始めて……そのぐらいかなあ」

 小さな少女が答える。「シロは?」と赤い少女が振ると、白い少女は少し考えてから答えた。

「結構前から……」

「そういう話とかしたの?」

「エイスリン、結構そういう絵をノートとかに描いてる」

「へぇー……そっか、後の席だもんね」

 小さな少女がこともなげに話した。赤い少女はわずかに神妙な面持ちとなっていたが、次の瞬間には表情を一変させた。

「エイスリンもまあ、日本の文化に興味があったから留学してきたんだろうしね、うん」

「そんなこと言ってたなぁ。交換留学のパンフレットにあった写真がどうとか」

「そうなんだ……」

 赤い少女がすっと融けるような声音で相槌を打つ。それを聞きながら、小さな少女は明後日の方向に目を向けていたが、少し動きを止めると、ふたりの方に向き直って表情の乏しい顔で言った。

「……ところで、終電って何時だっけ?」

「あ……」

 皆が辺りを見回すと、見物客はすっかり疎らとなっている。

「うわ、もう8時だよ?!」

 赤い少女が携帯電話を見て悲鳴を上げる。迷子になったかと一同心配し始めた頃、ようやく目を引く二人組が戻ってきたのだった。

 

謎のスキット

 ふと背の小さな少女がこんなことを言いだした。

「先生ってさ、どうしてうちの学校に来たんだろうね」

 それを受けて赤い髪を切り揃えた少女が答えた。

「どうしてって……確かに。言われてみるとなんでだろ」

「なんかこっちに来る前にトヨネのところに行ってたっていうから、やっぱり部活の顧問をしたくて赴任先を探してた、とか?」

 なるほど、と赤い髪の少女が頷く。

「こっち着いたその日にいきなり部室に来たもんね」

「で、3人ともあり得ないトバされ方したという」

 小さな少女の言葉に、みんなが苦笑した。

「校長の昔馴染みとかいう話だけど……」

 今まで黙っていた白く豊かな髪の少女が、椅子に浅く腰かけ、体を投げ出した体勢で呟く。彼女が話すと不思議と皆が注目した。それはあたかも空気が支配されたかのようだった。

「……いいや。だるくなってきた」

「いやよくないでしょ」

 間髪を入れず赤い髪の少女がツッコミを入れる。それと同時に空気が一気に弛緩した。どうやらこのやり取りはいつものことのようで、話題を放り投げた彼女にそれ以上の追求はされなかった。

「あーもー限がないから! そろそろ勉強に戻る! ほらシロしゃんとして!」

「掴まるところがなくてダメ……あぁ……」

 小さな少女の発破も虚しく、ずるずるとずり落ちながら後退していく白い少女を、赤い少女が嘆息しながら取り留める。

「もう……これだけだらけられると、逆にちゃんとしなきゃってなるわ。その体勢の方が疲れるでしょ、シロ」

「どうにも身が入りませんなぁ」

「みんなそうだよ!」

 言いながら、小さな少女は先ほどまでの思考を再開した。

 部活の指導者としてチームをインハイに導きたいならこんな辺鄙なところに来なくても、もっと強豪校はいくらでもあるし、そもそも最初は頭数すら揃っていなかったのだ。じゃあ部活の指導はついでだった? ……いや、しかし……麻雀が強いからってトヨネを連れて……。

 考えているうちに赤い少女が白い少女をしっかりと席に着かせることに成功していた。それを機に小さな少女も思考を畳むことにする。

 これまでずっと一緒だった3人の関係は、ここ半年ちょっとの間に激動の展開を迎えて、今再び3人だけの凪いだ状態に戻りつつある。しかし、またほんの数か月先には――

 畳む折にふと一番触れてはいけないと思っていた事柄に触れてしまったことを、小さい少女は下唇の内側をわずかに噛んでやり過ごした。

 

蛇足ですよね蛇足。

 「あの夜の興奮が蘇るようだった……」その言葉を聞いて、これはしまったと思いましたね。

 あの夜の多くの時間は最後の最後の台詞を絞り出すのに使ったのでした。

 その成果はどこかに置いておいた方がいいのかな、とも思ったのでした。

 今となっては後の祭りですが、供養という意味合いも込めて、最後のシーンだけ、こっそりと置いておきましょう……。

 生き残った櫻子が葬儀後に向日葵の母親と話し、思いもよらぬ事実を知って呆然とする最中に、りせに残酷な宣告を受けるシーンです。

 

 

 


 

 

 

 りせは少しの間、過去のことを思い出していた。悲劇に佇む櫻子の姿が過去の自分と重なったのかもしれない。しかし彼女もりせも生きている。そして悲痛を抱えて生き続けなければならない。りせは櫻子の行く末に自身のそれを重ねて、少しばかり嬉しいような感情が芽生えるのを感じた。自分でもどうかと思った。やはりまともな人間ではないから仕方がないのだろうかと軽口を叩きたい気分だった。

 りせは櫻子の耳元に口を寄せると、櫻子にしか聞こえない肉声でこう言った。

 

『よかったね。壊れてて』

 

 そして躊躇うことなくその場を後にした。

 残された櫻子は空っぽな心で、ぽつりと呟いた。

「会長の声、初めて聴いた」

無気力に細切れに20

 ついに終わりますよ。

 投げっぱなしにすることで混乱を招くよ。

 美しい結末は各人の心の中に思い描いてくれよな! 

 

 


 

 

 放課後、部室にはいつものメンバーが顔を出していたが、決して明るいとは言えない雰囲気に包まれていた。

 特に話が弾むでもなく、何か行動を起こすでもなく、ただそこに居続けている状態だった。口を開けば何かが耐えきれずに噴出しそうな、それでいてひとりで帰宅して時間を持て余すことは避けたい。そんな心理状態だろうか。

 そんな雰囲気に割入るように、表から砂利を踏む音が聞こえてきた。いつも騒がしく過ごしていることの多いごらく部の面々は皆一様に入り口に注目した。「こんにちは」と控えめな声が障子越しに聞こえ、しばらく経ってから細く障子が引かれる。

「あの……おじゃまします」

 おずおずと綾乃が顔を出した。後ろには千歳もついてきている。さすがに普段のようには入ってこられなかったようだ。

「いらっしゃい……」

 結衣が無表情で言葉少なではあったが、自ら移動してふたりの席を空けてくれた。

 席に着いた綾乃はメンバーの様子をさりげなく観察した。ちなつは俯き加減で顔色が悪く、京子からもいつもの生気が感じられない。結衣はいつにも増して硬い雰囲気だった。

 隣では千歳が落ち着きなく辺りを見回していたが、少しして目的物を見つけたのか、一同に対して切り出した。

「あのな……そこに置いてある、箱。これって古谷さんが持ってきたもんやんな?」

 登場早々に彼女の名を出した千歳にみんなが注目した。趣旨のわかっていた綾乃は隣の千歳を柔らかく見つめる。

 質問を投げかけられた彼女らは答えあぐねていたが、千歳はその沈黙を肯定と受け取り、話を進めた。

「そしたらこれ、形見みたいなもんやん? ……これをみんなで開けたら、古谷さんも喜んでくれるんちゃうかな、思て」

 結衣と京子は顔を見合わせた。さっき少しだけ顔を上げたちなつはまた俯いてしまって、鼻を鳴らして泣き始めた。

 やがて結衣が静かに言った。

「そう……だね。古谷さんも箱、開けたかった……だろうな」

 みんな向日葵の話題に触れることはつらいことだったが、ただ悲しんでいるのも不健全だという意識はあった。向日葵のために何かしてあげられることがあるならしたいという気持ちもあった。それが、弔いになるかもしれないのならそうしたい。そんな雰囲気が広がり始めた。

 千歳は一度辺りを見回すと、唇を固く結び、すっと立ち上がると、床の間に置いてあった箱を皆が囲う卓の上に持ってきた。

「…………」

 中央に置かれた箱をしばらく全員が見つめる。特に千歳の表情には何か鬼気迫るものがあった。

 千歳はもちろん、この箱がなんであるかを特定する手がかりがないか必死に探していた。

じっと目を凝らして箱を見つめる。

 寄木細工、何かの貼りついた跡、下方についた黒い染み、幾度かずらされたパーツの隙間、虚ろな隙間――

「……千歳、こんなときに何考えてるんだよー……」

 京子が呆れたように指摘する。綾乃が千歳の方へ顔を向けると箱に両手を添えた千歳が俯き加減でそれを睨みつけながら、鼻血を流していた。一瞬またいつもの発作かと京子のように呆れた気持ちになった綾乃だったが、どうも様子がおかしい。鼻からの出血が徐々に量を増している。今まででこんなに出血したことがあっただろうか。眼鏡を外した時は確か、しかし今は普通に眼鏡をかけている。

――あれ、どうして? どうしたの、血が、あれ?

 見る間にテーブルの上に血溜まりができた。さすがに異常だと感じたのか京子と結衣が目を見開いている。

「千歳? 千歳?!」

 綾乃は千歳の肩をがくがくと揺さぶったが反応はなく、体が硬直し、しばらくだらだらと鼻血を流し続ける。

「いやぁ! 千歳っ!」

 パニックに陥った綾乃が一際大きく叫んだ次の瞬間だった。

「う、ぐぁぁああああああ」

 千歳が呻き声を上げ、畳に倒れ込んだ。そのまま腹部を抑えてのた打ち回る。鼻からはなおも出血が止まらず今や吹き出すかのような勢いとなっているせいで、壊れたスプリンクラーのような有様だ。

 予想だにしなかった劇的な事態に呆気に取られる面々。

 先程まで千歳に縋っていた綾乃でさえしばらく固まってしまっていた。しかし思い出したかのように千歳をかき抱く。

「ダメッ! 死んじゃダメ千歳! 千歳!!」

 救急車を呼ぶとかそういう次元ではない出血量だった。思考を圧倒する赤黒い色彩。むせ返るような鉄臭さ。呆然と見守るだけだった京子はやがて蹲ってすすり泣き始めた。

 結衣は未だ固まっていた。何も考えられなかった。何が起きているのか、これは現実なのか、なぜいつものように血が止まらないのか。結衣には何も判断ができなかった。

 綾乃は本能的に理解した。千歳はもう助からない。そして喚くのはやめた。血に塗れてこわばった彼女の手を握った。一縷の望みをかけて心の中で彼女の名前を呼び続けた。しかしその願いも空しく、やがて彼女の体は細かく痙攣し、最期に口からもどす黒い血を吐き出して、静寂が訪れた。

 綾乃はたった今自分の隣で何が起こったのかを理解したくなかった。その反面、弱った心には入りきらない感情の奔流が冷水となって浴びせられたかのように彼女の頭は澄みきっていた。

 綾乃の脳裏を走馬灯のように様々な場面がよぎる。

 みんなで楽しく放課後を過ごした最近の部室。根気強く試行錯誤するあかり。様子がおかしい今日の千歳。箱をしきりに気にする千歳。箱を凝視する千歳。箱。

「……お前か。お前がぁ!!」

 千歳らを死に追いやった原因を直感的に見抜いた綾乃は、怒りに支配され、それを箱へと向けた。獣のような雄叫びをあげながら親友の仇を掲げ、怒りのままに壁へと叩きつける。

 箱は鈍い音を立てて割れ、下に落ちた。

 壊れた箇所から黒い塊のようなものがぼろりと零れ落ちる。

 綾乃はそれをしかと目に焼き付けるかのように睨みつけた。

「おい、綾乃……?」

 急に立ち上がり叫んだかと思うと大事な形見であるはずの箱を壁に叩きつけて壊したきり、動きを止めてしまった綾乃に京子が恐る恐る話しかけた。しかし返事の代わりに聞こえてきたのはくぐもった水音をまとった呻き声だった。

「ご……お、ご……」

 そして綾乃はそのまま崩れ落ちた。見開かれた目、固く噛みしめられた口許、形の良い鼻、耳、苦悶の表情を浮かべる顔全体からおびただしい量の血が溢れ出す。体中の穴という穴から血は噴き出し、あまりの量にそれはすぐに収まった。

 あっという間に血の湖ができていた。千歳と綾乃が折り重なってそこで溺れているかのようだった。

 千歳に続いて綾乃が事切れ、その一部始終をただ見ていることしかできなかった京子の心は、危ういところで踏みとどまっていた。ふと隣を見ればちなつが俯き震えている。無理もないことだろう。いつも冷静な結衣ならともかく、ちなつは怖がりなのだ。普段お気楽に振る舞う京子だっておそらく周りに他人がいなければ半狂乱になってその場から逃げだしているに違いなかった。

「ちなつちゃん、大丈夫?」

 京子は縮こまるちなつの肩に手をかけ、彼女の顔を覗き込んだ。ちなつはこの世のものとは思えない苦悶の表情を浮かべていた。

 あ、と言う間もなく、ちなつの口からどす黒い血が吐かれ、京子の頬を濡らした。まるで限界まで張られてぎりぎり耐えていた一本の糸が、手に触れると同時に切れてしまったかのようだった。ちなつはそのままもんどりうって倒れ、千歳のように血を撒き散らしながら一頻り苦しんだ後、焦点の合わない瞳で京子の方を見つめた。

「京子……先輩……」

 京子はその虚ろな死の色を湛えた瞳を無色の表情で見つめ返した。ちなつが力なく震える手を伸ばす。京子はそれを同じく震える手でつかまえた。つかまえた瞬間、ちなつは満足げに瞼を伏せ、息を引き取った。

 京子は頬についた血からちなつの体温が失われていくのを感じた。しばらくして、今度こそ半狂乱に陥ってちなつに縋り付き、その名を叫び続けた。

 

 結衣は鮮烈な赤色を見た。

 先程まで話していた友人に今何が起こったのか、結衣の頭は理解を拒絶していた。

 理解を拒絶していたら新たにひとり、またひとりと友人が壊れていった。そうしたら、次は当然――

「……京子、逃げるぞ」

「だってぇ……ちなつちゃん、ちなつちゃんが……」

「いいから来い!」

 結衣の頭は依然ものを上手く考えることができなかったが、体は勝手に動いていた。結衣は子供のように駄々をこねる京子の手をつかむと、強引にちなつだった物から引き離し、最短距離で部室から脱出した。

 ちなつに縋っていたせいで京子の制服は血だらけだった。加えて、幼少期に戻ってしまったかのように弱々しく泣きじゃくっている。しかし、今の結衣にはそんなことを気にする余裕はない。

 結衣は自分の行動をどこか遠くから見つめているかのように感じていた。自分が何を考えようと、あのふたりの行動を変えることなどできないと思った。彼女の意識はふたりの逃避行の成り行きをただただ見守る観客となっていた。

 部室として利用している茶室はそもそも使われていないはずであることに加え、周りが多少木立に覆われていたのが好都合だと思った。まだ校内には部活中の生徒がかなりの数残っている。そんな状況において、ふたりは誰にも遭遇せずに学校から出ることに成功した。しかしこれから往来を行くのに、この状態の少女が人の目に触れたら即警察に通報されることは間違いない。冷静に考えられていれば大人を頼って保護してもらうのが最良であると思い至ったはずだったが、とにかくあの場から少しでも遠くへと、当てもなく歩き続けた。京子は京子でただ泣き続けているばかりだった。

 気がついたときにはふたりは結衣が独り暮らしをしている部屋の前に立っていた。結衣は自然にポケットに手を入れ、部屋の鍵を取り出し、鍵を開けて中へと入った。玄関の外には日常が戻り、非日常は速やかに隠蔽された。

 

 

 結衣と京子が去った後、入れ違いで茶室に近づく者がいた。

「ふう。ここがあの、歳納なんたら率いる集まりの……」

 息を切らしつつ現れたのは千鶴だった。

 放課後になり、千歳のことがどうしても心配になった千鶴は居ても立ってもいられずに姉を捜索し、話を聞きつけてようやくこの場所に来ていた。つい今しがた確認をした下駄箱には外履きがなかったので、ここに居なければもう帰ったということなのだろう。

 玄関に入ると三和土に千歳の靴を見つけた。

「良かった。他人と一緒にいたのか」

 もしかしたら、ひとりでまた何かを調べ続けているのではないかとも思っていたが、友人と一緒だというならまだ安心だろうと千鶴は胸を撫で下ろした。しかし、そんな気持ちも束の間、強烈な嫌な予感が脳裏を掠めた。

――なんだ、この匂いは。

 玄関にはこれまでの人生で嗅いだことのないような匂いが立ち込めていた。室内への障子が半分程開いていて、それはそこから漂ってくるようだった。ふと足元を見ると黒っぽい染みが点々と表へと続いていた。

 津波のように襲い来る本能的な恐怖に頭髪が逆立つようなちりちりとした感覚を感じながらも、千鶴は何かに突き動かされるように障子に手をかけ、開け放った。

「あ、あ」

 千鶴の喉からは声にならない音が漏れ、その場にゆっくりとへたり込んだ。

 ゆっくりと室内を見渡す。直感が最悪の状況を告げていた。もう急いでも仕方がないだろう、と。

 まず目に飛び込んできたのは全体に散らばる色だったが、千鶴の目は無意識に自身と同じ特徴的な髪の色を探していた。はてさて、その右奥にある濃い赤を含んだ色素に乏しい毛髪のようなものに覆われた塊は頭か何かではないのか。飛び散ったように広がる粘性の高そうな液体に共に浸かっているのは千鶴もよく知る存在ではないのか。そして卓を挟んで反対側に同じような有様で存在するあの豊かな量の明るい桃色の房は、おそらく……。

 圧倒的な色味に視覚が疲れてふと目を逸らしたところ、畳の上に冊子のようなものが開かれているのが目に入った。

 雨ざらしになったかのように紙が波打っている。開かれたそのページには何かが描かれているようだが、滲んでしまって判別不能になっていた。しかしその色使いはこの惨状を写し取ったかのようで、千鶴は言い知れぬ禍々しさを感じた。

 そこにいるのは姉なのだろうという確信があった。しかし千鶴はそれを上回る身の危険を感じた。今すぐにここから立ち去らねばならないと、笑う膝に苦労しながらなんとか立ち上がり、踵を返そうとしたときだった。

 左方の壁際にあったそれが視界に入った。

「あぁ……」

 千鶴の本能はそれがこの惨状の原因であるという判断を下していた。そして彼女はそれから視線を外すことができず、そのまま――

「おい! どうした?! そこにあるのか!」

 千鶴が部屋に転がるそれらと同じものに成り下がる運命を受け入れかけたとき、背後から怒号が発せられた。

「りせ! 悪いが頼む。急いでくれ!」

 茶室の入り口には西垣教諭が立っている。教諭の呼びかけでりせが小走りで千鶴に近づいた。いつもは表情らしい表情のないりせだが今の表情からは緊迫感が窺える。

 千鶴の傍らにしゃがみ込んだりせはまず、彼女の瞼を伏せ、視界を遮った。そしてどこからか剃刀のような刃物を取り出したかと思うと躊躇いなく自らの指先に滑らせる。一瞬間をおき、血が玉のように流れだしたのを確認すると即座に千鶴の口内深くへと指を突き入れた。それは普通なら吐き気を催すような勢いだったが、今の彼女はそれどころではないようで特に抵抗をすることもなく、力なく横たわるばかりで、時折わずかに痙攣をしている。

 りせは指をそのままに目を閉じ、音が外には漏れない独特の発声で呪いの詞を奏じた。辺りを不思議な静寂が包み込む。

 やがて奏上が済んだのか、りせは千鶴の口内から指を抜き、口と鼻を摘まんで滴った血液を呑み込ませた。その直後、千鶴の体は強ばり、飲まされた血液を吐き戻した。そしてそのまま静かに眠ってしまった。ここまできて、りせは細く長く息を吐いた。

 少し離れたところから見守っていた西垣教諭も終わりを確かめようと、りせに話しかけた。

「もう、大丈夫か?」

「……」

「そうか。それで、あれはそこにあるんだな?」

「……」

 いつものようにりせの声は音を伴わないが、教諭にはわかるようだった。ふたりの奇妙な会話は続く。

「じゃあ池田千鶴は私が見ておくから、りせはそちらを処理してくれ。終わり次第、消防と警察に連絡だな……いいか?」

「……」

 りせは消防と警察のくだりのところで少し眉をひそめたが、仕方がないとでも答えたのだろう。教諭は神妙に頷くと、千鶴を回復体位にしておいて、その口許をハンカチで拭ったりと身なりを整え始めた。りせは部屋の隅に落ちているそれに血塗れの手を被せ、しばらくまた目を閉じた後、白い薄絹のようなものでそれを覆い隠すと、自分の手と一緒に括った。

「……」

「お、終わったか……わかってる。近づかないよ今は」

 お疲れ様と西垣教諭は言葉だけでりせを労った。そう言われてからりせはようやく少しだけ笑みを見せた。

 そして教諭が携帯電話で連絡を始め、りせは手に白い布を巻き付けたまま、茶室を後にした――

無気力に細切れに19

 週が明け、社会がまた動き出す。向日葵の死に沈む友人らも、櫻子を除いて休むことなく登校していた。

 それぞれの胸にはそれぞれの想いを抱いての、どちらかと言えば称賛されるべき結果であった。しかし奇しくもそれが仇となることは皆知る由もなかった。

 

 昼休み、教室という日常に居ることに疲れた綾乃は千歳を誘って生徒会室に来ていた。

 朝から自分の殻に閉じこもるかのように本を読みふける千歳の姿を見てどうにか手を差し伸べられないかと、少なくとも表層ではそう考えての行動だった。

「ねえ千歳……何の本を読んでいるの?」

「大丈夫。心配せんでええよ綾乃ちゃん。大丈夫だから」

「…………」

 会話にならない。そんな様子の千歳を目の前にして綾乃は少し自分を取り戻した。それと同時にいつもの思慮深さも徐々に戻ってきていた。

 綾乃は静かに千歳を観察した。先程まで感じていた印象が、がらりと変貌する。

――千歳、なんだかすごく……すごく変……。

 気づいた瞬間、綾乃は戦慄を覚えた。

 これは自分の殻に閉じこもっている人の目ではない。そう直感的に理解した。

――何かもっとこう、何かに憑り付かれている、みたいな。

 脇目も振らず、まさに一心不乱に資料をあたる千歳。今の綾乃にはもう、さっきまでのように話しかけることはできそうになかった。

 しばらく黙って千歳を観察し続けていると、やがて千歳は小さく溜息を吐き、本を閉じて綾乃の方へと顔を向けた。

 少し肩を跳ねさせた綾乃に千歳が訊ねる。

「綾乃ちゃんは……古谷さんがどうやって死んだか、聞いてへん?」

「へっ? え、ごめんなさい。聞いてないわ」

「そか……」

 綾乃は想像だにしない質問に動揺して声を上擦らせた。

 その話題は半分無意識にタブーとしていた綾乃だったが、千歳にはまったくそんな気はないようだ。綾乃は今度こそ彼女の異常性をはっきりと認識した。

 綾乃は一瞬躊躇ったが、思い切って話を切り出した。

「あの、千歳? 言いにくいんだけど、ちょっと変よ、今のあなた」

 言い方が選べなかった。なんでそんな言い方ができたのか綾乃自身もわからなかった。だがそんな言われようにも千歳の表情は涼しいもので、しきりに大丈夫だと繰り返した。

 話が噛み合わないことにはどうしようもないと感じた綾乃は、辛抱強く話を続ける。

「随分と熱心に本読んでるけど、何か調べもの? なら私も手伝うわよ」

 綾乃がそう言いつつ、傍らに置かれた本に手を伸ばしかけたその時だった。

「あかん!」

 千歳は素早くその手を払いのけた。

 途端、顔をこわばらせた綾乃を見て、ようやく自身も顔を歪ませた。千歳が向日葵の死を知って以来、久しぶりに人間らしい表情をした瞬間だった。

 少し間をおいてから、千歳は静かに話した。

「綾乃ちゃん……大丈夫。なんも心配せんでええよ。うちが綾乃ちゃんのことちゃんと……」

 千歳の言葉は終わり際が弱々しく、よく聞こえなかったが、言わんとしているニュアンスを綾乃はしっかりと理解した。ようやく感情らしい感情が示されたこともあってか、たった今受けたショックは霧消したようだった。

 千歳の言動は考えるまでもなく異常だ。正常な精神状態であるとはとても思えない。だが綾乃はその想いの純粋さを感じ、それに安心感を覚えていた。

  しばらくして千歳が口を開いた。

「……歳納さんはどないやろ」

「そうね……」

 綾乃は不思議といつものように気持ちを乱すことなく京子のことを考えていた。ひとりで沈んでいる間にも幾度となく同じようなことを考えていたが、今は穏やかな心持ちなのが良いのか、迷いなく答えは出た。

 ごらく部の面々も少なからぬショックを受けていることは明白だった。同じ傷を負った者同士で他愛もないような話をし、生きた気持ちを通わせるべきではないのか。ちょうど綾乃と千歳がそうしたように。

「放課後に、ごらく部のところへ行ってみましょうか」

「せやね……あの箱でまた遊びながら、お話でもせえへん?」

 古谷さんも心残りかもしれないやんと千歳は小さく付け加え、綾乃の指先に触れた。綾乃はわずかに何か引っかかる感じを受けたが、それは千歳の指先から伝わる温かさに触れすぐに揮発した。綾乃の胸を安堵感が満たし、そのままそこへ埋もれていたくなる。

 綾乃は目を伏せ、頭を千歳に預けた。

 その背中に軽く腕を回した千歳の瞳は再びぎらぎらとした光を湛えていた。

 

 


 

 解答編はカットすると決めていたので次で最後です。もっと区切らないでがっつり載せたら良かったですね。

 次の場面を描きたくて書き始めたSSだったのでした。うーん。よくわからないことになってきちゃったぞ。


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